薄田隼人正兼相の墓(羽曳野市) ・大坂夏の陣で奮戦した武将最期の地

薄田隼人正兼相の墓

2018年4月訪問
薄田隼人正兼相(すすきだはやとのしょうかねすけ)の墓は大阪府羽曳野市誉田にある戦国時代から江戸時代初期の武将の墓所です。

薄田兼相(すすきだかねすけ)は、豊臣秀吉・秀頼に仕えた豪傑で隼人正(はやとのしょう)は通称です。その前半生はほとんど不明ながら、大坂の陣での活躍などで知っている方も多いと思われます。

薄田隼人正兼相の墓(羽曳野市)
薄田隼人正兼相の墓への入口(羽曳野市)

大坂の陣での兼相

【冬の陣 博労淵の戦い】兼相は豊臣氏に仕官し秀吉の馬廻り衆となりますが、その死後は秀頼に仕え慶長19年(1614年)の大坂冬の陣を迎えます。冬の陣では浪人(牢人)衆を率いて博労ヶ淵(現在の大阪市西区立売堀付近、西長堀駅の北側)に築いた砦の守備を任されますが、11月29日未明に徳川幕府軍の蜂須賀勢が砦を責めた時は遊郭に出かけ不在でした。このため、指揮官不在の博労ヶ淵砦は統制も取れずあっさりと奪われ、兼相は同日に野田・福島の戦いで大敗した大野治胤と並び味方から「橙武者(だいだいむしゃ)」と呼ばれることになります。これは、橙は大きい割には中身は酸味が強過ぎ正月飾りにしか使えないことから、「見かけ倒し」を意味するとされます。

薄田隼人正兼相の墓(羽曳野市)
当史跡の説明板

【夏の陣 道明寺・誉田の戦い】翌慶長20年(1615年)に発生した大坂夏の陣に、兼相は汚名返上を期して臨みます。5月1日、大和路から大坂城を目指す幕府軍を阻止するため、後藤基次(又兵衛)、毛利勝永、真田信繁(幸村)らとともに兼相も出陣。河内国平野で宿営した豊臣軍は5月5日未明、迎撃に有利な国分村(現在の柏原市の一部)に向け進発しますが、他の諸将が濃霧で遅れる中、後藤基次の部隊のみ夜明け前に道明寺に到着。基次は石川を渡り小松山(現在の玉手山公園周辺)に布陣し幕府軍を攻撃。約8時間にわたり奮戦しますが正午頃に基次は戦死します。

その頃、基次と同じ前隊の兼相をはじめ、明石全登、山川賢信らが道明寺に到着し幕府軍を迎え撃ちます。兼相は、誉田八幡宮付近の誉田林に陣を構え、幕府軍の水野勝成、伊達政宗、本多忠政といった名だたる大名の大軍を相手に、自ら太刀を振るい乱戦の中で自ら何人もの敵兵を倒しましたが、ついに力尽きて戦死しました。討ち取ったのは水野勝成の家臣である河村重長や、本多忠政勢、伊達政宗家臣の片倉重長勢など諸説ありはっきりとはわかりません。



墓所の概要

羽曳野にある薄田隼人正兼相の墓は、道明寺と誉田八幡宮との中間、旧東高野街道と国道170号(旧道)の交わる地点の東、西名阪自動車道の少し西にあります。

薄田隼人正兼相の墓(羽曳野市)
国道から駐車場を抜けるとあと100mほど

国道沿いに設置してある看板を頼りに、駐車場の間を通り細い道を抜けると民家と畑に囲まれた場所に整備された誉田史跡公園が見えてきます。

薄田隼人正兼相の墓(羽曳野市)
誉田史跡公園

誉田史跡公園は、薄田隼人正兼相の墓と供養塔を中心に整備されたもので、他に複数の灯籠や石碑などがあります。

薄田隼人正兼相の墓(羽曳野市)
薄田隼人正兼相の墓

石碑によると、この墓地は明治18年(1885年)に子孫にあたる広島藩主浅野家の一族によって建立され、平成8年(1997年)に羽曳野市に寄贈されました。現在は羽曳野市の「有形文化財」として保存されています。
この他に、兼相の墓は大阪市天王寺区の増福寺にもあります。

薄田隼人正兼相の墓(羽曳野市)
大坂夏陣奮戦跡の石碑

薄田隼人正兼相という人物は、「橙武者」という不名誉な渾名がある一方で、兼相流柔術や無手流剣術においては流祖とされるほどの剛勇の武将として知られています。また、天橋立で父の仇を討ち果たした逸話や狒々(ひひ)退治の伝説で知られる武芸者・岩見重太郎(いわみじゅうたろう)と同一視する説も有名です。

薄田隼人正兼相の墓(羽曳野市)
公園入口の石碑

近年では、平成28年(2016年)放送のNHK大河ドラマ「真田丸」にて誉田・道明寺の戦いが描かれ、羽曳野市も六文銭の幟などを縁の地に掲げましたが、ドラマに兼相は登場しませんでした。

アクセス

最寄駅は近鉄南大阪線「道明寺」駅ですが、「古市」駅からでも徒歩の距離はどちらも11.4kmほどで変わりません。いずれも一旦国道170号(旧道)に出たほうが迷いにくいです。
道明寺方面からは国道を南下し、西名阪自動車道の高架をくぐり、ケーエム工業株式会社のビルを過ぎると左手に「薄田隼人正兼相の墓」への看板があります。古市方面からは国道を北上し、スーパーサンプラザ誉田店、ミツワ電気工業株式会社の第二工場、本社を過ぎると右手に「薄田隼人正兼相の墓」への看板が見えます。

薄田隼人正兼相の墓(羽曳野市)
墓所から200m少々西にある東高野街道の石碑

公園に専用駐車場がないので、駅周辺でコインパーキングなどを利用するのが良いかと思われます。
また、近くの東高野街道を歩くと道明寺や道明寺天満宮応神天皇陵誉田八幡宮などを訪ねるのにも便利です。

The grave of Susukida hayatonosyou Kanesuke(Habikino City,Osaka Prefecture)

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