寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町) ・自由に入れ景色も楽しめる古墳公園

寛弘寺古墳公園

2017年5月訪問
寛弘寺古墳公園(かんこうじこふんこうえん)は大阪府南河内郡河南町寛弘寺にある古墳公園です。河南町の西部、富田林市との境界近くにあり、金剛・葛城山系から北に流れる千早川の西側の河岸段丘上に位置しています。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町)
南から見た寛弘寺古墳公園

古代からの史跡が多数ある南河内には大小様々な数多くの古墳があり、その内のいくつかは実際に入ることが出来る公園などに整備されていますが、この寛弘寺古墳公園もその中の一つです。



寛弘寺古墳群

かつてこの付近一帯は狭い谷の入り組んだ丘陵地帯になっており、尾根の上には多数の古墳が点在していました。これらの古墳をまとめて寛弘寺古墳群と言います。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町)
公園入口

現在の地図を見ればわかるように、この公園周辺は平坦な土地に広い道路で四角く区切られた大きな田畑が広がっています。これは昭和57年(1982年)から始まった大阪府の農地開発事業によって出来ましたが、それ以前のこの地は寛弘寺古墳群と高台の墓地(寛弘寺西山城跡)以外は棚田や畑、林となっていたようです。昭和の大規模な農地開発にともなって遺跡の発掘調査が行われましたが、平成12年(2000年)まで続いたこの地域の発掘調査(農地開発は平成16年完了)により、寛弘寺古墳群で確認された古墳は総数92基でした。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町) 農地開発記念碑
大阪府の農地開発事業の記念碑

これらの古墳は4世紀中ごろから7世紀後半にかけて、この辺りを支配した豪族(後述)によって作られたと考えられますが、小型のものが多く、ほとんどが古い時代に壊されて姿を消していました。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町)
入口の案内看板

かつて、現在の富田林とその周辺一帯を治めたとされるのが「紺口県主(こむくのあがたぬし)」で、この河南町西部、千早川西側の丘陵上に位置する寛弘寺古墳群との深い関係があったと考えられています。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町)
「寛弘寺古墳群と紺口県主」展のパンフレット

このことから、平成31年(2019年)4月27日から令和元年(2019年)7月7日まで、河南町にある大阪府立近つ飛鳥博物館にて「寛弘寺古墳群と紺口県主」という企画展が行われました。

●近つ飛鳥博物館 平成31年度春季企画展「寛弘寺古墳群と紺口県主-古墳時代の地域と王権-」 →http://www.chikatsu-asuka.jp/?s=exhibition/special

古墳公園の概要

寛弘寺古墳群の北東の一角、15基の古墳のまとまりを「ツギノ木山支郡」と言い、古くから「ツギノ木山古墳」として知られていた5号墳と、周辺の4号墳、6号墳、7号墳の4基の古墳が「寛弘寺古墳公園」として整備されました。これら4基の古墳は昔から「寛弘寺の七つ墓」と呼ばれ、よく知られていた上に、歴史的に貴重なものでした。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町)
公園中央の休憩所

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町)
休憩所前の案内板には詳しい説明が記されています。

少し細かく見ると、4,5,6号墳が4世紀中ごろから5世紀後半頃までに造られた古いグループで、7号墳は6世紀後半以後に作られた新しいグループに分けられます。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町)
左が葛城山、中央が金剛山。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町)
6号墳へ向かう遊歩道

 ・4号墳 直径約29mの円墳。
 ・5号墳 4号墳とほぼ同じ大きさの円墳。西側に長さ3m、幅訳4.5mの方形の造り出しあり。「ツギノ木山古墳」。
 ・6号墳 一辺約21~22mの方墳。
 ・7号墳 直径約12mの円墳。横穴式石室あり。6号墳の北東にあり、少し分かりにくい。

 実際に作られた順番は5号墳→4号墳→6号墳→7号墳とされています。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町)
6号墳から富田林方面を望む。画像中央に見えるのが4号墳。

いずれも埋葬施設は未調査ですが、5号墳には円筒埴輪列がめぐり、船形埴輪も出土しています。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町)
北西の丘陵。あの丘にも古墳があるようです。

また、公園外になりますが、40、41、42号墳の石室は近つ飛鳥風土記の丘に移築されています。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町)
6号墳より。中央やや左奥に見えるのが二上山。真ん中手前付近に7号墳。

公園施設など

寛弘寺古墳公園の西側には5台分ほどの駐車スペースがあり、トイレも併設されています。入口の傍に公園の概要を記した看板や農地開発事業の記念碑があり、階段を上ると公園中心には休憩所と詳細な案内板があります。

5号墳、6号墳には遊歩道がつながっていて、さらに階段を上ると金剛山、葛城山、二上山や富田林方面も一望できる素晴らしい景色を楽しめます。4号墳、7号墳は草を刈っていない時期はわかりにくいです。


当公園の少し南には式内社の鴨習太神社道の駅かなんが、少し離れて南東方向には金山古墳などがあります。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町) 駐車場・トイレ
駐車場とトイレがあります。左が古墳公園。

アクセス

公共交通機関では近鉄長野線「富田林」駅で下車し、南口のロータリーから金剛バスに乗り「五軒家」バス停で降ります。バス停から6号墳が見えますが、少し北に歩き左折、更に歩きまた左折すると左手にあります。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町) 古墳公園・道の駅かなん 案内標識
最近出来た標識。この右奥の方向に向かいます。

車で大阪市内、富田林方面からの場合は国道309号線を使うのが分かりやすいです。奈良県(御所市)方面に向かい、「佐備神山」交差点を左折し500mほど道なりに走り、五つ目の交差点を左に曲がればあとは直線で約600mです。

奈良県御所市方面からも国道309号線を富田林方面へ向けて走り、「神山南」交差点を北に進みます(西楽寺前を通って来た場合は直進、オークワの前を通過して来た場合は右折)。「神山」交差点の次の信号を左折し、約300m先、三つ目の交差点を右折するとあとは直進です。

寛弘寺古墳公園(南河内郡河南町) 古墳公園・鴨習太神社へ向かう道
309号線佐備神山交差点から来た場合、この交差点を左折(写真は東向き)

その他、一般道ではなさそうですが、一番簡単なのは「道の駅かなん」の入口の信号を、道の駅とは逆方向(北)に入り、すぐ左折すると農道みたいな道ですが、少し行くと一直線の道路になるので後は約900mひたすら真っ直ぐ進むと右手に古墳公園があります。

Kankouji Tumulus Park(Kanan Town,Osaka Prefecture)


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