小野妹子の墓
2018年7月訪問
小野妹子の墓(おののいもこのはか)は大阪府南河内郡太子町山田にある飛鳥時代の官人、小野妹子の墓所と伝えられる塚です。河内国石川郡の式内社である科長神社(しながじんじゃ)のすぐ側にあり、長い石段を上った先にある同町内でも有名な史跡です。小野妹子の墓(南河内郡太子町) |
この地は、東に金剛山地の岩橋山から二上山に連なる山々が控え、周辺は聖徳太子の墓所がある叡福寺や、皇族の陵墓が集まる「王陵の谷」とも呼ばれるエリアで、日本最古の官道ともいわれる「竹内街道」も少し北を東西に通っています。
小野妹子とは
小野妹子は推古天皇や聖徳太子が登場する飛鳥時代に遣隋使として今の中国に渡った人物ということで知られていますが、正確な生没年は不祥です。生まれは6世紀ごろの近江国滋賀郡小野村(現在の滋賀県大津市小野)で、天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと=記紀等に伝わる古代の皇族)を氏祖とする豪族の小野氏出身といわれています。
「日本書紀」によると、推古天皇15年(607年)、聖徳太子に登用された小野妹子は、第2回遣隋使として通訳の鞍作福利らと大唐(当時は隋)に渡ります。中国の歴史書「隋書」には、この時妹子が携えた日本の天皇から隋の皇帝煬帝(ようだい)に宛てた国書に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)と書かれていたことから煬帝が激怒したとのエピソードが記されています(隋の皇帝視点で、日本の「王」が「天子(皇帝)」を名乗ったため)。
翌推古天皇16年(608年)、妹子は使者の裴世清(はいせいせい)を伴って帰国しますが、途中、朝鮮半島の百済で煬帝の返書を紛失したとされ、流刑に処されました。
しかし、すぐに恩赦され煬帝への返書と裴世清の帰国のために再び隋へと派遣されました。この第3回遣隋使には現在の河内長野市出身とされる高向玄理(たかむこのくろまろ)も留学生として選ばれています。
このように、小野妹子は推古天皇、聖徳太子のもと日本の外交において重要な役割を果たした人物で、冠位十二階の最上位である「大徳」にまで昇りつめました。
また、聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託された妹子が、朝夕に仏前に花を供えたのが華道の始まりとされ、「華道の祖」ともいわれます。今も近鉄長野線の喜志駅前には「聖徳太子御廟」と共に「華衜元祖小野妹子之墓」の碑が建っています。ちなみに、「衜」は「道」の異字体。
墓所の概要
小野妹子の墓への入口は、太子町山田の東條(ひがんじょう)集落の南東端から細い川を渡り少し坂を上ったところにあります。墓所への長い階段 |
坂を上るとちょっとした広場になっていて、正面に小野妹子の墓所(塚)に続く長い石段、左に科長神社の鳥居があります。
科長神社の鳥居(奥) |
「道祖小野妹子墓」 |
長い石段を上り始めると、右側に「道祖小野妹子墓」と彫られた石碑があります。
手すりのある石段 |
長い直線の階段には手すりも付いています。
石段の先に見える塚 |
直線の石段を上りきったところで、正面に墓所の本体ともいえる塚がありますが道はさらに右手に続いています。
華道家元池坊四十三世による墳墓修築紀念の石碑 |
なお、石段を上った左手には石碑等があります。
拝所への階段 |
少し歩くと木々に囲まれた広場のような場所に出て、左に塚への参拝のための階段があります。
「小野妹子之墳」 |
拝所自体はいくつかの石灯籠と石碑等があるだけの質素なつくりで、奥に木の生い茂った小高い塚(古墳)が見えます。
石段途中にある建物 |
前述のように、小野妹子は華道の祖とされ、華道家元「池坊(いけのぼう)」の起こりになったとされることから、現在この塚は池坊によって管理されています。先ほどの長い石段の途中には趣のある和風建築の建物がありますが、これも池坊と関係あるのかもしれません。
トイレへの道 |
その建物の向かいからは石畳のトイレへの道が続いています。
トイレ |
少し歩くと、モダンでしっかりしたコンクリート製のトイレが現れます。この辺りでの歴史ウォーキングなどでは貴重なトイレかもしれません。
水琴窟 |
ここには水飲み施設が併設されていますが、この下には水琴窟の仕掛けがあり、流れた水により可憐な音色を響かせます。
塚の奥にある休憩所 |
また、小野妹子の墓の拝所から少し奥に行くと、休憩所もあります。
アクセス
公共交通機関では、近鉄長野線「喜志」駅から金剛バスの太子葉室循環線に乗り「推古天皇陵前(旧御陵前)」バス停下車。すぐそばの丁字路から東の山に向かって歩き、道なりに900mほど進み突き当りを右に行くと科長神社・小野妹子の墓への坂が見えてきます(推古天皇陵はバス停から300mほど南にあります)。喜志駅東口の「華衜元祖小野妹子之墓」碑 |
車の場合、太子町内の国道166号(竹内街道)沿いにある「道の駅 近つ飛鳥の里・太子」から200m程西(大阪寄り)にある1つ目の信号を目指します。信号から南(太子カントリー倶楽部方面)に延びる広域農道「南河内グリーンロード」に入り、約300m先の信号のある交差点(さらに100m程先を左折しても行けます)を左折し、集落の中を300m程進み突き当りを右に折れると科長神社へ上る坂道が見えてきます。
広域農道から集落へ入ると徐々に道幅が狭くなるのでご注意ください。なお、科駐車場は確認できませんでした。神社への坂の下に駐車可能なスペースがありましたが使用できるかは未確認です。道の駅からでも徒歩で1km弱です。
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