科長岡神社
2017年12月訪問
科長岡神社(しながおかじんじゃ)は大阪府南河内郡太子町太子にある神社です。聖徳太子の御廟があることで有名な叡福寺の境内でも奥の方にひっそりと鎮座されています。科長岡神社(南河内郡太子町) |
墓所は「磯長」墓でこちらは「科長」神社ですがどちらも「しなが」と読みます。また、同じ太子町内の2kmほど南東には「科長神社(しながじんじゃ)」という式内社もありますが別の神社です。
歴史と概要
科長岡神社の創建年や由緒は不明ですが、叡福寺の奥、聖徳太子(厩戸皇子)の墓所とされる磯長墓(しながのはか=叡福寺北古墳)のすぐ東、五字ケ峯の南麓に鎮座しており、大正時代に刊行された「大阪府全誌」には鎮座地が南河内郡磯長村大字太子字上城と記載されています。現在の様子から見ると聖徳太子の墓所を守る叡福寺の鎮守社かとも思われますが、少し東の春日集落にはかつて春日西之宮(素盞鳴社)があって、こちらが太子伽藍の鎮守だったようです。このことから科長岡神社は周辺の氏神だったとも考えられます。御祭神は天照皇大神、天御柱國御柱命、天児屋根命、品陀別命、八坂大神、道祖大神、保食大神、菅原道真公、市杵島姫命。
科長岡神社は明治時代に入り旧社格制度で村社に列しましたが、明治40年(1907年)10月19日に近隣の村社素盞嗚神社(春日西之宮)と共に前出の式内社である科長神社に合祀されました(素盞嗚神社は現在春日神社に合祀)。その後、現在の科長岡神社が建てられたようです。
境内
聖徳太子の御廟を参拝し、右手に進むと融通念仏宗を開いた良忍(聖応大師)の御廟がありますが、その左側に石段と科長岡神社の社号標があります。良忍(聖応大師)御廟横の入口 |
石段を上ると、右手に六角形の経蔵、正面に科長岡神社の鳥居があります。
石造りの鳥居 |
鳥居をくぐると小さな広場になっていて、すぐ正面に拝所などがあるコンパクトな造りになっています。ここから奥へは入れませんが、少し横から小さな本殿が見えます。
御祭神 |
前述の様に、御祭神は天照皇大神、天御柱國御柱命、天児屋根命、品陀別命、八坂大神、道祖大神、保食大神、菅原道真公、市杵島姫命と多くの神を祀っており、様々な御神徳でこの地(墓所)を守護出来そうなイメージです。
狛犬と拝所 |
本殿手前に「科長岡神社」の額が架かった門があり、その前で参拝できます。
なお、当社から東北東500m弱の距離に春日神社があります。
アクセス
叡福寺境内の奥にあります。叡福寺へは公共交通機関を利用する場合、近鉄南大阪線「上ノ太子」駅、または長野線「喜志」駅から金剛バスに乗車し「聖徳太子御廟前(旧太子前)」バス停下車すぐです。叡福寺南門(門前に駐車場あり) |
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