土師ノ里八幡神社
2020年4月訪問
土師ノ里八幡神社(はじのさとはちまんじんじゃ)は大阪府藤井寺市道明寺町にある神社です。石川西岸の静かな住宅街の中に鎮座する神社ですが、近くには駅があり、交通量の多い国道や府道もすぐそばを走っています。
土師ノ里八幡神社(藤井寺市) |
歴史と概要
土師ノ里八幡神社の正確な創建年は不明です。八幡神社ということで御祭神は八幡大神(誉田別命(ほんだわけのみこと)=応神天皇)となっています。現地に由緒記や説明板が無く、詳細はわかりませんが、大阪府神社庁のホームページなどによると、江戸時代初期に1.5kmほど南南西にある誉田八幡宮から御分霊を勧請して創健されたそうです。なお、同庁ホームページなどでは「土師里八幡神社」表記となっています。
土師ノ里八幡神社の周辺には、澤田八幡神社、古室八幡神社、国府八幡神社、津堂八幡神社と、多くの八幡神社が氏神として祀られていますが、羽曳野市の壺井八幡宮の御分霊を勧請して創建された国府八幡神社以外は、誉田八幡宮から勧請されたものという説もあります。これは、豊臣秀吉の太閤検地の際に当時の澤田村が誉田八幡宮の神領となったことに関係すると考えられます。ちなみに、津堂八幡神社の縁起には同社が松原市の深居神社から分祀されたとあります。
境内には江戸時代の「元文四己未年(1739年)八月」の銘のある石灯篭があります。
「関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター 神社を中心とする村落生活調査報告(二)大阪府-大阪府 北河内郡・中河内郡・南河内」によると、当八幡神社の氏子は江戸時代の天明年間(1781年~1789年)頃までは戸数70戸余りありましたが、飢饉のため亡くなったり他の場所へ移ったため著しく減少し、農作を専業としていた人々がようやく生き延びたそうです(昭和初期の氏子は30戸余り)。
明治5年(1872年)に旧社格制度で村社に列し、明治の末に周辺の大きな神社に合祀されることもなっかたようです。
「元文四己未年八月」の燈篭 |
なお、現在の鎮座地住所は藤井寺市道明寺1町目となっていますが、かつてこの周辺は河内国志紀郡澤田村でした。澤田には二つの八幡神社があり、一つはこの字小林の八幡神社、そしてもう一つが仲津姫命陵の北側に鎮座する字上ノ段の八幡神社でした。上ノ段八幡神社は現在澤田八幡神社と呼ばれ、境内に近鉄南大阪線の踏切があることで知られています。
明治22年(1889年)に、澤田村は古室村、林村の区域も含むようになりますが、明治23年(1890年)に志紀郡道明寺村と合併し、改めて道明寺村が発足することになります。明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡となり、この当時の当社鎮座地は南河内郡道明寺村大字澤田字小林内畑となっています。
その後の道明寺村は昭和26年(1951年)に町制施行して道明寺町となり、昭和34年(1959年)に藤井寺町と合併して藤井寺道明寺町となりました。翌年には町名を美陵町と改称し、さらに昭和41年(1966年)に市制を施行し美陵市となりますが、即日改称して現在の藤井寺市となりました。
土師ノ里八幡神社は神職不在神社で、道明寺天満宮により管理されています。
祭礼
現在の祭礼については不明ですが、前出の「神社を中心とする村落生活調査報告(二)」の資料によると、かつては毎年1月15日早朝に左義長の大火を燃やし、夏祭が7月25日に、秋祭が10月9日に執り行われていたようです。
また、明治の中頃までは「ウ祭(うまつり)」という祭もあったようです。「ウ」は「卯」のようで、毎年2月の初の「ウの日」に村人は仕事を休んで祭礼を執り行っていましたが、昭和の初めごろにはすでになくなっていました。
境内
小字小林は允恭天皇陵の南、道明寺の北の地域で、その東側で長尾街道と東高野街道が交わっていました。そんな小林の中で土師ノ里八幡神社は、東高野街道から一本西の道沿いに鎮座しています。
神社北東より |
境内は東西23~25m、南北11m~15mで、本殿、拝殿、参道、鳥居と一直線にほぼ東を向いています。また、境内東側は比較的新しい玉垣で囲われています。境内には数本の木が見えますが、本殿横南側の木が特に大きいです。
鳥居の額 |
石造りの鳥居の額には「八幡神社」とだけあります。
参道と拝殿 |
手入れの行き届いた境内には石畳の参道が西側の拝殿まで伸び、その両側に「元文四己未年」と彫られた燈篭が建っています。
拝殿の様子 |
参道の先は短い石段の上に拝殿があります。こちらは割拝殿となっていますが格子があるので通常はここまでしか進めません。
本殿 |
拝殿の先には本殿が建っています。ちなみに、参道から本殿の延長線上には鍋塚古墳があります。
拝殿中央の奉納絵馬 |
拝殿はかなり開放的な造りとなっていて、中央の通路の上に大きな武者の奉納絵馬が掛けられています。
左側の絵馬 |
また、拝殿の左部分にも鎧武者の絵馬があります。拝殿の奉納絵馬はいずれも大型で歴史のあるもののように見えますが、吹きさらしのためか、かなり色褪せているように見えます。
神社北西より |
土師ノ里八幡神社の裏に当たる西側には小さな児童公園があり、神社南側の土師ノ里会館(集会所)とつながっているようです。また、神社前の道路を少し南に行くと真宗大谷派の藤島山宗徳寺があります。
アクセス
近鉄南大阪線「土師ノ里」駅の改札を出てすぐ右手にある国道170号(旧道)と府道12号堺大和高田線(ヤマタカ線)が交わる「土師の里」交差点から東(右)に向けて線路沿いを歩きます。左手に允恭天皇陵を見ながら100mほど進むと、右手の線路にある踏切へ下る細い坂道があるのでそちらに入り、車の通れない細い踏切を渡ります。踏切を越えると20m少々先の右手に土師ノ里八幡神社があります。
神社東側の道(奥に近鉄電車) |
土師ノ里八幡神社に駐車場はありません。裏の公園横にある駐車場は月極駐車場です。
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