延命寺
2020年11月訪問
延命寺(えんめいじ)は大阪府河内長野市神ガ丘にある寺院です。宗派は真言宗御室派で山号は薬樹山。河内長野はもとより、南河内地区でも有数の大きな寺院である延命寺は、弘法大師所縁の歴史ある寺院でもあります。
延命寺(河内長野市) |
河内長野市北東部にある延命寺は周囲を山々に囲まれた普段は静かな寺院ですが、境内には大阪府指定天然記念物で弘法大師お手植えとされる「延命寺の夕照(ゆうばえ)もみじ」をはじめ多くの木々があり、紅葉が美しいことでも知られることから毎年秋には多くの参詣者で賑わいます。
歴史と概要
延命寺の正確な開山年は不祥ですが、弘仁年間(810年~824年)に空海(弘法大師)が地蔵の石仏を刻み本尊として安置したのが当寺の始まりとされています。現在は京都府京都市右京区にある仁和寺を総本山とする真言宗御室派の寺院(大本山仁和寺別院)で、本尊は如意輪観世音菩薩となっています。
旧由緒記 |
大阪府全志などによると、弘法大師が創建した当初は法羅山寶幢寺と称していましたが、やがて衰微したようです。その後、江戸時代中期に地元出身の僧である浄厳(じょうごん)によって再興され、延宝5年(1677年)に寺号を薬樹山延命寺に、本尊も如意輪観音に改められました。
新由緒記(2021年10月) |
明治11年(1878年)11月21日、塔頭の寶輪院を、さらに明治21年(1888年)6月5日には当時の錦部郡廿山村大字新家字岩井(現富田林市新家)にあった末寺の浄念寺(本尊は阿弥陀仏)を合併しています。
延命寺には重要文化財として絹本着色兜率天曼荼羅図、木造釈迦如来立像の2点がある他、石造地蔵菩薩立像、僧浄厳の墓、絹本著色伝地蔵曼荼羅図、木造薬師如来坐像が河内長野市の指定文化財となっています。
この内、重要文化財の絹本着色兜率天曼荼羅図は聖徳太子の筆と伝わるものです。一方の木造釈迦如来立像は高さ157.2cmあり、鎌倉時代に京都嵯峨の清涼寺に伝わる釈迦如来立像を模して作られた、いわゆる「清涼寺式釈迦像」と呼ばれる仏像で、飛鳥時代に建立されたと伝わる羽曳野市古市の西淋寺の本尊でしたが、明治5年(1872年)に不動明王立像と勝三世明王立像とともに延命寺に移されたものです。
薬樹山延命寺沿革 |
延命寺は南河内屈指の紅葉の名所で「延命寺の紅葉」として大阪みどりの百選に選ばれています。また、境内には弘法大師お手植えとも言われる樹齢1000年はあろうかという巨大なカエデがあり、夕陽に映えるその美しさから「夕照(ゆうばえ)もみじ」として大阪府の天然記念物に指定されています。
延命寺の南側には大阪府立長野公園・延命寺地区となっています。
延命寺周辺を見ると、北に観心寺、龍泉寺、瀧谷不動明王寺(滝谷不動尊)、西に金剛寺など弘法大師所縁の寺院がある他、2kmほど東に紅葉の綺麗な西恩寺もあります。また、1.5kmほど東の鳩原地区には川上神社があります。
浄厳
中興の祖である浄厳は寛永16年(1639年)に河内国錦部郡(にしごりぐん)鬼住村(後述)で生まれ、俗姓は上田氏、字は覚彦(かくげん)といいました。2歳で文字を読むなど「今空海」と呼ばれ、10歳の時に高野山で出家しました。後に阿闍梨(あじゃり)の位を受け、名を覚彦坊雲農から浄厳と改めました。そして高野山から河内に戻り当寺を再興し、如晦庵と号して弘く教法を説いていたところ、延宝5年に仁和寺門主性承入道親王(しょうじょうにゅうどうしんのう。承法法親王とも)から「薬樹山延命寺」の号を授かりました。
薬樹山という山号の由来は、この地に薬草が多く生えていたことから、あるいは浄元和尚の父が医業を為していたため、などの説があるようです。
浄厳は五代将軍徳川綱吉や柳沢吉保の信任も厚く、元禄4年(1691年)には江戸湯島(現東京都文京区湯島)に霊雲寺を開創し、その開山となります。霊雲寺は元禄7年(1694年)に関八州の真言律宗の総本寺となりました(現在は真言宗霊雲寺派総本山)。
浄厳は生涯、仏法の興隆に努め、戒律を重んじ清貧に徹したことで知られています。また、現在の八尾市教興寺にある真言律宗の寺院、教興寺も再興しています。墓地は東京都台東区の妙極院とこの延命寺にあります。
鬼住村
