西方院(南河内郡太子町) ・聖徳太子御廟がある叡福寺向かいの寺院

西方院

2017年12月訪問
西方院(さいほういん)は大阪府南河内郡太子町太子にある寺院です。宗派は浄土宗で、山号は南向山(なんこうざん)、寺号は法楽寺。

西方院(南河内郡太子町)
西方院(南河内郡太子町)

聖徳太子御廟がある叡福寺の道路を挟んで向かい側にあるこのお寺は、聖徳太子が死去した後に出家した三人の侍女(乳母)が剃髪して仏門に入り、墓前にお堂を建立して、太子の冥福を祈ったのが始まりと伝えられ、今も叡福寺とともに参詣する人が多い寺院です。



歴史と概要

寺伝によれば、西方院の創立は推古天皇30年(622年)とされています。同年に聖徳太子が亡くなったあと、太子の乳母であった月姫(蘇我馬子の娘)、日姫(小野妹子の娘)、玉照姫(物部守屋の娘)の三姫は剃髪して仏門に入り、その名も善信、禅蔵、恵善と称しました(三尼公)。そして、太子御廟の前に法楽寺の寺号で一宇を建立して、太子の遺髪と太子自作の阿弥陀如来尊像を安置したのが始まりと伝えられています。

西方院(南河内郡太子町)
西方院縁起

このような経緯から、当院は日本で最初の尼寺ともいわれています。その後衰退し荒廃していた寺を、江戸時代初期の寛永16年(1639年)に蓮誉寿正尼(れんよじゅしょうに)が再興し、名称は西方院と改められました。

本尊は前述の聖徳太子作と伝える阿弥陀如来像と、平安時代中期天台宗の僧で恵心僧都(えしんそうず)と尊称される源信の作と伝えられる十一面観音菩薩像。

境内

叡福寺の向かいには路地があるので入っていくと目の前に小さな石橋とその奥の石段が現れます。このことから、叡福寺と西方院の間は小川が流れ、谷になっていることがわかります。

西方院(南河内郡太子町)
石の参道

民家の間で広くはない参道ですが、石畳、石橋、石段などなかなか風情があります。

西方院(南河内郡太子町)
石段を上ったところにある門

石段を上りきるとやや小さめの赤い門があるので、くぐるとちょっとした広場(駐車場?)になっていて、すぐ右側に西方院があります。

西方院(南河内郡太子町)
山門

西方院の山門には「南向山 西方院」と「新西国霊場第八番札所」の表札がかかっており、右手には当院の縁起が書かれています。

西方院(南河内郡太子町)
本堂

山門をくぐると正面には江戸時代初期の寛永16年(1639年)に再建された本堂があります。こちらの本尊は聖徳太子作と伝わる阿弥陀如来立像です。

西方院(南河内郡太子町)
本堂(左)と観音堂(右)

また、山門をくぐって右手には観音堂がありますが、こちらの本尊は恵心僧都作といわれる十一面観音像となっています。本堂や観音堂、山門などに囲まれた庭園は、広くはありませんがとても手入れが行き届いていて美しいです。

西方院(南河内郡太子町)
本堂横の納骨堂

さらに、本堂向かって左手には納骨堂があります。こちらは聖徳太子の御遺髪(毛骨)が納められている納骨堂です。西方院では聖徳太子の御遺徳をしのび、ご縁を結ぶために今も宗派を問わず各地から多くの人々が、遺髪(毛骨)や遺骨を納められるそうです。

西方院(南河内郡太子町)
鐘棲堂(鐘楼堂)

山門から入ってすぐ左には十三重の石塔、そして朱色が目を引く鐘棲堂(鐘楼堂)があります。この梵鐘は「引導鐘」と呼ばれており、極楽浄土へお送りする鐘として、納骨時に撞かれるそうです。

この時は見られませんでしたが、その他にも茶室や枯山水の庭園、位牌堂などがあります。

西方院の周辺


西方院(南河内郡太子町)
地蔵堂と灯篭

山門の前は駐車スペースにもなっているようですが、その片隅には小さなお堂があり、その右側には石灯籠があります。さらにその後ろには平らな石があって、傍らの小さな碑には弘法大師が休まれた石と彫られているようでした。

西方院(南河内郡太子町)
灯篭の裏にある石

また、西方院の南側の墓地内には三尼公の御廟と伝えられる3基の石塔が残されていて、この御廟内には三基の多層塔があるそうです。

西方院(南河内郡太子町)
西方院から叡福寺を望む
西方院から見た叡福寺、また叡福寺から見た西方院はどちらも良い景色です。


●西方院 公式ホームページ →http://www.saihoin.com/?page_id=7

アクセス

公共交通機関を利用する場合、近鉄南大阪線上ノ太子駅、または長野線喜志駅から金剛バスで「聖徳太子御廟前(旧太子前)」バス停下車すぐです。

西方院(南河内郡太子町)
叡福寺向かいのお堂の右にある西方院への参道入口

車で大阪府内から参拝する際にわかり易いコースは、まず国道170号(外環状線)で富田林市の「旭ヶ丘」交差点を目指し、大阪市内や藤井寺、羽曳野方面からは左折、河内長野、富田林方面からは右折します。喜志駅前の踏切を渡り少し行くと「喜志」交差点(五叉路)に出るので、右斜め前方へ。河南橋で石川を渡り、「太子」交差点から1kmほど進むと左に叡福寺、右に西方院への参道がありますが車は入れないので、さらに100mほど行き横断歩道手前を右斜め後方へ曲がって坂を上り、突き当りを右折すると西方院前に出ます。

西方院(南河内郡太子町)
西方院へ道を示す石碑

奈良県側からの場合、穴虫峠を越えるルートでは太子町の「六枚橋」交差点を右折、竹内峠からの場合は国道166号線を下り「六枚橋」交差点を左折します。後は太子町役場を過ぎ、「叡福寺東」交差点を越えて100mほど進み、横断歩道を越えて左斜め前の道に入ります。坂を上り、突き当りを右折すると西方院前です。

西方院のホームページによると、西方院の駐車場以外にも駐車しやすい叡福寺駐車場や叡福寺東隣の公園「太子・和みの広場」の駐車場も利用可能です。いずれも無料。

Nankouzan Saihouin temple(Taishi Town,Osaka Prefecture)

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