天神社
2020年3月訪問
天神社(てんじんしゃ)は大阪府河内長野市滝畑にある神社です。河内長野市南西部の旧滝畑七ヶ村の氏神で、大梵天王社(だいぼんてんのうしゃ)とも呼ばれています。天神社(河内長野市) |
道路からはそれほど離れていないものの山の上にあり、急な長い石段を上った先にある境内からは、滝畑ダムのダム湖を眼下に望むことができます。
●滝畑ダムについてはこちら →【南河内探訪】滝畑ダムとその周辺(河内長野市)
歴史と概要
天神社の正確な創建年は不詳ですが、南北朝時代にあたる興国6年(1345年)の棟札が見つかっていることからそれ以前からのものと考えられています。「天神社」ということで御祭神は菅原道真公のように思われますが、天照大神(あまてらすおおみかみ)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀っています。鳥居前にある説明板 |
元々は神仏習合をよく表す大梵天王社と呼ばれた神社で、御祭神として大梵天王が祀られていました。梵天とは、仏教で天界に住む者、つまり天部の一柱で、もとは古代インドの神ブラフマーが仏教に取り入れられたものだそうです。仏教の二大護法善神として帝釈天と一対として祀られることが多く、両者を併せて「梵釈」と称することもあります。
廃仏毀釈により社名を現在の天神社に改めたのかもしれませんが、比較的新しい鳥居などにも大梵天王社の社名を見ることが出来ます。
明治時代以降、滝畑各村の神々が当社に合祀され現在に至っています。
境内にある天神社修復記念碑 |
河内長野市のホームページなどによると、天神社では、江戸時代初期に建立された本殿と室町時代作の鉄製湯釜が昭和51年(1976年)3月30日に、江戸時代から明治期の作と見られる木製灯籠が平成8年(1996年)3月26日に河内長野市指定有形民俗文化財に指定されています。
鮮やかな朱色の本殿は、三間社流造(さんげんしゃながれづくり)と呼ばれる造りで、梁間二間、銅板葺の建物で、正面中央に軒唐破風を飾り、本棟には千木・勝男木をおいています。内陣は縦に三分されており、ご祭神の大照皇大神(天照大神)、伊弉諾尊、伊弉冉尊が祀られています。
当社には、現本殿以外のものも含めて永正年間(1504~1521年)、天文年間(1532~1555年)、および江戸時代初期の棟札が多数残されており、その中に前述の興国6年の棟札もあります。また、本殿前西瑞垣には脚部を切断して使用されている蟇股(かえるまた)がありますが、その様式は南北朝時代の頃のもので、この時建立された本殿のものであったと考えられています。
現在の本殿の主な部分は元和年間(1615年~1624年)に立て替えられたものとされますが、江戸時代初期のものとしては斬新な様式となっていて、屋根の形にも特色が見られる貴重な遺構となっています。
市指定文化財天神社本殿の説明板 |
湯釜には「大梵天王宮御寳前長禄四年三月八日」との銘があることから、大梵天王社のために長禄4年(1460年)に造られたことがわかっています。湯釜は修験道と関わりの深い貴重な遺品として、現在は滝畑ふるさと文化財の森センターに寄託されています。
天神社は神職不在神社のようで、大阪府神社庁のホームページによると連絡先は富田林市にある美具久留御魂神社となっています。
参道と境内
天神社への一般的な参道入口は、蔵王峠を越えて和歌山県へ抜ける府道61号堺かつらぎ線沿いの堂村集落と西之村集落の間にあります。「大梵天王社」の鳥居 |
湖畔を走る堺かつらぎ線の山側に石の社号標と立派な石造りの両部鳥居などがあります。なお、社号標は「天神社」ですが、鳥居の額は「大梵天王社」で「大梵」が小さく横書きのようになっています。
鳥居の左手にある定書 |
鳥居の左側には「大梵天王社社務所」による注意書きの石版があります。これによるとこちらは山自体が御神体の神体山となっているようです。
長い石段 |
鳥居をくぐると、参道は長い長い石段となります。
踊り場の石燈籠 |