延命寺のある河内長野市神ガ丘地区は、江戸時代の頃には河内国錦織郡鬼住村と呼ばれており、鬼住村にはその名から想像される鬼伝説がありました(河内長野ガスさんのホームページには「小西見(をにしみ)郷」から転訛したとの説も)。
鬼住村の鬼伝説とは、かつてこの地には鬼が住んでおり、延命寺から12kmほど西南西の和泉国和泉郡父鬼村(現和泉市父鬼町)の鬼と夫婦だったとされます。泉州志泉郡父鬼村の条には「俗説河州鬼住曰母鬼」とあるそうです。
鬼住村の鬼は、9人の勇敢な村人によって退治されたとの伝承があり、かつては弓を射って鬼退治をする行事が正月に行われていたそうで、延命寺の宝物館にはこの行事に使った弓矢が所蔵されています。鬼退治をしたこの9人の活躍にちなんで周辺は「九頭神(くずかみ)の森」と呼ばれるようになり、現在の神ガ丘の地名もこの九頭神の森に由来するそうです。また、浄厳和尚は鬼退治をした勇敢な男の子孫だったとも伝わっています。
明治22年(1889年)、鬼住村は寺元村、河合寺村、鳩原村、太井村、小深村、石見川村と合併して新たに誕生した川上村の大字となり、明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡となります。この当時、大字鬼住には鎮守として字ヒガヒ谷之上に村社天神社(御祭神:事代主命・菅原道真)がありましたが、明治40年(1907年)10月18日に川上村大字鳩原字ハナミゾの村社川上神社(もと鳩原神社)に合祀されました。
昭和29年(1954年)、川上村は長野町、三日市村、高向村、天見村、加賀田村と合併して発足した河内長野市の一部となりましたが、その際、住民投票により大字鬼住は「神ガ丘」へと改称されました。
2020年(令和2年)9月、鬼住に由来する「鬼伝説」をテーマとして、地域経済の活性化やまちの魅力向上を図る「河内長野市鬼でまちおこし条例」が制定され、10月には河内長野市などを舞台とした映画「鬼ガール!!」も公開されました。
境内
今回は、延命寺の山門から300mほど北西にある府道214号河内長野千早城跡線と参詣道の分岐点から進んで行きます。
府道と参詣道の分岐点 |
府道と参詣道の分岐点には延命寺への標識の他に大きな周辺の地図なども設置されています。秋の紅葉の時期にはこの辺りから人が多く、駐車場を探す車で混雑することも。
山門へと続く道 |
山門までの道中でも美しい紅葉を眺められます。かつては門前町の売店だったと思しき建物も。
山門前 |
分岐から300mほど歩くと正面に寺号標とその奥の山門が見えて来ます。ここで右に進むと長野公園延命寺地区駐車場を経て蓮池などのある公園へとつながっています(後述)。山門前には「楠氏一門和田正遠之菩提所」と彫られた石碑もあります。
山門から見た境内 |
延命寺の最も西にある山門をくぐると、正面に向かって真っ直ぐ石畳の参道が続き、奥の方まで様々な堂宇が建ち並んでいるのが見えます。本堂は突き当りの左手に、大阪府指定天然記念物である「夕照(ゆうばえ)のもみじ」は右手の鐘堂横階段の上に。
手水舎 |
手水舎は山門をくぐってすぐ右側にあります。
南側の駐車場や公園方面 |
手水舎の奥には駐車場やトイレ、その先の蓮池などに進む階段などが見えますが、この先が長野公園延命寺地区となっています(こちらへは後ほど)。
山門脇の建物 |
延命寺の境内は西の山門から東に向かって前述の石畳がまっすく延びていますが、石畳の右手(南側)は途中から山のようになっているので階段を上って上のお堂に参る形となりますが、左手(北側)は奥まで平地で大きな建物が並んでいます。
休憩所のような建物 |
途中には少し休憩できるような場所も設けられています。
庫裡 |
山門から20mほど進むと、左手の少し奥まった所に大きな建物が見えて来ます。こちらが庫裡のようです。
庫裡の前庭 |
庫裡には立派な前庭があって、こちらでも風景を楽しむことが出来ます。
鐘堂 |
一方、参道の右手を見ると石段の先にいくつかの建物が見えます。
手前(山門寄り)の石段の途中には鐘堂がありますが通常撞くことは出来ないようです。
夕照のもみじ(2021年10月) |
鐘堂横の階段を上ると、右手に大阪府指定天然記念物となっている夕照のもみじがあります。
説明板と石標(2021年10月) |
こちらは、弘法大師御手植えと伝えられ、晩秋の夕陽に映える姿が一段と美しいため夕照のもみじと呼ばれています。
