大堀八幡神社(松原市) ・平成27年に新築移転した大堀の産土神

大堀八幡神社

2018年2月訪問
大堀八幡神社(おおぼりはちまんじんじゃ)は大阪府松原市大堀にある神社です。松原市の大堀というと、屯倉神社のある「三宅」同様に、阪神高速道路の出入口があることで地元以外の人々にも知られた地名かと思われます。

大堀八幡神社(松原市)
大堀八幡神社(松原市)

現在は、中央環状線をはじめ、阪神高速14号松原線・西名阪自動車道・近畿自動車道・阪和自動車道を接続する松原JCT(ジャンクション)などの交通の大動脈がすぐそばにありながら、普段はとても静かなこの大堀八幡神社は南河内地域でも最も新しい社殿や敷地を持つ神社の一つといえます。



歴史と概要

大堀八幡神社はかつての河内国丹北郡大堀村の産土神で、南北朝時代の建武4年(1337年)に、隣の小川村にある深居神社から分祀されたと伝えられています。八幡神社ということで、主祭神は品陀別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)を祀っています。深居神社は奈良時代の創建と伝えられる神社で、かつては小川、津堂、大堀、若林、川辺の恵我五か村の産土神でしたが建武の兵乱により一時焼失し、後に大堀村など各村に分祀されました(同時期には若林神社津堂八幡神社なども分祀されています)。



宝永元年(1704年)の大和川付け替えにより周辺の地形が変わり、村落の安全とともに水路等を守る為に祀られました。明治5年(1872年)に村社に列格し、明治21年(1888年)には産土神社より八幡神社に改名されました。

700年近く前の創建で、社殿のみならず境内全てが真新しいのは、平成27年(2015年)3月7日に新築移転してきたからで、それまでは大和川のほとりの字中島(現大堀4丁目)に鎮座していました。

大堀八幡神社(松原市)
大堀八幡神社の鳥居

松原市ホームページなどによると、大和川沿いの旧社地時代からの本殿は社殿(覆殿)の中に祀られ、江戸時代後半ごろの木造建物と考えられています。その造りは一間社流造・側面一間・浜縁付で、屋根は切妻唐破風向拝付の形状だそうです。もともと元禄15年(1702年)の棟札があったということなので、江戸時代前半までには本殿が建てられていたと考えられています。現在、明治8年(1875年)7月15日に修理されたことを示す棟札が神社に保存されています。

大堀八幡神社(松原市)
各種案内が貼られた掲示板

この明治初期の補修を経て、昭和47年(1972年)に木造の本殿はそのままに、社殿が木造から鉄筋コンクリート造につくり替えられ、同時に拝殿も鉄筋コンクリートになりました。

大堀では、昭和40年代ごろから中央環状線をはじめ、阪神高速道・西名阪自動車道・近畿自動車道・阪和自動車道が集落を分断する形で通り、巨大な松原ジャンクションが完成しました。このため、ジャンクション近くの住民たちは、平成3年(1991年)から近くの上ノ池埋め立て地に集団移転したので、当社は集落の北側に孤立化した状態となりました。

氏子の人たちは参拝に不便をきたすようになったことから、平成22年(2010年)ごろより、大堀3丁目の松原市学校給食センターが移転することにともない、この跡地に新境内地を移すことを決め、平成27年(2015年)3月に現社地への遷宮となりました。


なお、当社から500mほど東南東に深居神社、600m少々西に熱田神社、850mほど東北東に若林神社があります。

境内

高速道路をはじめとした大きな道と複数の川に挟まれてしまった旧社地とは違い、現在の大堀八幡神社は集落の中の開けた場所にあります。東には松原市立恵我小学校、恵我幼稚園が、西には大阪府立平野高等学校があります。

大堀八幡神社(松原市)
参道から見た拝殿

新しい社殿や参道、鳥居は南向きに造られていて、大きな石の鳥居をくぐると清潔で明るく気持ちの良い境内となっています。

大堀八幡神社(松原市)
手水舎

参道を進むと左に手水舎がありますが、その奥にはかつての境内地にあったと思われる灯篭や石碑がいくつか並んでいます。

大堀八幡神社(松原市)
石碑や灯篭

境内の広さは東西約25m、南北約50mのほぼ長方形となっていて、南と西に鳥居がある他、東の防災センターからも出入りできます。

大堀八幡神社(松原市)
真新しい拝殿

新築に際して、本殿は既存の建物を修理移築して再使用することにしましたが、覆殿は鉄筋コンクリート造から、元の木造に戻し、屋根の形状もこれまで通りの切妻屋根としました。

