長福寺(富田林市) ・旧廿山村の氏神「熊野神社」の跡に建つ融通念仏宗の寺院

長福寺

2021年4月訪問
長福寺(ちょうふくじ)は大阪府富田林市廿山(つづやま)にある寺院です。宗派は融通念佛宗で山号は金林山となっています。現在、難読地名としても知られる廿山地区はかつて廿山村と呼ばれた歴史ある地域で、長福寺の南側にはその名残も感じられますが、東、北、西側にかけては新興住宅地である金剛東ニュータウン(金剛東団地)の整然とした街並みとなっています。

長福寺(富田林市)
長福寺(富田林市)

現在の廿山地区には単独の神社はありませんが、長福寺の建つ場所にはかつて廿山村の村社があったようです。また、旧村域には近くの廿山北古墳をはじめ、多数の古墳があったようです。


歴史と概要

大正時代に刊行された大阪府全志によると、長福寺の正確な開山年は不祥ですが宗派は融通念仏宗で、融通念仏宗の総本山で大阪市平野区にある大念仏寺の末寺であり、御本尊は阿弥陀仏と記されています。また、当時の所在地は南河内郡川西村大字廿山字堂の前で広さ178坪、本堂、庫裡、門があったと記されています。


明治41年(1908年)測図の地図を見ると、現在の長福寺の場所には寺院と鳥居の記号が並んでいこるとから、ここに旧廿山村の村社(氏神・鎮守)があったと思われますが、旧廿山村の村社は伊弉冊命を祀る熊野神社(廿山熊野神社)で、当時の鎮座地は川西村大字廿山の字風呂谷上とされています。明治41年の地図では、その熊野神社から200mほど西の現在廿山の地車格納庫(だんじり小屋)や菊水保育園がある辺りにも寺院の記号があり、もともとこちらに長福寺があったようです。熊野神社の隣にある寺院記号は現在長福寺にある地蔵堂(延命地蔵や正平地蔵?)などの可能性もあります。

明治40年(1907年)8月23日、熊野神社は川西村大字甲田(現富田林市宮甲田町)の錦織神社に合祀されました。その後、昭和に入って長福寺が熊野神社の跡地に移って来たようです。


廿山

長福寺のある富田林市廿山は羽曳野丘陵の南部に位置し、古来河内国錦部郡(にしごりぐん)百済郷に属していましたが、後に廿山村と称するようになりました。

廿山村は羽曳野丘陵南端に近い津々山(二十山)を開拓して出来た村のようで、字二本木には元弘2年(1332年)に楠木正成が築いた城の一つである津々山城がありました。正平14年(1359年)12月23日に京都を発した足利義詮は南朝方の勢力下にある河内国に攻め込み、翌年2月には津々山に布陣。津々山から石川を挟んで3kmほど南東にあり和田氏、楠木氏が立て籠っていた嶽山城(だけやまじょう。龍泉寺城とも)と対峙しています。

また、江戸時代には隣村との争いが発生した結果、村の境界に一部の村人が移住して「五軒家」と呼ばれる出郷を形成したことも知られています。

明治22年(1889年)の町村制の施行により、廿山村は同じ錦部郡の新家村、甲田村、加太新田と合併して改めて廿山村が発足。明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡に変更となります。そして、明治32年(1899年)に廿山村が改称して川西村となり、昭和17年(1942年)、川西村は富田林町、新堂村、喜志村、大伴村、錦郡村、彼方村と合併し、改めて誕生した富田林町の一部となりました。なお、富田林町は昭和25年(1950年)に市制施行して富田林市となっています。

第二次大戦後、パーフェクトリバティー教団(PL教団)が廿山の大部分の土地を買い取り教団本部を建設。後に遊園地(現在は閉園しています)やゴルフ場も建設されました。


境内

長福寺は富田林市廿山地区の中でも旧廿山村集落の北の方にあり、東を津々山台(金剛ニュータウン)、北を高辺台(金剛ニュータウン)、西を寺池台(金剛ニュータウン)といった新興住宅地に囲まれていますが、これらの地域はかつての廿山村の一部だったようです。

長福寺(富田林市)
長福寺の看板と駐車場

道路の整備された津々山台の住宅地の南西部から廿山地区に入ると、程なく「融通念仏宗 南無阿弥陀仏 長福寺」と書かれた大きな看板が見えて来ます。

長福寺(富田林市)
山門

山門は寺院の南西側にあります。

長福寺(富田林市)
延命地蔵尊

山門の手前左側に延命地蔵尊の祠がありますが、こちらは富田林市で最も古い地蔵尊ともいわれているそうです。

長福寺(富田林市)
参道の石段

山門をくぐり、手入れされた美しい境内に入ると、石畳の参道が左にカーブしつつ少し高い所に建つ本堂へ続いているのがわかります。

長福寺(富田林市)
本堂

石段の先に本堂があり、額には山号の「金林山」の文字が見えます。

長福寺(富田林市)
慰霊碑

参拝後、山門付近まで戻り、改めて本堂の方を向くと右手にも道があり、その道沿いに第二次世界大戦出なくなった方の慰霊碑が並んでいます。

長福寺(富田林市)
参道と百度石(右)

慰霊碑前を奥に進むと、右手に古い百度石があり、その先に狛犬が見えて来ます。

長福寺(富田林市)
狛犬

さらに進むと一対の狛犬がありますが、「氏子中」とあることからかつてこの地に鎮座していた旧廿山村の氏神、熊野神社の狛犬と思われます。

なお、この狛犬の手前に石造りの鳥居がありましたが、近年の台風で倒れたようです。

長福寺(富田林市)
石灯篭と祠

狛犬から少し進むと一対の石灯篭と、その先の短い石段の上に建つ祠が現れます。

長福寺(富田林市)
祠の正面

祠は白い壁に囲まれていますが、手前には格子窓があるのでここから御賽銭を入れて参拝出来ます。

長福寺(富田林市)
「正一位信田稲荷大明神」の額

正面に掲げられた神額には「正一位信田稲荷大明神」とあり、内部に狐の像も置かれていたことからこちらで祀られているのは稲荷神で、伊弉冊命を祀る氏神の熊野神社が復社したものではないようです。もとは熊野神社の境内社であったとも。

長福寺(富田林市)
境内北東の広場

本堂の西側に地蔵堂、東側や北側には墓地があります。また、境内の南東側に舗装された駐車場ある他、北東側には広場?や北側からの出入口もあります。


長福寺は新興住宅地と隣り合わせの歴史ある地区に建つ静かな寺院で、境内は桜や紅葉も植えられ良く手入れされているようでした。

周辺では、300mほど東の津々山台2号公園には廿山北古墳があります。


アクセス

府道202号森屋狭山線の「高辺台東」交差点(国道309号から約350m西)から南に800mほど進み「ファミリーマート 富田林津々山台店」前を直進。さらに約130m先を右折し、道なりに100m少々進むと右手に長福寺の看板と駐車場入口があります。山門はさらに20mほど進んで突き当りを右折するとすぐです。

長福寺(富田林市)
西から見た長福寺南側の道路

公共交通機関では、南海高野線「金剛」駅から出る南海バスの「津々山台二丁目」バス停、あるいは近鉄長野線「富田林」駅などから出る富田林市コミュニティバス「レインボーバス」の「津々山台公園南」バス停で下車し、すぐそばのファミリーマートのある交差点南に進み、約130m先を右に曲がると100mほどで長福寺が見えて来ます。

Chofukuji Temple(Tondabayashi City,Osaka Prefecture)


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