錦織神社(富田林市) ・日光東照宮拝殿にも影響を与えたといわれる本殿

錦織神社

2017年10月訪問
錦織神社(にしこおりじんじゃ)は富田林市宮甲田町にある神社です。「錦織」の読みは近くの府営公園や市営保育園も「にしこおり」ですが「にしきおり」や「にしごり」、「にしこり」と読まれることもあるようです。

錦織神社(富田林市)
錦織神社(富田林市)

当社は周辺では珍しく平地にある大き目の神社といえます。国道170号(外環状線)から少し東に入った田畑や住宅が広がる地域の中で、木々に囲まれた神社は遠くからでもわかりやすく、その特徴は長く一直線に伸びた土の参道と重要文化財に指定されている本殿などがあることです。


歴史と概要

錦織神社の正確な創建年は不明ですが、昭和10年(1935年)に行なわれた本殿修理の際に地中から平安時代中期の丸瓦や平瓦が多数発見されたことから、同年代かそれ以前に創建されたと推定されています。主祭神は、建速素戔嗚命(たけはやすさのおのみこと)、品陀別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)、菅原道真公です。

錦織神社(富田林市)
本殿、摂社などの由緒が書かれた説明板

この辺りは現在国道170号(外環)と国道309号線という南河内有数の幹線道路が交差する地点ですが、東に行けば石川があり、東高野街道も神社のすぐ南を通っていて、昔から交通の要衝であったようです。



現在の住所で錦織と付くのは神社より少し南の方ですが、古代には神社も含めたこの地域を河内国錦部郡と呼び、錦織(爾之古里(にしこり)との表記も)の地名も古くからこの地域に居住した百済(くだら)からの渡来人が綾織や錦織を朝廷に献上していたことに由来すると考えられています。

前述のように、当社は石川の近くに位置するとともに、周辺の水路が集まる水の合流点として栄えたことから、千早赤阪村の建水分神社、富田林市の美具久留御魂神社とともに古くから河内国の三水分(みくまり)社として広く信仰を集めていました。

錦織神社(富田林市)
真新しい神社の説明板

現在の本殿は南北朝時代の南朝後村上天皇の御世、正平(しょうへい)18年(1363年)の建築であることが明らかになっています。

旧社格は郷社。また、当社は明治40年(1907年)に今の社名に改められるまでは「水郡(にごり)天王宮」とも呼ばれていたようです。


神社周辺を見ると、一の鳥居から100mほど南に新家古墳、本殿から400mほど北西に小金平古墳があり、1km少々南西には花好山地蔵尊などがあります。また、最寄り駅である川西駅から一つ大阪阿部野橋駅寄りの富田林西口駅の東には富田林寺内町(じないまち)が、一つ河内長野駅寄りの滝谷不動駅の南東には滝谷不動尊彼方春日神社もあります。

境内

南側の大きな石の鳥居は富田林市立川西小学校の校門のすぐそばにあります。

錦織神社(富田林市)
鳥居と参道

錦織神社(富田林市)
両側に燈篭の並ぶ真っすぐな参道

鳥居をくぐってまず目に飛び込むのが南から北に真っすぐ伸びた長い土の参道です。この素晴らしい参道は、かつて流鏑馬(やぶさめ)の式が行われたところで、馬場先といったそうです。

錦織神社(富田林市)
天誅組河内勢顕彰碑

参道を少し進むと左側に、幕末に尊王攘夷派の志士で構成された天誅組の地元出身者を称える天誅組河内勢顕彰碑があります。

錦織神社(富田林市)
太鼓橋

さらに進むと少しわかりにくいですが太鼓橋があるので渡ります。

錦織神社(富田林市)
手水舎と百度石

鳥居から約150m進むと右に手水舎があり、その先は正面の拝殿や左の社務所などに囲まれた広場となっています。参拝者の車はここに停められるようです。

錦織神社(富田林市)
左が社務所、右が拝殿

参道をぬけ手水舎で清め再び進むと、石灯籠や狛犬があり、その向こう、拝殿の間からは美しい本殿の一部が見えます。拝殿に入ると左側が社務所となっています。

錦織神社(富田林市)
拝殿の奥に見える鳥居と本殿

拝殿をぬけると、目の前に重要文化財に指定されている本殿や摂社があり、左に祈祷所、右に神輿庫などがあります。

錦織神社(富田林市)
拝殿の内部の奉納された額

重要文化財

錦織神社(富田林市)
重要文化財に指定されている本殿と両摂社

この本殿が建てられたのは南北朝時代のことで、南朝の後村上天皇正平(しょうへい)18年(1363年)に増築されたことがわかっています。その姿は唐破風(からはふ)の上に千鳥破風(ちどりはふ)をのせた独特のものでこの時代としては大変珍しく、漆塗りの極彩色の華麗な様式は「錦織造り」と呼ばれ、後に日光東照宮拝殿などの原型となったといわれています。

錦織神社(富田林市)
見事な本殿の屋根

この本殿では、中央に建速素戔嗚命、右に品陀別命、左に菅原道真を祀っています。

錦織神社(富田林市)
本殿の奥は鎮守の杜

本殿の両隣には摂社があり、小規模な流造二間社で、右(東)には熊野速玉神、春日大明神を祀る春日社、左(西)には火産霊神、大国主神、恵比寿神を祀る天神社が鎮座しています。

錦織神社(富田林市)
祈祷所(右奥)手前は末社の弁才天(左)と金毘羅宮(右)

天神社からは文明12年(1480年)の棟札が見つかり、春日社も同じ頃の建築と推定されています。

錦織神社(富田林市)
神輿庫

祭礼

錦織神社の祭祀は元日の元旦祭から12月の新嘗祭まで色々ありますが、10月第2土曜日の秋季大祭(秋祭り)では錦織、廿山、甲田、五軒家、伏山、宮甲田、須賀、新家、加太など各地区から地車(だんじり)が出ます。

錦織神社(富田林市)
秋のだんじり祭り前の様子

特にだんじりの宮入では大変賑わうそうです(翌日曜もだんじりは出ます)。

錦織神社(富田林市)
御旅所

秋祭りでは参道入口から80mほど西(川西小学校のプールの隣)にある御旅所へ御祭神が神輿で渡御される神幸祭も執り行われます。なお、御旅所の祠には女神が祀られているとも(詳細不明)。

アクセス

公共交通機関では近鉄長野線「川西」駅が最寄り駅となります。駅の改札を出て左に200m少々歩くと右手に鳥居があります。

錦織神社(富田林市)
本殿と神輿庫の間にある御神木

車では、大阪各地から国道309号または国道170号(外環状線)で向かう場合、両道が交わる富田林市内の「新家」交差点を目指します。そこから309号を100mほど東(河南町・千早赤阪村方面)へ進んだ「2中前」交差点を左折すると、約300m先の左側に鳥居ふがあります。

奈良県や千早赤阪村、河南町方面から来る場合は309号の「川西南」交差点を右折、次の「川西駅前(甲田)」交差点を左折し近鉄長野線(川西駅前)の高架をくぐり、200m少々進むと右手に鳥居があります。

Nishikori Shrine(Tondabayashi City,Osaka Prefecture)


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