しばらく上ると一対の石燈籠がある最初の踊り場があります。
いつしか石段は尾根の上に |
少し上ると先ほどより狭い踊り場に到達。
最後の石段 |
さらに上るとまた一対の石燈籠があり、参道は左に折れ、短い階段を上るとちょっとした広場のような場所に出ます。
直会所?裏の広場 |
この広場は直会(なおらい)所と思われる建物の裏手にあたり、鳥居横から続いている車道がここにつながっているようです。
石段側から本殿前へ |
建物の左側を抜けると境内のほかの建物が見える本殿下付近に出ます。
石段側の手水鉢 |
ここで左を見ると、手水鉢があり、その向こうには滝畑ダムのダム湖やそこに架かる夕月橋が見えます。
境内の中央付近まで来ると、向こう側にもこちらへ上ってくるような道が見えます。どうやらこちらも参道のようです。
西之村からの参道入口 |
長い石段とは別のもう一つの参道は、西之村集落北端の民家の隣に入口がありました。
小祠へはこの辺りを左に |
こちらの参道は石段ではなく比較的なだらかな坂道が続きます。上り始めはかなり狭いところもあり、石段の参道より距離も長いですが、急な石段よりは幾分楽に上れるかと思われます。
参道の山側にある小祠 |
なお、坂道の途中には左側に入る小路があり、少し上ると森の中に手水鉢、そして小さなお社がありますが、こちらの御祭神は不明です。
坂道の参道から見た境内 |
西之村からの参道を上ると広い境内に出て、奥の方に本殿や舞台、社務所などの建物が見えることから、本来はこちらが正面だったのかもしれません。
坂道側の手水鉢 |
こちらの参道を上りきると、右側にまた別の手水鉢があります。
社務所? |
本殿の向かいに当たる境内東側に社務所のような建物がありますが、無人のようです。
直会所? |
本殿に向かって右側にあるのが直会所?で、鳥居から石段を上ってくるとのこ建物の裏から出て来ます。
本殿前の舞台 |
本殿の正面の石段下には舞台があります。同じ河内長野市内の西代神社のように神楽の奉納があるのかは不明ですが神事を執り行ったりするのかもしれません。
本殿向かって左側の石燈籠等 |
また、本殿に向かって左側には多数の石燈籠が並んでいる他、天神社修復記念碑や「市指定文化財 天神社本殿」の説明板などがあります。
舞台奥の木製灯籠 |
舞台の奥、本殿前の石段の下には、こちらも市指定文化財である木製灯籠があります。この灯籠は、昭和20年代まで新年や秋の収穫祭で実際に火がともされていたそうで、制作年代は江戸時代末期から明治時代初期とそれほど古くありませんが、当地域にかつて多く見られた極彩色の木製灯籠としては、現在では唯一のもののようです。
奉納された武者の絵 |
舞台には額に入った武者の絵などが奉納されています。
本殿前の石段 |
朱色の木製灯籠の間からは上の本殿に続く石段があります。
本殿前の狛犬 |
石段上には古そうな狛犬が置かれ、その奥に本殿があります。
本殿 |
山の緑に囲まれた鮮やかな朱色の本殿は市の有形指定文化財(建造物)となっています。
本殿向かって左手のお社 |
また、本殿に向かって左手にも小さなお社がありましたが、御祭神は不明です。
アクセス
南海高野線・近鉄長野線「河内長野」駅から南海バス、または日野・滝畑コミュニティバスに乗り「滝畑ふるさと文化財の森センター前」バス停で下車。約450m南(上流側)に石段下の鳥居があります。国道170号(外環状線)からは天野山第一トンネル南側から南東の「滝畑」方面へ進み、約4km先(関西サイクルスポーツセンター前を通過)の突き当りを右折し府道218号河内長野かつらぎ線に入ります。すぐに滝畑第二隧道があるのでトンネルを出て直進し(途中から府道61号)、約1.9km南に鳥居があります。
鳥居の横から境内裏手の広場まで車道があるようですが、普段はロープが張られ車は入れないようなので一般の参拝時には駐車できないようです。
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