澤田八幡神社
2022年4月訪問
澤田八幡神社(さわだはちまんじんじゃ)は大阪府藤井寺市沢田にある神社です。鎮座地のある藤井寺市と隣の羽曳野市にかけての地域には、令和元年(2019年)7月にユネスコの世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群 古代日本の墳墓群」に登録された古市古墳群があり、当社の背後には同古墳群で2番目の規模を誇る仲姫命陵(仲津山陵。仲ツ山古墳)があります。
澤田八幡神社(藤井寺市) |
仲姫命陵の北側には近畿日本鉄道(近鉄)南大阪線が通っており、古墳と線路の間には当澤田八幡神社の他に土師ノ里八幡神社、古室八幡神社がありますが、当社のみ、線路が参道を横切るために境内に踏切まで設置されていることでも有名です。
歴史と概要
澤田八幡神社の正確な創建年は不詳です。八幡神社ということで御祭神は八幡大神である品陀分命(ほんだわけのみこと=第15代応神天皇)となっています。社名については字名から上ノ段八幡神社との別名もあります。
境内に由緒記や説明板は見当たりませんでしたが、大阪府神社庁ホームページなどによると、江戸時代初期に、1.3kmほど南にある誉田八幡宮(羽曳野市誉田)の御分霊を勧請して創健されたようです。これは、豊臣秀吉の太閤検地の際に当時の澤田村が誉田八幡宮の神領となったことに関係すると考えられます。
誉田八幡宮は最古の八幡宮とされ、その隣には八幡大神である品陀分命の陵とされる応神天皇陵(誉田御廟山古墳)がありますが、その北側、つまり当社の鎮座する藤井寺市の東部には同じ八幡神を祀る八幡神社が多数あります。これらの八幡神社を詳しく見ると、澤田八幡神社の他、土師ノ里八幡神社、古室八幡神社、国府八幡神社、津堂八幡神社と、藤井寺市内だけでも多くの八幡神社が氏神として祀られていますが、羽曳野市の壺井八幡宮の御分霊を勧請して創建された国府八幡神社以外は、誉田八幡宮から勧請されたものという説もあります(ただし、津堂八幡神社の縁起には同社が松原市にある深居神社から分祀されたとあります)。
後に誉田八幡宮の神領は澤田村から隣接する古室村に転換されますが、周辺では八幡神への信仰が厚かったことが窺えます。澤田村の集落は北に林村、南に古室村の集落と隣接しており、鎮守で見ると、当澤田村の八幡神社と古室村の八幡神社も100m少々の距離しか離れていません(伴林氏神社との距離は約500m)。
明治5年(1872年)に近代社格制度で村社に列格しました。大阪府全志などによると当時の境内は454坪と記されています。明治の末に周辺の大きな神社に合祀されることもなっかたようです。
「関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター 神社を中心とする村落生活調査報告(二)大阪府-大阪府 北河内郡・中河内郡・南河内」によると、昭和初期の上ノ段八幡神社の氏子は約80戸で、「先度社」と呼ばれる宮座が組織されていました。
前述のように、明治時代の初めまでこの周辺は河内国志紀郡澤田村でした。澤田村には二つの八幡神社があり、一つが仲姫命陵の北側に鎮座する字上ノ段の八幡神社(現在の澤田八幡神社)で、もう一つが字小林の八幡神社(現在の土師ノ里八幡神社)です。土師ノ里八幡神社は澤田の中でも小林のみの氏神だったようで、現在、土師ノ里八幡神社の鎮座地(蓮土山道明寺の北)住所は藤井寺市道明寺1町目となっています。
明治22年(1889年)に、澤田村は古室村、林村の区域も含むようになりますが、明治23年(1890年)に志紀郡道明寺村と合併し、改めて道明寺村が発足することになります。明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡となり、この当時の当社鎮座地は南河内郡道明寺村大字沢田字上の段となっています。
その後の道明寺村は昭和26年(1951年)に町制施行して道明寺町となり、昭和34年(1959年)に藤井寺町と合併して藤井寺道明寺町となりました。翌年には町名を美陵町と改称し、さらに昭和41年(1966年)に市制を施行し美陵市となりますが、即日改称して現在の藤井寺市となりました。