西側から見上げた夕照のもみじ |
大阪府のホームページによると、根元から二つに分かれた大きな幹は空洞化しているものの、枝は元気で樹高約9m、幹周り約5mあるそうです。
参道右側に並ぶ石仏 |
参道右側には参道に沿うように多くの石仏が並んでいます。
地蔵堂 |
石段の上に建つお堂の一つが、像高106cmの地蔵菩薩立像を安置したという地蔵堂です。また、参道の右手には地蔵堂の他に求聞持堂などのお堂がもあります。
毘沙門堂 |
山門から石畳の参道を進んで突き当りにあるのが毘沙門堂です。
石像と小さなお社 |
毘沙門堂の右手には石像(石仏)が並んでいます。また、手前には池に囲まれた小祠がありますが、こちらでは辨財天(弁財天)と弘法大師と関わりの深い善女竜王(ぜんにょりゅうおう)が祀られているようです。
境内奥から公園への石段(2021年10月) |
辨財天と善女竜王の祀られた池と石仏の間の道を奥に進むと長い石段が現れます。この先は、大阪府営長野公園の奥河内もみじ公園(延命寺地区)となっているようです。
楠氏一門和田正遠之菩提所(2021年10月) |
奥河内もみじ公園(延命寺地区)への石段上り口の右側にあるのが「楠氏一門和田正遠之菩提所」のようです。
和田正遠(わだまさとお)は「太平記」で楠木正成の片腕として活躍する武将で、史実では橘正遠(たちばなのまさとお)とも呼ばれています。正成と同じ橘姓を名乗り、建武の新政では正成と同じ武者所第五番に務めた軍事官僚で、最期も同じ湊川の戦いでの戦死だったそうです。
本堂 |
突き当りの毘沙門堂に向かって左手に延命寺の本堂があります。御本尊は運長作の聖如意輪観世音菩薩。
慈母観音(右) |
また、本堂の右隣にもお堂があり、さらにその右に水子供養の慈母観音の銅像があります。
ここから山門のそばまで戻り、手水舎の横から南側の駐車場やトイレのある方に向かいます。
こちらの駐車場やトイレのある辺りから府立長野公園延命寺地区となっています。
手すりのある階段を上り、先に見える紅葉に近付きます。
階段を上り切ると、山の緑と赤や黄色に色付いた葉に囲まれた蓮池の風景が飛び込んできます。池にも落葉した色とりどりの葉が浮かび幻想的な風景です。
石造りの鳥居 |
右を見ると、石造りの鳥居が建っているのが見えます。
鳥居から見た蓮池 |
鳥居からは蓮池の中に浮かぶ石塔を見ることが出来ます。蓮池の奥にはすいれん池があり、さらにその奥の山には遊歩道が整備されており、秋の紅葉以外にも様々な自然の風景に触れ合える公園となっています。
アクセス
河内長野方面からは国道170号(旧道)「菊水町」交差点から東(観心寺・西恩寺方面)に入り、国道310号を道なりに約2.4km進んだ先の「くずの口バス停前」交差点からさらに100mほど先(「大阪府営長野公園延命寺地区2.2km→」の看板あり)を右折してカーブした坂を下ります。1kmほど進んで突き当りを左折し府道214号に入り、さらに約750m進むと(途中「鬼住橋」通過)売店前の分岐があるので府道ではない右に進みます。やや細い道を300mほど行くと延命寺の山門前となります。駐車場は山門に向かって右奥にあります。
なお、毎年11月頃の紅葉シーズンには延命寺の駐車場が利用出来なくなるので、上記の売店前分岐より100mほど手前(西)の交差点から川を渡って南の美加の台住宅方面に向かい(上り坂)、約100m先、あるいは約400m先右手のいずれも舗装された臨時駐車場をご利用くださいとのこと(下記の「神ヶ丘口」バス停が坂の上にあります)。
駐車場、拝観料ともに無料です。
駐車場の案内 |
南海高野線「美加の台」駅前から南海バスの美加の台循環バスに乗り「神ヶ丘口」バス停下車。左回り、右回りいずれの場合も下車後、進行方向に対して後方に約50m戻り、十字路から北に向かい住宅街から出る坂道を下ります。道なりに400mほど下り橋を渡ってすぐ丁字路を右折し、約100m先の売店前の分岐を右に進みます。ここから300mほど歩くと延命寺の山門前に到着します。なお、より寺院に近い「延命寺口」というバス停もありますが、「神ヶ丘口」バス停からの方がわかりやすく道路の状態も歩きやすいようです。
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