津堂八幡神社(藤井寺市) ・津堂城山古墳内に鎮座する氏神様

津堂八幡神社

2017年12月訪問
津堂八幡神社(つどうはちまんじんじゃ)は大阪府藤井寺市津堂にある神社です。その鎮座地は、古市古墳群を構成する古墳の一つで、国の史跡にも指定されている津堂城山古墳の北西、後円部となっています。

津堂八幡神社(藤井寺市)
津堂八幡神社(藤井寺市)

同古墳は、宮内庁により第19代允恭天皇を被葬候補者とする「藤井寺陵墓参考地」として陵墓参考地に治定もされていますが、同庁が厳重に管理しているのは後円部墳丘頂上付近の金網で囲まれた区域のみなので、それ以外は公園や資料館、そして神社などになっているので立ち入ることが出来ます。

●津堂城山古墳について詳しくは →http://kininarugou.blogspot.com/2018/06/blog-post_29.html





歴史と概要

津堂八幡神社の主祭神は八幡神社ということで「品陀別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)」となっています。また、本殿向かって右側の境内社津堂稲荷神社には稲倉魂命(うかのみたまのみこと・倉稲魂命、宇迦之御玉神とも)が祀られています。

正確な創建年は不明ですが、平成29年(2017年)に記された境内に掲げられている由緒略記によると、鎌倉時代末期の元弘から建武年間(1331~1335年)に現在の松原市小川の品陀別命を祀る深居神社から分祀されたとされています。

深居神社は奈良時代の創建と伝えられ、河内国丹北郡小川、津堂、大堀、若林、川辺の恵我五か村の産土神でしたが、建武の兵乱により一時焼失し、大堀八幡神社若林神社など各村に分祀されたそうです。

津堂八幡神社(藤井寺市)
津堂八幡神社由緒略記

津堂八幡神社は当初、現在地より北西の津堂墓地や元シャープの工場のあった付近(現レッドウッド)に鎮座していたようです。室町時代、津堂城山古墳にはその地形を利用して三好氏の小山城が築かれていて、永禄9年(1566年)に三好康長が当神社を祈願所としました。しかし天正3年(1575年)、織田信長の河内攻めにより小山城は落城。その際、当時の津堂八幡神社も焼失したと思われます。

津堂八幡神社(藤井寺市)
石碑の裏側に彫られた社歴

享保元年(1716年)、新大和川の氾濫により社殿が浸水崩壊し、享保5年(1720年)に津堂城山古墳後円部頂西端の現在地に遷座されました。ちなみに、津堂村の集落が現在の藤井寺高校から津堂墓地周辺にあったものが古墳西側に移されたのもこの頃のようです。

明治22年(1889年)に津堂村は丹北郡の小山村と共に志紀郡小山村に編入され、明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡となりました。明治42年(1909年)1月、いわゆる神社合祀令により古墳南端より100mほど南にある小山村の産土神社(小山産土神社)に合祀されてしまいます。明治45年(1912年)の古墳発掘時、住民は竪穴式石室天井石の一枚で八幡神社跡の記念碑を建立しました。大正4年(1915年)に小山村は藤井寺村と合併しましたが、当時の津堂八幡神社の鎮座地住所は南河内郡藤井寺村大字津堂字二の丸となっています。

第二次大戦後の昭和25年(1950年)には再び現在地に復元遷座しました(石碑には昭和23年(1948年)に氏神として復社とも)。

現在は津堂村の氏神として周辺住民の初詣などで賑わう他、普段は憩いの場としても親しまれているようです。歴史ファンには藤井寺市の古墳や神社仏閣、史跡巡りのコースに入れておきたいスポットの一つです。なお、津堂八幡神社は神職不在のため藤井寺駅南にある辛國神社が管理しています。

境内

津堂八幡神社は古墳の後円部の一部ということでそれ程広くはありませんが、社殿後背の「藤井寺陵墓参考地」の木々が鎮守の森のような雰囲気ということもあり狭さは感じられません。

津堂八幡神社(藤井寺市)
鳥居

参道は旧集落地方面から東に延びる道を進み、古墳の内濠を渡って鳥居をくぐる形になりますが、古墳内を通って鳥居前に出ることもできます。

鳥居に向かって右手に社名の彫られた石碑がありますが、これは平成23年(2011年)に建立されたもので裏に神社の略歴が記されています。これの先代の石碑は、前述の後円部頂にある竪穴式石槨(せっかく)と呼ばれる古墳の埋葬施設の天井石流用したもので、現在は隣接する「史跡城山古墳ガイダンス棟・まほらしろやま」に展示されています。

津堂八幡神社(藤井寺市)
拝殿と境内社

鳥居をくぐり、短い石段を上ると少し左手に拝殿、右手に境内社の赤い鳥居が見えます。拝殿左の建物は倉庫でしょうか。

津堂八幡神社(藤井寺市)
拝殿

石段を上ったところの狛犬は歴史を感じさせるのもでしたが、拝殿前の狛犬は比較的近年奉納されたもののようです。

津堂八幡神社(藤井寺市)
津堂八幡神社拝殿の額

神職不在ながら境内は手入れが行き届いており、氏神として地域の人々に大切にされている神社のようでした。

津堂稲荷神社

拝殿右手(西側)の少し奥まったところに鎮座する津堂稲荷神社は稲倉魂命を祀っています。創建年代は不明ですが、八幡神社がこの地に遷座された享保5年頃ではないかと推測されています。

津堂八幡神社(藤井寺市) 津堂稲荷神社
津堂稲荷神社

稲荷神社ということで、農業、商工業を含め産業全体の神、さらに家内安全を祈願する神護の神として信仰されており、当社では毎年4月第二日曜日の花鎮め祭で無病息災を祈願しています。最も奥の鳥居の額には「正一位 白王大神、大玉大膳、眼力大神」と記されています。

津堂八幡神社(藤井寺市) 津堂稲荷神社
「正一位 白王大神 大玉大膳 眼力大神」の額

アクセス

藤井寺市の北部、府道2号線(旧中環)の大和川に架かる大正橋の南詰から西名阪自動車道の下をくぐった少し南、右手に津堂城山古墳があります(大阪前田製菓のすぐ近く)。府道12号(ヤマタカ線)の「小山」交差点からは北に約800m左側にあります。八幡神社は古墳の中でも北西の端なので「史跡城山古墳ガイダンス棟・まほらしろやま」から反時計回りに古墳を回るとすぐです。

車で行く場合、古墳や神社には駐車場がないので、古墳から府道2号線を200mほど南(藤井寺市中心部方面)にある「ふじみ緑地(公園)」の駐車場を利用してください。ここがいっぱいの時は藤井寺市役所の駐車場が使用できるようです。市役所はここから更に南に進み、「小山」交差点を右折したすぐ先です。

公共交通機関では近鉄藤井寺駅、または近鉄八尾駅、地下鉄八尾南駅から近鉄バスで「大正橋南詰」または「小山」バス停下車。

Tsudo-Hachiman Shrine(Fujiidera City,Osaka Prefecture)


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