澤田八幡神社は神職不在神社で、土師ノ里八幡神社や古室八幡神社と同様に道明寺天満宮の兼務社となっています。
踏切を横切る近鉄線
前述のように、境内には参道を横切る形で近鉄南大阪線が通っており踏切が設けられています。これは、大正11年(1922年)4月に当時の大阪鉄道(2代目)が、布忍駅(現松原市)から道明寺駅(現藤井寺市)間を開通した際に、陵墓や集落の中を通ることを避けた最短コースを選んだため、と考えられています。
現在の近鉄南大阪線で見ると、澤田八幡神社は藤井寺駅と土師ノ里駅の間に位置しますが、開業当時は土師ノ里駅が無く、藤井寺駅と道明寺駅間にあったことになります。なお、現在の感覚では大阪市内の阿部野橋駅から藤井寺、道明寺、古市と線路が延びていったように思えるかもしれませんが、実際は先に柏原、道明寺、古市、富田林、滝谷不動、河内長野の路線が開業しており、後から道明寺と現在の大阪市内を結ぶ路線が計画されました(古市から天王寺へのルートを希望する住民も多かったそうです)。なお、現在の大阪市阿倍野区の阿部野橋駅は、大正12年(1923年)の開業当時は東成郡天王寺村の大阪天王寺駅と呼ばれていました。
道明寺駅と藤井寺駅の間には、北から允恭天皇陵、仲姫命陵、応神天皇陵といった御陵である大型前方後円墳が並んでいます。御陵を避けて両駅を最短で結ぶと中央の仲姫命陵の南北いずれかに沿うようなルートになりますが、当時の仲姫命陵の南側には集落こそ無かったようですが応神天皇陵との間に古室山古墳や大鳥塚古墳をはじめとした大小の古墳が多数存在していました。一方の北側を見ると、允恭天皇陵との間には「沢田の七ツ塚」と呼ばれる小古墳と大字林、澤田、古室の集落があったものの、仲姫命陵の北側に沿ったルートでは大型古墳も集落も避けて線路を通すことが出来た...ということかもしれません。
仲姫命陵の北堤に沿って走らせることにした結果、国府台地(こうだいち)の上にある陵の堤の北側の斜面(誉田断層)の下に線路が敷設され、北側の集落から南の台地上の本殿に参拝する当社の参道を横切ることになったものと考えられています。なお、100m少々西の古室八幡神社も同様に集落から台地上の本殿に参拝しますが、社殿や参道がほぼ西向きのため線路と並行する形となり境内が分断されることが無かったと思われます。
このように、境内に踏切がある神社仏閣は全国にあり、近畿では滋賀県大津市逢坂の関蝉丸神社下社、滋賀県米原市宇賀野の坂田神明宮などが挙げられます。南河内で見ると、境内に踏切はありませんが、富田林市宮町の美具久留御魂神社の場合、東高野街道に面した一の鳥居から注連柱のある境内入口までの参道に近鉄長野線、国道170号(外環状線)、巡礼街道が横切っている、ともいえます。
境内
澤田八幡神社は仲姫命陵の北側周濠に接するように鎮座し、社殿や鳥居、参道は北向きとなっているので、表参道から南向きに参拝すると仲姫命陵の仲姫命を祀っているようにも思えますが、実際にはその夫である応神天皇を御祭神としています。
参道入口の社号標と桜 |
旧澤田村の集落を東西に横切る歴史ある道に澤田八幡神社の入口があります。ちなみに、現在の住所は沢田ですが、社号標は「沢田八幡神社」でなく「澤田八幡神社」となっています。
参道入口の石碑群 |
短い石段を上り古い石灯篭の間を抜けて参道に入るとすぐ右側に石碑が並んでいます。
鳥居と灯篭 |
入口から20mほど進むと再び短い石段があり、その上に石造りの鳥居と灯篭が立っています。
南から見た鳥居と参道 |
鳥居をくぐり振り返ると参道の桜の美しさが良くわかります。
踏切手前の太神宮灯篭 |
改めて拝殿側を向くと正面に踏切、左手に太神宮灯篭があります。この灯籠の後ろに東側からの出入口もあります。
参道に設置された踏切 |
舗装された参道は踏切に向かって続き、遮断機の手前左右には玉垣があります。
通過中の近鉄南大阪線 |
