安居神社(大阪市天王寺区)  ・大河ドラマでも話題に!真田幸村終焉の地

安居神社

2016年1月訪問(2021年8月更新)
安居神社(やすいじんじゃ)は大阪府大阪市天王寺区逢阪(おうさか)にある神社です。あべのハルカスの程近く、骨仏で有名な一心寺のすぐ北にある当社は安井神社、または安居天満宮などとも呼ばれています。また、大丸の創業者、下村彦右衛門正啓が厚く信仰していたことから大丸天神と称されることもあるそうです。

安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
安居神社 (大阪市天王寺区)

豊臣家が滅亡した大坂の陣で奮戦した真田信繁(幸村)の最期の地と伝えられ、歴史ファンには有名な神社でしたが、平成28年(2016年)の大河ドラマ「真田丸」が放映されたことで更に脚光を浴びました。



歴史と概要

安居神社の正確な創建年については不詳ですが、一説には四天王寺と同じ頃ともいわれています。主祭神は少彦名神と菅原道真公で、当初は少彦名神が祭られていましたが天慶5年(942年)から菅原道真も祀られるようになったと伝えられています。菅原道真が大宰府に流される際、河内国の土師里(道真ゆかりの道明寺道明寺天満宮があります)からこの地に着きましたが荒天のため船が出せず、風待ちのため休息をとったことから「安居」と呼ばれるようになったのが名前の由来となったと伝えられています。また、近くに天王寺三名水の井戸があることから「安井」となったいう説もあるそうです。

安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
安居神社由緒略記

一方の少彦名といえば、同じ大阪市内の中央区道修町に鎮座する少彦名神社も有名です。

安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
境内案内図

慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、豊臣方の武将として知られる真田信繁(幸村)が当社で討死したとされています。

また、江戸時代の中頃には大丸の創業者である下村彦右衛門正啓以来同家による信仰が厚かったことから「大丸天神」と称されることもあります。

大阪府全志によると、明治40年に難波の無格社である金山彦神社(御祭神:金山比古命、金山比売命、大物主命)を合祀。

第二次世界大戦中の昭和20年(1945年)3月13日、14日の第1回大阪大空襲により全焼しますが、戦後復興しました。


現在、当社周辺には天王寺公園や動物園があり、あべのハルカスや通天閣も間近に見えていますが、かつては天神山や安井森と呼ばれて風景が美しいことで有名だったそうです。


境内

阿部野橋や天王寺、難波などの繁華街からそう遠くない場所にある安居神社ですが、大坂城下の寺町の南端という立地からか比較的静かな佇まいです。現在は周りに建物が出来て南側からは入口が分かりにくくなっていますし、参道も細いです。

安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
ビルに隣接する細い参道

大阪阿部野橋駅や天王寺駅方面から向く場合は、国道25号沿いから参道に入ります(入口はページトップの写真)。

この辺りの国道25号は「逢坂」と呼ばれる上町台地の西斜面の坂で(地名は「逢阪」)、天王寺七坂の最南端の坂道となっています。逢坂の南には一心寺や茶臼山、天王寺市立美術館、天王寺公園などがあります。

安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
鳥居と六文銭の幟

ビルの横の細い参道を抜けると鳥居があり、その先に社務所などがあります。社務所の左手(西)と右手(北)には石段があり、それぞれ参道となっているようですが、正式な参道入口は社殿の向いている西側の石段のようです。

それほど広い境内ではありませんが、二つの摂社と後述の真田幸村戦死跡の碑や、七名水として名を馳せた安居の清水(別名:かんしずめの井)の址などもあります。

安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
境内から見た西坂石段

西側の参道には鳥居が2基見えています。門柱に「大丸會」の文字も読みとれます。

安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
社務所(注:本物の猫です)

御朱印や御守りは社務所でどうぞ。

安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
拝殿

主な社殿などは昭和20年の空襲で焼けましたが、昭和26年(1951年)春に大丸などの寄進を受け復興しました。

安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
境内北寄りにある境内社

境内の北側に境内社の稲荷神社や金山彦神社(淡島大神)があります。稲荷神社と金山彦神社の間を抜けると北からの参道である北坂石段があります。


真田幸村戦死跡之碑と像

慶長20年の大坂夏の陣では、真田信繁(幸村)がこの辺りで戦死したと伝えられています。

前年の冬の陣における和睦の結果、堀を埋められた大坂城の防御力は著しく低下していたため、城を頼みに篭城で持ちこたえることは出来なくなった豊臣軍は野戦に活路を見出すしかありませんでした。豊臣方5万に対し大坂に集結した徳川方は16万以上ともいわれ、圧倒的な戦力差がありました。
 
安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
拝殿近くには銅像や石碑が色々あります。

和泉、河内で多くの将兵を失った豊臣方は現在の天王寺区から平野区にかけて防衛線を築き最後の戦いを挑みました。安居神社の少し南にある茶臼山に陣を敷いた幸村をはじめ、毛利勝永などの奮戦により一時は徳川家康の本陣に迫る勢いでしたが衆寡敵せず戦は豊臣方の敗北に終わりました。
 
安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
昭和に植えなおされた松についても書かれています。

そして、幸村はこの地で傷ついた体を休めていたときに越前松平家家臣の西尾宗次に発見され首を差し出したと伝えられています(異説あり)。また幸村が力尽きた場所には「さなだ松」(2代目)と呼ばれる松の木があります。

安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
真田幸村(信繁)像について

安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
真田幸村像と戦死跡之碑

大河ドラマ「真田丸」の人気で関西でも信繁に縁のあるここ大坂城周辺や藤井寺、羽曳野周辺、和歌山県の九度山なども注目を浴びています。それぞれネットでの情報発信をはじめ、施設のオープン、石碑や案内板の設置、六文銭の幟などの増設、さらには新たなお土産品を開発したりと進化しているので、昔訪れた歴史ファンも再度行ってみるのも良いでしょう。

安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
真田幸村戦死跡之碑

安居神社(安居天満宮) (大阪市天王寺区)
像の左手にはイチゴが。

●天王寺区ホームページ 真田丸の地・天王寺→http://www.city.osaka.lg.jp/tennoji/page/0000341949.html

アクセス

JR、地下鉄(現大阪メトロ)御堂筋線・谷町線各線の「天王寺」駅、近鉄「大阪阿部野橋」駅、阪堺電車「天王寺駅前」駅からは谷町筋を北に歩き「四天王寺南」交差点を斜め左に折れて道なりに、また地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅からは谷町筋を南に歩き「四天王寺前」交差点を右折して直進すると左手に一心寺、右手に安居神社(南参道)が見えます。

地下鉄堺筋線「恵美須町」駅からは浪速警察署前から国道25号線を東に向かい(通天閣や動物園を右に見て)高速道路と松屋町筋を越えてしばらく進むと左に南側の参道入口があります。いずれの駅からも徒歩10~15分。

車なら付近のコインパーキングの利用となりますが、一心寺周辺は料金が高く国道25号線より北の方が安い傾向にあるようです。

Yasui Tenmangu Shrine(Tennoji Ward,Osaka City,Osaka Prefecture)

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