國府八幡神社
2017年11月訪問
国府八幡神社(こうはちまんじんじゃ)は大阪府藤井寺市国府にある神社です。惠我長野北陵と呼ばれる允恭天皇陵(市ノ山古墳)のすぐ東に鎮座する八幡神社で、少し北にはかつて河内国の国府などがあったとされる国府遺跡や同じく河内国の総社といわれる志貴県主神社、さらに黒田神社、大山咋神社もあります。また、西には伴林氏神社、線路を越えた南には土師ノ里八幡神社や有名な道明寺や道明寺天満宮があります。国府八幡神社(藤井寺市) |
現在は近鉄の土師ノ里駅から直線距離で300mほど北東、府道12号堺大和高田(ヤマタカ線)からも約200m北の住宅街の真ん中にある静かな神社ですが、周囲には多くの古墳や神社仏閣、遺跡や街道のある歴史ファンにはたまらないエリアの中にあるといえます。
歴史と概要
国府八幡神社の正確な創建年は不明ですが、近世の初期に5kmほど南にある壺井八幡宮(羽曳野市壺井)の御分霊を勧請して創建されたとされています。八幡神社ということで主祭神は八幡大神(品陀別命=応神天皇)ですが、春日大神、住吉大神も祀られているようです。ちなみに、第19代允恭天皇の陵がすぐ西にありますが、允恭天皇の父は第16代仁徳天皇、そして祖父が第15代応神天皇です。
正式には國府八幡神社 |
明治時代に入り、旧志紀郡国府村の村社となった後、明治40年(1907年)12月23日に北隣りの北條村にある式内社、黒田神社に合祀されました。この年には近隣の数社が黒田神社に合祀されています。第二次大戦後の昭和21年(1946年)6月2日、黒田神社から元通りに複社し、国府地区の氏神として現在に至っています。祭礼は10月。
本殿は江戸中期の建造とされていて、拝殿には万延元年(1860年)の棟札がありましたが、比較的最近修復が加えられたようで、全体的に新しい感じのする神社です。
藤井寺市には国府八幡神社をはじめ、古室八幡神社、澤田八幡神社、土師ノ里八幡神社、津堂八幡神社といった八幡神社が氏神として祀られていますが、羽曳野市の壺井八幡宮の御分霊を勧請して創建された国府八幡神社以外は、誉田八幡宮から勧請されたという説もあります(津堂八幡神社の縁起には同社が松原市にある深居神社から分祀されたとあります)。
石段の向こうに続く参道と拝殿 |
国府八幡宮を「こくぶはちまんぐう」と読むと、令制国(河内、和泉、大和など)の国府(府中=今の都道府県庁所在地)の近くに創建され、国衙(こくが=今の都道府県庁)や国分寺の鎮守の八幡宮という位置づけの神社で、日本各地にあります。
国府や国衙が機能していたのは平安時代ごろまでといわれているので、藤井寺市の国府(こう)八幡神社は数百年後の近世に上記のような役割で建てられたというより、志紀郡国府村に由来し、現在も使われている国府(こう)という地名からこの名称になったと思われます。
国府八幡神社の鎮座地周辺は、明治の初めまで河内国志紀郡国府村と呼ばれていましたが、明治22年(1889年)に、北条村、船橋村、大井村、道明寺村と合併して新たに道明寺村が発足しました。道明寺村は明治23年(1890年)に志紀郡澤田村と合併し、改めて道明寺村が発足。明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡となりますが、この当時の当社鎮座地は南河内郡道明寺村大字国府字ワラヒとなっています。ちなみに、大字国府(旧国府村)には字藤の木に志貴県主神社(総社)もありました。
その後の道明寺村は昭和26年(1951年)に町制施行して道明寺町となり、昭和34年(1959年)に藤井寺町と合併して藤井寺道明寺町となりました。翌年には町名を美陵町と改称し、昭和41年(1966年)に市制施行して美陵市となりますが、即日改称して現在の藤井寺市となりました。
国府八幡神社は神職不在神社で、現在は道明寺天満宮が管理しています。
境内
社殿や参道は東向きで、東高野街道から60mほど西にある神社入口には新しく見える石の鳥居があります。鳥居の裏側には「河内国府神宮」や「享保五年(1720年)庚子九月」などと彫られていますが、今の鳥居は再建されたものなので、これは昭和54年(1979年)に解体保存された以前の鳥居の再現かと思われます。社号標は昭和42年(1967年)10月の建立。
その鳥居の前では京都から高野山へ向かう東高野街道が東から来て南にほぼ直角に曲がっています。ここから東高野街道を東(その後北)へ進むと大和川を渡り柏原へ。南に向かうと長尾街道と交差し、道明寺や応神天皇陵、誉田八幡宮を経て古市に至ります。
綺麗に整備された境内 |
石の鳥居をくぐると真っ直ぐ伸びた参道が目に入ります。奥に見える拝殿までは大きな木もなくとても明るい境内となっていて、神社の敷地としては幅20m弱、奥行き60m位と思われます。
参道の両側には江戸時代の石燈篭や古い狛犬も並んでいます。
拝殿と狛犬 |
拝殿の左右には壁があってこれ以上先には進めませんが、拝殿や神社南側の細い道から本殿を見ることが出来ます。
本殿 |
本殿は八幡大神を主祭神とする前述の三神を祀る社殿となっていますが、本殿向かって右側に少し離れてもう一社祭られているのがわかります。こちらの社の前には小さな狛犬が控えていますが、祭神など詳細は不明です。
宮の南塚古墳
国府八幡神社の南側、拝殿に向かって左手には細い道を挟んで宮の南塚古墳があり、境内からも見えます。宮の南塚古墳は允恭天皇陵の陪塚古墳とされ「允恭天皇陵は号陪冢(いんぎょうてんのうりょうはごうばいちょう)」として宮内庁により管理されています。円墳ですが、道と国府八幡神社の境内で少し削られているようです。宮の南塚古墳(藤井寺市) |
アクセス
最寄り駅は近鉄南大阪線「土師ノ里」駅です。改札を出て右に見える「土師の里」交差点を右折し府道12号線(ヤマタカ線)を線路沿いに東(石川方面)へ歩きます。一つ目の押しボタン式信号を左折し東高野街道に入り200mほど北に進むと左側にあります。車で行く場合は、国道170号線(外環状線)の「沢田」交差点を東に向かい、上記の府道12号線土師ノ里駅上の「土師の里」交差点付近でコインパーキングを探すか、允恭天皇陵の記事で触れているコインパーキングを利用すると良いでしょう。「土師の里」交差点から石川方面に向かい、東高野街道の押しボタン式信号の手前にある小さな駐車場が最寄です。
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