この澤田八幡神社を横切るのは近鉄南大阪線ですが、大阪市内の阿部野橋駅から長野線が分かれる古市駅までの区間は電車の本数も多く、この境内の踏切でも日中は5分に1本ほどの頻度で電車が通過するようです。場合によっては近鉄特急、さくらライナー(SL)、観光特急「青の交響曲(シンフォニー)」などを見ることが出来ます。
踏切から西(藤井寺方面)を望む |
踏切途中から右を向くと藤井寺駅方面まで2本の線路が延びていますが、約200m先の左手には古室八幡神社があり、さらにその200mほど先にはかつて「応神御陵前」駅がありました。応神御陵前駅については応神天皇陵の記事でも触れています。
踏切道藤井寺第七号 |
この踏切は藤井寺7号踏切(正式には「踏切道藤井寺第七号」)というようです。拝殿側の遮断機の先にもまた古い石灯籠があります。こちらは文化2年(1805年)の銘が刻まれています。
拝殿下の広場 |
踏切を越えて拝殿下の広場まで来ると、拝殿とその後ろの本殿、さらには仲姫命陵が線路や集落より数メートル高い位置、つまり国府台地の上にあることがよくわかります。
「沢田だんじり倉庫」 |
拝殿に向かって左側、斜面の下に地車(だんじり)格納庫とクスノキの巨木があります。沢田だんじり保存会のフェイスブックによると、沢田のだんじりは平成28年(2016年)に新調(6月12日に入魂式)されているようです。
拝殿前の石段 |
拝殿前の石段はこれまでより長く、真ん中に手すりもあります。この石段脇の石灯籠は文久4年(1864年)のものです。
拝殿 |
石段を上ると玉垣、狛犬があり、その先に割り拝殿が見えます。
割拝殿内部(奥に本殿) |
割拝殿内には入れませんが、奥の扉の向こうに本でが見えます。また、拝殿内の天井を見上げると色鮮やかな奉納絵馬が多数掲げられています。
拝殿前から見た踏切方面 |
拝殿前で振り返ると、ここからも境内を走る近鉄電車を見ることができます。
拝殿東側より |
拝殿前はそれほど広くありません。
拝殿西側の出入口 |
参道入口のある踏切の北側には東向きの出入り口がありましたが、社殿の建つ踏切南側の境内には西側に出入口があります。
拝殿西側から見た近鉄線 |
西側の出入口は拝殿前と拝殿下広場の2ヶ所にあり、こちら側から出て南に向かうと(坂を上ると)本殿裏を通る仲姫命陵北側周濠沿いの道に出ます。この道を西に向かうと古室八幡神社や仲姫命陵拝所、古室山古墳、さらには赤面山古墳や応神天皇陵方面に向かうことも可能です。
西から見た本殿裏の道路 |
一方、仲姫命陵北側周濠沿いの道を東に進むと、鍋塚古墳や土師ノ里駅、土師ノ里八幡神社、道明寺、道明寺天満宮、允恭天皇陵などがあります。
裏(南)側から見た本殿の屋根 |
澤田八幡神社の本殿は、拝殿や周囲の塀があるのではっきりとは見えませんが、裏の道からは立派な屋根と巨大な御神木がよく見えます。
境内に踏切があり、鉄道が横切る神社として話題になることが多い澤田八幡神社ですが、木々に囲まれた普段は(列車通過時以外)静かな、まさに村の鎮守という雰囲気の神社です。周辺地域には世界遺産に登録された古市古墳群の大型古墳や歴史ある神社仏閣が点在しているので史跡巡りなど藤井寺市観光では是非訪れたい地域といえます。
アクセス
澤田八幡神社周辺の道路は狭いところも多く、参拝者用駐車場も無いようです。また、周辺に多数の歴史スポットもあることからで徒歩での参拝がおすすめです。
最寄り駅である近鉄南大阪線「土師ノ里」駅から向かう場合、改札前の国道170号(旧道)と府道12号堺大和高田線(ヤマタカ線)が交わる「土師の里」交差点から府道を200mほど西に進みます。最初の信号のある交差点(ここにコインパーキングあり)を左斜め前方に入り、住宅地の中を約130m進むと左手に澤田八幡神社入口があります(右には仲津山極楽寺があります)。
澤田八幡神社の御神木と仲姫命陵(右) |
仲姫命陵拝所や古室山古墳などのある西側から徒歩で向かう場合は、仲姫命陵拝所の北に鎮座する古室八幡神社裏手(仲姫命陵説明版のある地点)から仲姫命陵北側周濠に沿った道を東(北東)に進みます。約120m歩くと澤田八幡神社の裏手となるので手前を左に入るとすぐに拝殿前への入口が見えて来ます。
コメント
コメントを投稿