今城塚古墳・今城塚古代歴史館(高槻市) ・埴輪が並ぶ“入れる”天皇陵!?

今城塚古墳

2016年3月訪問
今城塚古墳(いましろづかこふん)は大阪府高槻市郡家新町にある古墳です。淀川流域では最大級の前方後円墳で、様々な資料などから第26代継体天皇の真の陵とする説が有力ですが、宮内庁の治定を受けていないため発掘調査が可能な大王陵(天皇陵)とも言われています。

今城塚古墳(高槻市)
今城塚古墳(高槻市)

また、高槻市内では高槻城跡周辺と並ぶ歴史的観光スポットとして、こちらも博物館が建てられ公園として整備されているので、多くの人に親しまれています。

今城塚古墳(高槻市)
今城塚古墳公園全景の案内板


歴史と概要


今城塚古墳(高槻市)
はにわのかけ橋を渡り古墳公園へ

今城塚古墳が築造されたのは、古墳時代後期に当たる6世紀前半とみられ、その被葬者は、古墳の形状や埴輪等の年代的特徴、また「古事記」や「日本書紀」、さらに「延喜式」など様々な文献資料の検討から、6世紀のヤマト政権の大王の墓と推定され、継体天皇25年(531年)に没した継体天皇とするのが学界の定説になっています。



今城塚古墳(高槻市)
今城塚古墳の案内板

真の継体天皇陵である可能性が高いことから、昭和10年(1935年)から昭和19年(1944年)に設けられた臨時陵墓調査委員会においても、この古墳を「陵墓参考地に編入すべし」との答申が行われましたが、現在に至るまで宮内庁は今城塚古墳の陵墓参考地指定については現在も難色を示しているそうです。

今城塚古墳(高槻市)
前方部の濠

今城塚古墳は摂津国北部、三島平野(みしまへいや)のほぼ中央に位置し、前述のように淀川流域では最大級の前方後円墳です。西向きの墳丘の周囲には二重の濠がめぐらされ、総長は約350m、総幅は約360mあり、日本最大の家形埴輪や精緻な武人埴輪が発見されています。

昭和33年(1958年)には日本の歴史上貴重な文化財として国史跡の指定を受けました。高槻市では古墳の保存を図るため、国や大阪府の支援を受けながら約50年間をかけ、ほぼ全域を公有化しました。それ以前は、ほぼ全域が民有地で、内濠・外濠をはじめ周辺一帯には水田が広がり、4ヶ所の池は農業用水の溜池として利用されていたようです。

公有化後、古墳では水田耕作がやみ、墳丘や内堤のマツ林は自然植生であるクヌギやシイなどのドングリ林に移り変わる一方、古墳周辺はすっかり市街化し、かつて広がっていた水田の景観はまったく様変わりしていきました。

今城塚古墳(高槻市)
古墳についての案内があちこちに(向こうでは工事が)。

発掘調査は平成9年(1997年)から継続的に行われ、二重の濠を区分する内堤から今城塚古墳の特徴の一つである埴輪祭祀(はにわさいし)場が出土しました。石棺は兵庫県高砂産の竜山石、大阪・奈良にまたがる二上山白石、さらになんと熊本県宇土産の馬門石と、いずれも凝灰岩の石棺石材が出土し、3基の家形石棺が納められていたとみられています。
さらに、文禄5年(1596年)の伏見地震による地滑りで、墳丘の盛土の多くが内濠へ滑落したことが判明しました。

●高槻市ホームページ 史跡 今城塚古墳とは →http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/daio/kodairekishikan/imashirozukakofun/1327496276409.html

今城塚古墳公園として

現在の今城塚古墳は古墳公園として整備されていますが、戦国時代には以前紹介した黒姫山古墳などと同じく城砦として利用されていたこが判明しており、これが「今城塚」という名称の由来となったようです。江戸時代の絵図などにも今城陵(いまきのみささぎ)などと記されています。