大堀八幡神社(松原市)
八幡神社の額

拝殿も旧社地での鉄筋コンクリート造から木造に戻し、これまで割拝殿になっていたものを、手狭感があったことから石貼りの土間拝殿に変更しました。屋根も向拝が無かったので、新たに入母屋唐破風向拝付屋根に改められています。

大堀八幡神社(松原市)
唐破風向拝

旧社殿は本殿と拝殿をつなぐ形の幣殿(へいでん)が無かったので降雨時の祭礼には苦労が多く、移転にあたって新たに木造で切妻屋根の幣殿が設けられました。

なお、大堀八幡神社の新築移転に伴う施工は、西暦578年創業で現存する世界最古の企業といわれる株式会社金剛組によるものだそうです。

大堀八幡神社(松原市)
北西方向から見た本殿、幣殿、拝殿

神社西側の東西約100m、南北約500mは大和川を挟んだ対岸の大阪市平野区の長吉川辺4丁目で、いわゆる飛び地となっています

大堀八幡神社(松原市)
西側の鳥居の向こうには府立平野高校

神職不在神社のため、大和川を挟んだ北側の大阪市平野区にある志紀長吉神社の兼務社となっています。

境内社

かつての境内には、豊橋稲荷社(とよはしいなりしゃ)と楠本稲荷社(くすもといなりしゃ)社も配祀されていましたが、これらの稲荷社も既存建物を再使用し本殿東側に移されました。

大堀八幡神社(松原市)
本殿東側の境内社

移転時には、保存し易くするため新たに覆屋が設けられました。

大堀八幡神社(松原市)
豊橋・楠本稲荷社

祭礼

大堀八幡神社では7月に夏祭り、10月に秋祭りがありますが、大神輿、小神輿の町内御渡りや、蒲団太鼓(ふとんだいこ)の運行があるようで、これはだんじり祭りが一般的な南河内では珍しいかもしれません。ちなみに、大堀が属した恵我村をはじめ、今の松原市の大部分が昭和30年(1955年)の松原市発足まで南河内郡ではなく中河内郡でした。

大和川沿いの旧社地

前述のように、大堀八幡神社の元の社地は現在地より400mほど北北東にありました。北には大和川、南には落堀川と東除川の合流点と川に挟まれた場所で、更に南には阪神高速道、東には中央環状などが通っていて、現社地から徒歩で行くには地下道を通ります。

神社跡地の現状は、敷地を囲む玉垣の跡、入口の階段、参道の石畳、社殿跡地などがわかる状態です。

大堀八幡神社(松原市)
境内の元の形がわかる跡地

「かつての参道入口にあった石鳥居は継続使用が出来ないと判断されましたが、大鳥居だったので処分せず、旧境内地に設けられた聖地跡内に、玉垣の一部とともに集積保存されている」とのことでしたが今回は発見できませんでした。

平成30年(2018年)4月現在、大阪府神社庁のホームページなどではこの旧社地時代の大堀八幡神社の写真を見ることができます。

アクセス

松原ジャンクションの南、阪和自動車道下の府道2号(中央環状)線「大堀(北・南)」交差点を目指します。大阪市、大和川方面(北)からは「大堀南」交差点を右折、松原、美原方面(南)から来たら「大堀北」交差点を左折します。府道188号に入り200m先の信号を左折、100mほど先の右手に神社が見えます。

近鉄南大阪線「河内松原」駅から徒歩では2.5~3kmほどあります。この周辺を通る近鉄バスの路線は廃止されたので、松原市役所前などから市内公共施設循環バス「ぐるりん号」に乗れれば「恵我小学校前」バス停で下車し、少し西の平野高校入口左側から歩いて100mちょっとです。

Obori-hachiman Shrine(Matsubara City,Osaka Prefecture)


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