西代神社
2017年8月訪問
西代神社(にしんだいじんじゃ)は大阪府河内長野市西代町にある神社です。住所の「西代」と同じく「にしだいじんじゃ」という人も多いようです。西代神社(河内長野市) |
河内長野市の多目的ホールである「ラブリーホール」のほど近くにあり、国道170号線の旧道に面しています。住宅街の中にある普段は静かな神社ですが、例祭には地車や神輿の宮入と神楽も奉納されます。
拝殿前の酒樽 |
歴史と概要
西代神社の正確な創建年は不詳ですが、楠木正成の本拠地に近いこともあり南北朝時代には南朝方の諸将に崇敬されていました。元弘年間(1331年から1333年)に当社の東方に楠木正成が河内七城の一つとして金胎寺城(こんたいじじょう)を構築した時、その鎮守として篤く信仰されたそうです。
また、正成の三男である正儀(まさのり)は、天野山の行在所において後村上天皇を守護した際に当社に国家安全、武運長久を祈願し、天皇もまた深く尊信したそうです。
西代神社の御祭神と由緒 |
主祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)ですが、明治時代に周辺の神社(上原村の西山神社、原村の菅原神社、古野村の浦野神社)を合祀し、現在では素盞嗚尊、足仲彦命(仲哀天皇)、気長足比売姫命(神功皇后)、品陀別命(応神天皇)、武内宿禰命、菅原道真公も祀られています。
また、西代神社の兼務社としては、河内長野市喜多町の烏帽子形八幡神社、同市美加の台の赤阪上之山神社があります。
境内
西代神社は河内長野駅の西、市役所の南にあり、周囲は住宅街ですが神社はこんもりとした林の中に鎮座しています。国道170号線の旧道に面し、本殿はほぼ南東に向いています。木々に囲まれた静かな神社です。 |
鳥居をくぐると右手に手水舎や社務所、左手の木々の向こうに駐車場などがあります。正面奥には拝殿などがありますが、その手前には屋根の付いた舞台があります。
西代戎宮と大神宮 |
拝殿に向かって右に境内摂社の西代戎宮と大神宮、左に赤い鳥居が並ぶ稲荷神社があります。
西代稲荷神社 |
西代戎宮では毎年1月の「えべっさん」で商売繁盛を願う人々が大勢参拝し、大変賑わいます。
石灯籠には「神祖森」「八王神」とあります。 |
社殿改築を記した碑 |
石碑によると、稲荷神社、西代戎宮、大神宮は平成に入って社殿が改築されたことがわかります。その他にも境内には様々な石碑などがあります。
平和慰霊塔 |
河内西代藩陣屋跡
また、西代神社の東にある河内長野市立長野小学校の敷地には、江戸時代中期の正徳元年(1711年)から享保17年(1732年)まで近江膳所藩から分かれた河内西代藩の陣屋がありました。現在の小学校の校門は陣屋門を模したものとして建てられたものです。
また、西代神社と長野小学校の間には登録有形文化財の河内長野市立武道館があります。
祭礼
西代神社の祭礼は、1月に商売繁盛を祈る「西代戎」、3月には餅まきも行われる「初午祭」などがありますが、10月に行われる秋祭りは「西代神楽」が奉納されることで知られています。
西代戎(2020年1月) |
1月の「西代戎」は関西でおなじみの「えべっさん」で、9日、10日、11日と行われ、商売繁盛を願う人々で賑わいます。
えべっさん時の境内(2020年1月) |
また、西代神楽について河内長野市観光協会のホームページによると、宵宮に地車と神輿が宮入した後に奉納されるもので、享保17年(1732年)に西代藩主本多忠統(ただむね)が、河内西代藩から伊勢神戸(かんべ)藩に転封された際に奉納したのが始まりといわれています。
拝殿前にある舞台 |
緋色の敷物を敷いた二間半四方の舞場を設け(写真を見ると、屋根のある舞台と鳥居の間に設置されるようです)、四方に斎竹を立て注連縄を張り、その中で神楽が行われます。
神楽は、鳴物・舞方・後見役で構成され、笑いあり、ハラハラドキドキと目が離せない内容になっているそうです。
西代神楽は伊勢神楽系統の代表的なもので、その演目は計10曲から成り、獅子役と囃子方は、紺の着物に茶褐色の袴という揃いの服装で、真似師と言われる道化役のみ別の服装となっています。現在は河内長野市指定無形民俗文化財に指定されています。
神馬 |
同じく河内長野市内で、西代神社から2.5kmほど南西にある高向神社にも市の無形民俗文化財に指定されている日野獅子舞があります。
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