壺井八幡宮
2018年3月訪問
壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)は大阪府羽曳野市壺井にある神社です。南河内を南から北に流れる石川の右岸(東側)にある小高い丘の上に鎮座するこの神社は、八幡太郎と呼ばれた源義家や鎌倉幕府の創始者である源頼朝といった日本史に名を残す人物を輩出した河内源氏の氏神として有名です。壺井八幡宮(羽曳野市) |
穏やかな流れの石川と、古い街並み、そして葡萄畑に囲まれたとても静かな神社ですが、周辺には聖徳太子ゆかりの叡福寺をはじめ、多くの古墳や史跡があり、日本最古の官道である竹内街道も通っていることから、歴史スポットを巡るウォーキングのコースとしても人気です。
河内源氏とは
壺井八幡宮を参拝するにはやはり、河内源氏について少し予習しておいた方がより深く歴史を感じられると思います。
南からの参道 |
河内源氏とは、河内国(現在の大阪府の東部)に根拠地を置いた清和源氏(せいわげんじ)の一流で、一般的に武士で「源氏」という場合はこの系統をさします。源氏には祖とする天皇別に21の流派(源氏二十一流)がありますが、清和源氏は第56代清和天皇の皇子などを祖とする源氏氏族です。
清和天皇の曾孫にあたる源満仲(多田満仲)は中級貴族でしたが、藤原氏摂関政治の確立に協力して中央における武門としての地位を確立し、摂津国川辺郡多田(今の兵庫県川西市)の地に武士団を形成しました。
その源満仲の三男、源頼信は寛仁(かんにん)4年(1020年)河内国国司に任じられ、香炉峰(こうろほう・香呂峰とも)と呼ばれるこの地に館を営みました。以降、頼信、頼義、義家の3代にわたって当地に居住し、河内源氏と呼ばれるようになりました。
一の鳥居と壺井の井戸 |
源頼信、源頼義、源義家の三代にわたり武名を顕し、「武家の棟梁」と呼ばれるまでに勢力を拡大しますがその後没落します。しかし、平安時代末期には鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝、さらにその後、室町幕府を開いた足利尊氏などが現れ日本の歴史を動かしていきますが、これらの人物も河内源氏の系譜に連なる人物とされています。
歴史と概要
壺井の井戸(壺井水) |
永承(えいしょう)6年(1051年)、奥州に安倍頼時とその子貞任、宗任の乱がおこり、河内源氏第2代の源頼義に討伐の勅命が下りました。出陣に際し、河内源氏の氏神である石清水八幡宮(現在の京都府八幡市)に詣で戦勝を祈願。苦戦の末、康平(こうへい)5年(1062年)に賊を平定しました(前九年の役)。
頼義は凱旋後、誓願の験ありとして康平7年(1064年)5月15日、現在地である河内国香呂峰にあった私邸の東側に社殿を造営し、石清水八幡宮を勧請したのが始りです。
壺井の井戸 |
この時、地名を香呂峰から壺井と改め、壺井八幡宮を武家源氏棟梁の河内源氏の総氏神とした。この地名の元となった「壺井の井戸」が一の鳥居と二の鳥居の間にあります。この「壺井」には次のような伝説があります。
前九年の役の天喜(てんぎ)5年(1057年)6月7日、奥州の反乱鎮圧に向かった頼義・義家父子の軍は水不足により窮地に陥ります。その時、頼義は下馬脱甲合掌し、「諸軍渇に堪えかね、将に敗戦とす。伏して願わくば軍中に、水を得さしめ給え、帰命頂礼八幡大菩薩南無通法救世大士、擁護の手垂れ給え。」と天に祈り、自ら弓矢をもって岸壁を穿つとそこから清水が湧き出し水を得ることが出来ました。これにより頼義・義家軍は大いに勢いを得て反乱を鎮圧することに成功しました。
凱旋の際、この清水を壺に入れて持ち帰り、城域内に井戸を掘って底に壺を埋めて壺井水と称しました。これ以降、香呂峰の地名は壺井と改められました。奥州の湧水は今の北上川となったといわれています。
壺井水の井戸は現在も完全に保存されており、最近まで飲料水として利用されていました。
南の石段 |
壺井八幡宮の主祭神は八幡神として誉田別尊(応神天皇)、仲哀天皇、神功皇后で、玉織姫、武内宿禰を配祀しています。
後に源頼義は、河内源氏の東国進出の拠点として鎌倉にも石清水八幡宮を勧請しますが、これが後の鶴岡八幡宮です。頼義の5世孫である源頼朝が鎌倉幕府を開いた後は、河内源氏の総氏神は壺井八幡宮から鶴岡八幡宮に移りますが、壺井八幡宮は河内源氏の祖廟として、また当地に土着した河内源氏である石川源氏の氏神とし存続して行きました。
壺井八幡宮の説明板 |
当社は南北朝時代から戦国時代にかけて度々兵火にかかり荒廃しました。現在の社殿は元禄14年(1701年)、徳川綱吉の命により柳沢吉保が再建したもので、平成7年(1995年)に大復元修理もされているようです。
明治時代には八幡神社と称し、近隣の石丸神社(駒ヶ谷村大字通法寺)、神明神社(西浦村大字広瀬)、式内・大祁於賀美神社(駒ヶ谷村大字大黒)、八幡神社(西浦村大字広瀬)、式内・飛鳥戸神社(駒ヶ谷村大字飛鳥)を合祀しました。近代社格では村社。第二次大戦後、現在の壺井八幡宮に改称、合祀されていた式内社の2社も独立しました。