今城塚古墳(高槻市)
見学だけでなく憩いの場としても利用されています。

地震や人の手によって古墳としての完成時より大きく姿かたちの変わった今城塚古墳ですが、平成16年(2004年)からの7ヵ年計画で整備工事を行い、隣接する今城塚古代歴史館と共に平成23年(2011年)4月1日に史跡公園として完成しました。
 
古代歴史館の横から「はにわのかけ橋」を渡ると「はにわバルコニー」があり埴輪祭祀場を目前に、古墳全体を見渡せます。濠は内濠の前方部のみ水があり、それ以外は芝生広場となっています。埴輪のレプリカが並べられ、堤(内堤の断面を見られる場所もあり)や造出(つくりだし・祭祀の場)などかつての古墳の輪郭が再現されていて古墳の大きさを感じられます。
また、墳丘にも上れるので「天皇陵」の石室があった場所を見学することもできます。

今城塚古墳(高槻市)
後円部の墳丘

埴輪祭祀場

二重の濠を区分する内堤から形象埴輪や埴輪祭祀場が出土しましたが、出土点数や埴輪祭祀区の規模が日本最大のもので、家、人物、動物など200点以上の形象埴輪が整然と並んでいます。現在、大王の埴輪祭が再現されているのは日本でここだけで、圧巻の光景す。

今城塚古墳(高槻市) 埴輪祭祀場
今城塚古墳の埴輪祭祀場

埴輪祭祀場の大きさは、東西62~65m、南北約6mの広さで、家形や柵形をはじめ、武人形、鷹匠(たかしょう)形、力士形、巫女(みこ)形、馬形、鶏形などのレプリカが並べられ、触れることもできます。家形埴輪は神社建築を思わせる造りで高さが170cmもある大きなものです。

今城塚古墳(高槻市) 埴輪祭祀場
多数の埴輪が並ぶ様子は圧巻

今城塚古墳(高槻市) 埴輪祭祀場
人形、動物形、家形など埴輪の種類も豊富

今城塚古代歴史館

今城塚古代歴史館は今城塚古墳のすぐ北側に建てられた歴史博物館です。今城塚古墳公園と同じく平成23年(2011年)4月1日に開館しました。実物の埴輪や豊富な出土品が展示され、三島古墳群の概要や今城塚古墳の発掘調査で判明した古墳づくりのさまざまな工夫を実物大のジオラマ模型や映像も用いながら解説されているのでとても分かりやすいです。
今城塚古代歴史館(高槻市)
高槻市立今城塚古代歴史館

今城塚古墳公園と歴史館の2つを総称して「高槻市立いましろ大王の杜(だいおうのもり)」と名付けられました。

今城塚古代歴史館(高槻市)
無料の常設展では実物の埴輪や様々な模型で古墳について学べます。

開館時間は午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)で、休館日は月曜日(祝日は開館。月曜日が祝日の場合は火曜日、土曜日が祝日の場合は日曜日が休館)と年末年始となっています。マスコットキャラクターの「はにたん」の観光情報コーナーもあります。
入館料は無料ですが、特別展・企画展は有料の場合があるので詳しくはホームページを参照してください。

●今城塚古代歴史館 トップ →http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/daio/kodairekishikan/index.html
●今城塚古代歴史館 基本情報 →http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/shisetsu/1331883966934.html

今城塚古代歴史館(高槻市)
継体天皇に関する展示

アクセス

公共交通機関では、JR京都線「摂津富田」駅下車。高槻市営バス「南平台経由奈佐原」行きで「今城塚古墳前」下車すぐ。または同市営バス「関西大学」「萩谷」「萩谷総合公園」行きで「氷室」下車。東へ徒歩約8分。
阪急京都線富田駅下車の場合は上記JR摂津富田駅のバス停まで約300mを徒歩で。

車では国道171号線の 「今城町」交差点を、大阪市内方面からは左折、京都方面からは右折します。約800m北の「清福寺」交差点を左へ曲がり600mほど行くと左手に今城塚古代歴史館が見えてきます。駐車場(無料)は約35台分となってます。古墳は歴史館のすぐ隣です。

 Imashirozuka Burial Mound/Imashirozuka Museum of History(Takatsuki City,Osaka Prefecture)

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