用明天皇陵(南河内郡太子町) ・聖徳太子の父の陵とされる巨大な方墳

用明天皇陵

2017年4月訪問
用明天皇陵(ようめいてんのうりょう)は大阪府の南東部、南河内郡太子町春日にある古墳です。考古学的には「春日向山古墳(かすがむかいやまこふん)」とも呼ばれる方墳で、宮内庁により「河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)」として第31代用明天皇の陵に治定されています。

用明天皇陵(南河内郡太子町)
用明天皇陵(南河内郡太子町)

河内国と大和国の間にある二上山の麓にあり、日本最古の官道といわれる竹内街道もすぐ近くを走っています。付近には聖徳太子の墓所があることで有名な叡福寺をはじめ、天皇陵を含む多くの古墳など、歴史ファンに人気のスポットが沢山あります。


用明天皇

用明天皇は第29代欽明天皇の第四皇子として生まれ、母は蘇我稲目の娘で馬子の姉である堅塩媛(きたしひめ)です。別称を橘豊日命(たちばなのとよひのみこと)などと呼ばれ、即位前は大兄皇子(おおえのみこ)とも称されていたようで、第30代敏達天皇の崩御を受け天皇として即位します。皇后は穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)で、その間には第33代推古天皇の皇太子・摂政として有名な厩戸皇子(諡号は聖徳太子)が生まれました。

用明天皇陵(南河内郡太子町)
バス道沿いにある石碑

用明天皇の都は現在の奈良県桜井市、あるいは橿原市にあったとされる磐余池辺双槻宮(いわれのいけのへのなみつきのみや)です。用明天皇が実質的に仏教を公認したことが後の仏教隆盛につながったとされていますが、その在位期間は敏達天皇14年9月5日(585年10月3日)から用明天皇2年4月9日(587年5月21日)とされ、わずか2年足らずであったと伝えられます。

●太子町ホームページ 用明天皇陵 →https://www.town.taishi.osaka.jp/kanko/rekishi_shiseki/yomeitennoryo.html


河内磯長原陵の概要

日本書紀によると、用明天皇は崩御後の7月21日に「磐余池上陵(いわれのいけのへのみささぎ)」に葬られますが、推古天皇元年(593年)に「河内磯長陵」に改葬されたとありますが、古事記では「科長中陵」に葬られたとされています。延喜式(諸陵式)では河内国石川郡の「河内磯長原陵」とされ、現在と同じ名称で記されています。考古学名は前述の「春日向山古墳」ですが、これは字名の向山(大阪府全志では旧磯長村大字春日字向山)から付けられたと思われます。

用明天皇陵(南河内郡太子町)
南東から見た拝所

大阪府南河内郡太子町にある用明天皇陵は東西約65m、南北約60m、高さ約10mの方墳で、周囲には幅約7mの空濠があります。濠の周りの外提まで含めると一辺約100mの巨大な古墳であり、その形は蘇我馬子の墓といわれる石舞台古墳にも似ています。

現在、古墳の周囲は住宅地となっており、少し東には中学校もあります。

用明天皇陵(南河内郡太子町)
宮内庁による看板

用明天皇陵は他の天皇陵と同じく宮内庁が管理していることから周辺は綺麗に整備されています。拝所は南側にあるので、通常参拝する場合は北側のバス道から太子町立太子中学校に向かう道から拝所に向かいます。バス道から拝所への交差点には「用明天皇河内磯長原陵」の石標が建っています。

用明天皇陵(南河内郡太子町)
南西方向より

太子町のこの一帯は多数の皇族の陵墓が集中していることから「王陵の谷」とも呼ばれ、中でも敏達天皇陵推古天皇陵、聖徳太子墓、孝徳天皇陵にこの用明天皇陵を加えた五つの陵墓は梅の花になぞらえて梅鉢御陵(うめばちごりょう)とも呼ばれています。

聖徳太子は用明天皇の第二皇子でしたが、その聖徳太子の墓所は当古墳から600mほど北西の叡福寺境内にあります。

用明天皇陵(南河内郡太子町)
古墳南面を西向きに撮影

また、用明天皇陵の北約450mに春日神社、東南東約1.4kmに磯長神社がある他、周辺には小野妹子の墓や「アスカディア・古墳の森 大阪府立近つ飛鳥博物館」(こちらは河南町)などもあって、歴史ファンには人気のエリアとなっています。

アクセス

公共交通機関の場合、近鉄南大阪線の「上ノ太子」駅、または長野線「喜志」駅から金剛バスで「用明天皇陵前(旧春日口)」バス停下車。少し坂を(西に)下って最初の信号を左折(南へ)です(太子町立中学校方面)。

「上ノ太子」駅から歩く場合は2km強の徒歩になります。南口を出て橋を渡り南阪奈道路の下をくぐって「上ノ太子駅前」交差点を直進します。広い新しく整備された道を歩き、住宅街を抜け「叡福寺東」交差点を目指します。その交差点を左折して最初の信号を右折すると100mほど先に用明天皇陵があります。

用明天皇陵(南河内郡太子町)
徒歩、バス、車いずれの場合もこの交差点の左奥へ

大阪府内から車で向かう場合のわかり易いコースは、まず国道170号(外環状線)で富田林市の「旭ヶ丘」交差点を目指します。大阪市内や藤井寺、羽曳野方面からは左折、河内長野、富田林方面からは右折します。「喜志」駅前の踏切を渡り少し行くと「喜志」交差点(五叉路)に出るので、右斜め前方へ。後は道なりに石川を渡り「叡福寺東」交差点を通過し、次の信号を右折です。

奈良県側からの場合、穴虫峠を越えるルートでは太子町の「六枚橋」交差点を右折、竹内峠からの場合は国道166号線を下り「六枚橋」交差点を左折します。後は太子町役場を過ぎ、太子町立中学の標識のある交差点を左折して約100m先の右側です。

古墳東側の道路に沿うようにスペースがありますが、一般車の駐車可能かは不明です。

Mausoleum of Emperor Youmei (Taishi Town,Osaka Prefecture)


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