壺井権現社
壺井八幡宮本殿の左奥(北西)には頼信、頼義、義家(義綱、義光も?)を祀る摂社の壺井権現社(壺井神社)があります。こちらは、天仁(てんにん)2年(1109年)、源義家の六男(五男説も)義時が創建して河内源氏の崇廟としたもので、京都・六孫王神社(りくそんのうじんじゃ)、摂津・多田神社と並ぶ源氏三神社の一つです。壺井権現社(壺井神社) |
境内
壺井八幡宮は小高い丘の上にあって南を向いています。参道はそのまま石段を下って通法寺集落の中を南北に貫く道に続いています。当社の南南東約500mには河内源氏ゆかりの通法寺跡や源氏三代の墓があるので、多くの方はこの神社南側の鳥居をくぐられると思います。
石段の上の二の鳥居 |
通法寺跡から通法寺集落の中を北に向かうと少し道が開け、石灯籠と一の鳥居があります。鳥居をくぐるとすぐ左に「壺井の井戸」があり、正面には石段が見えます。石段の下、右手には第二駐車場があり、左の坂を上ると第一駐車場や社務所の側まで行けます。
上から見た通法寺集落の街並み |
石段を上り振り返ると参道から続く古い街並みの中をまっすぐ伸びる道と遠くの山々が見えます。
手水舎 |
石段を登ると二の鳥居があり、その先には木々に囲まれた静かな境内とお社が見えますが、左手の方に社務所や手水舎がありますので、集落から石段を上って参拝される方は一旦こちらへまわる方が良いでしょう。
壺井八幡宮 |
二の鳥居をくぐると、正面には白い塀に囲まれた壺井八幡宮の本殿があり、右手に大きなクスノキ、左手に壺井権現社や前述の手水舎などがあります。
横から見た壺井八幡宮 |
壺井八幡宮本殿などには、ところどころに江戸時代に当社を再建した徳川氏の家紋が見えます。
壺井権現社 |
壺井権現社前には広場があって、ここでは弓馬術礼法小笠原教場奉納行事などの祭典が行われるようです。
権現社の拝殿と本殿 |
権現社の前には鳥居があり、拝殿の奥には白い塀で囲まれた八幡宮と同じような造りの本殿があります。
源義家の歌碑 |
八幡宮と権現社の間にある源義家の歌碑をはじめ、境内には他にも句碑などがいくつかありました。
大クスノキ遠景 |
緑の多い境内は手入れが行き届いていて、とても美しく落ち着けます。
整備されたクスノキ周辺 |
樹齢1000年の御神木 |
境内東側には前述の大変立派なクスノキがあります。このクスノキは樹齢約1000年といわれ、府の天然記念物に指定され「大阪みどりの百選」にも選ばれています。
祭礼や宝物
クスノキの側にある建物跡? |
主な祭礼としては5月の例大祭、6月の小笠原流奉納神事、10月の秋季大祭などがあります。
宝物も多数所蔵されているようですが、代表的なものに国の重要文化財で八幡太郎義家が愛用したとされる鎧、黒韋威胴丸壺袖付(くろかわおどしどうまるつぼそでつき)や、重要美術品の天光丸太刀銘安綱があります。
もう一つの参道
石川寄りにある西の鳥居 |
神社西側にはもう一つの参道があります。この参道へは石川沿いの府道27号から少し東に入った所にある保育園の側から入れます。
急勾配の坂 |
こちらの参道の方が幅がありますが、神社手前の坂はかなり急勾配で、車で登れるのか不明なので徒歩推奨です。
少し階段状の路面 |
急な坂道を登りきると真新しい参集殿や第一駐車場、社務所、トイレなどがあり、こちらから境内に入るとまず手水舎があります。
神社西側の第一駐車場や社務所 |
●壺井八幡宮 公式ホームページ →http://tuboihatimanguu.jp/
アクセス
公共交通機関では近鉄南大阪線「上ノ太子」駅下車。南側の南阪奈道路の高架をくぐり、「上ノ太子駅前」交差点を右折。そのまま南阪奈道路の側道を西へ進みます。「羽曳野東IC前」で左に入り家や田畑の間を1kmほど歩くと石段の下に出ますが、曲がりくねっていて脇道の多いコースです(駅から約1.3km)。迷いにくいのは南阪奈道路の側道を突き当りまで進み、左に曲がって葡萄畑の間を通り第一駐車場の方に出るコースです(駅から約1.8km)。
車で参拝する場合は、国道170号などから南阪奈道路の側道で石川東岸の「羽曳野大橋東詰」交差点を目指します。そこから南(石川上流方向)へ800mほど進むと左手に「壺井 通法寺」や「壺井八幡宮」の看板があるので左折。田畑の中を通り抜け、住宅街の中に入ると若干道が狭くなりますが、突き当りを左に曲がると鳥居や第二駐車場があります。
石段下の第二駐車場 |
車で参拝する場合は、国道170号などから南阪奈道路の側道で石川東岸の「羽曳野大橋東詰」交差点を目指します。そこから南(石川上流方向)へ800mほど進むと左手に「壺井 通法寺」や「壺井八幡宮」の看板があるので左折。田畑の中を通り抜け、住宅街の中に入ると若干道が狭くなりますが、突き当りを左に曲がると鳥居や第二駐車場があります。
葡萄畑を抜けた北にあるかつての第3駐車場? |
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