小山産土神社
2018年12月訪問
小山産土神社(こやまうぶすなじんじゃ)は大阪府藤井寺市小山にある神社です。津堂城山古墳の南に位置し、古い街並みも同居する住宅地の中に鎮座しており、隣接する清圓寺をはじめ、周辺には善光寺などのいくつかの寺院があります。小山産土神社(藤井寺市) |
現在は静かな環境の中にある産土神社ですが、かつての街道に面しており、その社殿の蟇股(かえるまた)は藤井寺市内でも最古級の神社建築として大変貴重なものです。
歴史と概要
小山産土神社の正確な創建年は不詳ですが、鳥居の前に設置された比較的新しい説明板(案内板)によると、産土神社の歴史は室町時代にまで遡るようです。現本殿の蟇股は桃山時代のままの姿を残しておりますが、この蟇股は藤井寺市内で最古のものであり、神仏習合社の証しといえます。ちなみに蟇股とは、柱の頂部をつなぐ頭貫(かしらぬき)と軒下の桁との間や、梁の上に置かれる部材のことで、カエルが股を開いたような形からその名が付いたようです。その他、虹梁(こうりょう)や木鼻(きばな)等は江戸時代前期のものと推定されているそうです。
元禄5年(1692年)の「寺社数改帳」に河内国志紀郡小山村の守護神、「小山牛頭天王」と、隣接する寺院天王山清圓寺が記載され、当社の神紋と清圓寺の仏紋が同じ「五瓜に唐花」と成っていることから、清圓寺の鎮守社として牛頭天王を祀っていたと思われます。なお、大正時代の後期まで、祀り事は清圓寺の住職により行われていました。
説明板(裏) |
明治時代になると、神仏判然令(神仏分離令)が出されますが、明治12年(1879年)以降の本殿、御神鏡裏には「河内小山坐 進雄(スサノオ)神社鏡神社鏡」と記されております。明治42年(1909年)に、北の津堂城山古墳に鎮座する津堂八幡神社を合祀しました(現在は復社)。
その後、昭和17年(1942年)寄進の神社前の石碑に「産土神社(生まれた土地の神)」とありますが、神社庁には、戦後の昭和27年(1952年)頃に産土神社と登録されております。
説明板(表) |
現在の小山産土神社の主祭神は素戔鳴命(すさのおのみこと=牛頭天王)となっており、境内社に金刀比羅社と稲荷社があります。
当社は神職不在神社で、同市内の辛國神社によって管理されています。
小山村
鎮座地周辺は小山という地名ですが、明治の初めまでは東の方が河内国志紀郡小山村で、西の方は丹北郡に属していました。明治22年(1889年)の町村制施行時に丹北郡の小山村が津堂村と共に志紀郡小山村に編入され、明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡となりました。大正4年(1915年)、小山村は藤井寺村と合併し藤井寺村の大字として名が残ります。当時の産土神社の鎮座地住所は南河内郡藤井寺村大字小山字乾丁。
その後の藤井寺村は昭和3年(1928年)に藤井寺町となり、昭和34年(1959年)に道明寺町と合併して藤井寺道明寺町となりました。翌年には町名を美陵町と改称し、さらに昭和41年(1966年)に市制を施行し美陵市となりますが、即日市名を改称し現在の藤井寺市となりました。
境内
小山産土神社の前の道は、静かな住宅地の中にありながらも、かつての街道だったからか今も交通量はそこそこあります。その街道は今の鳥居の前付近で西と南にほぼ90度折れていて、西に行けば津堂を経由して平野や大坂へ、南に行けば岡を通って長尾街道や竹内街道、東高野街道などにつながっていました。鳥居周辺 |
道路に面した産土神社の入口には石造りの鳥居がありますが、そこ以外は高い塀で囲われています。前述の、当社の神紋と清圓寺の仏紋が同じ「五瓜に唐花」ということは、当社の屋根瓦などにある紋と、清圓寺本堂の屋根の紋などで確認できます。
鳥居の手前左側に説明板があり、由緒記や参拝順序、参拝の作法について書かれています。
「産土神社」の額 |
社名標や鳥居の額に「産土神社」と表記されていますが、改めて産土神(うぶすながみ)について記すと...もともと産土とは、産室のある場所の砂や土の事を意味していましたが、やがて誕生の地を意味するようになったといわれています。また、産土神とは生まれた土地(出身地)の神で、いわゆる集落の守護神のことを指しています。今では氏神や鎮守と同じような意味でつかわれることが多いようです。
手水鉢・百度石・絵馬掛 |
鳥居をくぐると、左手に手水鉢と百度石、絵馬掛などがあります。
拝殿 |
鳥居から正面には拝殿があり、その手前に燈篭や狛犬が並び、右手に金刀比羅社、左手に稲荷社が見えます。
拝殿正面の神紋 |
拝殿の奥には幣殿、本殿があり、その本殿は一間社流造で、主要部分は創建当時の状態をよく留めています。
本殿には主祭神の素戔嗚尊命が祀られており、疫病神として、また魔除等の御利益があるとされています。神仏習合時の「本尊」としての江戸時代後期作の牛頭天王の仏像神や、「進雄尊」の文字のある御神鏡や釜等もこちらに祀られている他、奉納絵馬や祭礼で使われる御神輿も収納されているようです。
金刀比羅社 |
案内板にあった参拝順路で、2番目にお参りするのが拝殿右手にある金刀比羅社です。
金刀比羅社の鳥居 |
金刀比羅社は水の神として大物主神が祀られています。本来は、本尊の十一面観音菩薩を本地仏として、右側に不動明王、左側に毘沙門天の2体の脇侍仏となるところ、産土神社の金比羅社内は、同様に3社宮となっているものの明治32年(1899年)以降は現在の大物主命の御神垂が祀られ、両脇社内は神垂のみとなっているそうです。
稲荷社 |
参拝順路の3番目は拝殿左手にある稲荷社です。こちらは他の社殿よりかなり新しいようです。
屋根付きの参道 |
「お稲荷さん」ということで、朱色の鳥居が並ぶ光景にも見える屋根付きの参道が印象的です。
稲荷社のお社 |
農耕の神、商売繁盛の神として知られる稲荷社ですが、こちらでは「本尊」として江戸時代後期作の稲田姫の仏像神が祀られています。
什物を収める倉庫? |
拝殿と金刀比羅社の間を少し奥に入ると案内板に「什物」と書かれた、いわゆる倉庫の様な建物があります。
幣殿から本殿 |
拝殿の横からは幣殿、本殿の外観がよくわかります。
社務所 |
一方、稲荷社と本殿の間には比較的新しい社務所があります。
石灯籠と神輿臺(台) |
鳥居から拝殿に向かって右側には5つの石灯籠が並んでいますが、その前にはこちらも石造りの神輿台があります。
江戸時代頃の灯籠の列 |
小山産土神社の境内には多数の灯籠や狛犬がありますが、江戸時代のものが沢山あり、奉納された年を調べると様々な元号を見ることが出来ます。
境内の様々な石碑 |
街中のコンパクトな境内ながら、手入れが行き届いていて古いものが大切に伝えられている見どころの多い神社といえます。
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