春日神社
2019年5月訪問
春日神社(かすがじんじゃ)は大阪府南河内郡太子町春日にある神社です。旧家の多い集落の西にある小高い丘の上に鎮座する神社で、周辺は静かな環境ですが、日本最古の官道といわれる竹内街道がすぐ東側を通り、500mほど南には用明天皇陵、また西には聖徳太子の墓所のある叡福寺もあります。春日神社(南河内郡太子町) |
南河内には富田林市彼方の春日神社などいくつかの「春日神社」がありますが、太子町の場合は鎮座地の字名(旧村名)も「春日」となっています。
歴史と概要
春日神社の正確な創建年は不祥ですが、一の鳥居の横にある文字が薄れて消えかかった説明板に記された社伝によると、かつて「春日佛師がこの地にとどまって社を建てたのが本社の起源であると言われている。」とあります。春日仏師とは、当社の鎮座する春日に住んでいたとされる稽文会(けいもんえ)、稽主勲(けいしゅくん)という伝説の仏師です。二人は親子で、奈良時代頃に活躍したとされ、藤井寺市の葛井寺にある国宝十一面千手観音や、大和長谷寺の十一面観音菩薩像を造ったともいわれています。鎮座地はかつての河内国石川郡春日村で、明治4年(1871年)に旧社格の村社に列格。明治時代終わりごろの鎮座地の住所表記は南河内郡磯長村大字春日字上の山となっており、
説明板 |
奈良の春日大社と同じく、こちらの春日神社の御祭神は経津主神、天児屋根命、建見雷神(建御雷神)といった藤原氏に関係の深い神と、誉田別命となっています。他に境内には末社の稲荷神社もあります。
一の鳥居 |
また、春日集落の西部(同じ磯長村大字春日字上の山)には、素盞鳴社とも呼ばれる春日西之宮(かすがにしのみや)がありましたが、こちらは明治40年(1907年)に1.5kmほど南西の科長神社(しながじんじゃ)に合祀されました。その後こちらの春日神社に合祀されました。春日西之宮は太子伽藍の鎮守であったそうで、御祭神は天照大神、素盞嗚命となっています。なお、現在叡福寺の境内には科長岡神社があります。
境内
かつての磯長村大字春日(旧春日村)集落の北西角に当たる小高い丘の上に春日神社は鎮座しています。真っ直ぐな参道 |
民家の間に石造りの鳥居があり、そこから西の高台の上に向かって真っすぐな参道が見えます。この参道は階段ではなく、手すり(柵)の付いた石畳の坂道になっています。
手水舎と二の鳥居 |
坂を上りきると、正面に短い石段とその上の二の鳥居、拝殿が見え、手前の左側には手水舎があります。
駐車場?への坂 |
また、二の鳥居手前から右手にはさらに坂道が続いてます。
手水舎 |
手水舎には「平成四年」と彫られた手水鉢があります。
カエルの石像 |
そして、手水舎の横、狛犬の手前には存在感のある大きな蛙の石像が置かれています。
拝殿とその奥の本殿のある山 |
二の鳥居をくぐると広場のようになっていて、拝殿はもう一段高い石垣の上にあることがわかりますが、当社の本殿は拝殿の裏からさらに高い所にあります。
拝殿 |
唐破風の美しい拝殿は比較的新しい建物のようです。
この奥に本殿 |
手入れの行き届いた拝殿の奥には、本殿に続く石段が見えます。
拝殿左手の稲荷神社 |
拝殿の左手には境内末社の稲荷神社があります。なお、玉垣の向こう側、つまり春日神社の南隣には西宝山光福寺という浄土真宗本願寺派の寺院があります。
稲荷神社 |
稲荷神社の鈴の上には社名が書かれており、「三九稲荷神社」か「三丸稲荷神社」の様にも見えましたが、はっきりとは読めませんでした。
拝殿より二上山を望む |
春日神社は本殿、拝殿、参道がほぼ東に一直線に並んでいるので、拝殿で参拝を済ませて振り返ると、ちょうど鳥居の向こうに二上山が見える素晴らしい景観でした。
全体的に平成期に改修された比較的新しい神社のようにも見えますが、狛犬など江戸時代のものもしっかり残っていました。鳥居、参道、玉垣、石垣など石を多用しており、神職不在神社ながらしっかり手入れされ気持ちよく参拝できる神社でした。
アクセス
最寄り駅の近鉄南大阪線「上ノ太子」駅からは、南口を出て左手に進み「上ノ太子駅前東」交差点から国道166号を「大和高田 太子」方面に進みます。800mほど先の「春日西」交差点を右斜め前へ入り、妙見寺前を通り緑の一里塚手前の坂を右に登ります。あとは道なりに300mほど進み分岐を右に曲がると春日神社の鳥居があります。拝殿前の広場 |
太子町役場方面の国道166号「六枚橋」交差点から向かう場合、西(富田林方面)に進み役場前を通過、最初の押しボタン信号を右折しすぐにまた右へ。磯長郵便局前から道なりに200m少々北に進むと左手に春日神社があります。
路線バスでは「上ノ太子」駅、または近鉄長野線「喜志」駅から金剛バスに乗り、「用明天皇陵前(旧春日口)」で下車すると、30mほど東に前述の押しボタン信号があります。
途中の道路が狭いうえ、神社の坂を上った先の広場が参拝者用駐車場か不明なので徒歩で参拝する方が良いと思われます。
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