腰神神社
2019年7月訪問
腰神神社(こしがみじんじゃ)は大阪府富田林市大字嬉(うれし)にある大楠公こと「楠木正成」ゆかりの神社です。富田林市南部の河内長野市との境近くで、石川の右岸(東側)にある富田林市の最高峰、金胎寺山(こんたいじさん・標高296m)の北西麓に鎮座しています。腰神神社(富田林市) |
少し東北東には大阪50山の一つ嶽山(だけやま)がありますが、こちらは楠木氏の戦いだけでなく、応仁の乱に先立つ「嶽山城の戦い」で知られています。また、周辺には楠妣庵観音寺や滝谷不動尊(瀧谷不動明王寺)、千代田神社、観心寺、西野々古墳群などの群集墳もあることから、歴史スポットや神社仏閣めぐりに打って付けの地域ともいえます。
歴史と概要
社伝によると、腰神神社の創建は大化改新(645年)の頃と伝わっており、金胎寺山より派生する山腹の巨石をご神体としています。説明板などには創始や大楠公の逸話については以下の様な記載がありました。紀伊国(現在の和歌山県)の豪族、箕島宿禰(みのしまのすくね)は文武の師範として、紀伊見峠(紀見峠)を越え河内国の宇礼志(嬉)村に移り住みました。宿禰の側室である玉藻姫は大和国桜井の豪族の娘。宿禰は河州にて文武を広めた後、その功績をたたえられ嬉村の当神社に祀られました。
元弘2年(1332年)頃、楠木正成は金胎山に楠公十七支城の一つ金胎寺城を築きます。建武元年(1334年)、観心寺に居た正成が後醍醐天皇の命により幕府討伐の途中愛馬「千早丸」の腰が立たなくなりましたが、当神社の藤の木につないで祈ったところ、馬の腰が直ったので、さらに勝利の祈願をし、幕府討伐に出陣されたと伝えられています。
(筆者注:鎌倉幕府滅亡は元弘3年/正慶2年(1333年)なので建武元年にはすでに幕府は滅んでいます。ちなみに、楠木正成による赤坂城の戦いが元弘元年/元徳3年(1331年)で、現在の大阪市などで戦ったのが元弘2年/元徳4年(1332年)、足利尊氏との戦いが建武3年(1336年)でした。)
説明板 |
その時、楠木正成より嬉村城山の守神として、1寸8分の黄金毘沙門天像と菊水の御紋を賜りました。それ以来当社には絵馬がかけられるようになり、名のある武将も多く参拝したといわれています。
このことから、腰痛に霊験あらたかな神様として参詣する人が増え、「腰神神社」と呼ばれるようになったのではないかと考えられます。
神社と駐車場の案内板 |
現在、腰神神社の御祭神は箕島宿禰、八大龍王、猿田彦尊、国光大明神(くにみつだいみょうじん)となっています。
腰神神社のある嬉地区からは、金胎寺山に続く登山道もあり、周辺は地元の人々により綺麗に整備されており、地元の人だけでなくハイキングを楽しむ人たちの憩いの場となっているようです。
腰神神社は神職不在神社のようで、大阪府神社庁にも所属していませんが「大阪ミュージアム」の建物・まちなみジャンルに登録されておりホームページで紹介されている他、神社を紹介するリーフレットも作成されています。
周辺の伏見堂、横山両地区と嬉地区の氏神は、もともと横山にあった汐ノ宮神社(天満宮)だったようで、こちらは明治時代に彼方(おちかた)の春日神社に合祀されています。
境内
この辺りの石川左岸には国道170号(旧道)や近鉄長野線が並行して南北に走っていますが、右岸には少し細めの道路しかありません。近鉄汐ノ宮駅から千代田橋を渡って南に進むと、その道路に沿うように嬉地区がありますが、集落の北の方に腰神神社が鎮座しています。参道と鳥居 |
道路沿いに腰神神社の看板があり、そこから東側の山林に向かって参道が見えます。
鳥居 |
参道を少し進むと石造りの鳥居があります。
拝殿への石段 |
鳥居の先には10段ほどの石段がありますが、上り口の左手には大阪ミュージアムのロゴ入り説明板が設置されています。
手水舎 |
石段の中ほど、右手には手水舎があります。
拝殿(絵馬堂) |
石段を上ると左右に古い狛犬があり、奥に拝殿(絵馬堂)が見えます。富田林市のホームページによると、腰神神社の鳥居と狛犬は、明治時代に周辺の伏見堂、横山、嬉共有の神社であった汐ノ宮神社が、彼方(おちかた)の春日神社に合祀された際、腰神神社に移されたものだそうです。
拝殿の様子 |
拝殿(絵馬堂)には絵馬や御守りの他、無料のリーフレットも設置されていました。また、拝殿の戸の向こうには菊水の紋が入った幕も見えます。ご神体は拝殿のさらに奥の巨岩です。
拝殿(絵馬堂)左手の建物 |
拝殿(絵馬堂)の左手にも建物がありますが、こちらは不明です。
奉納絵馬 |
改めて拝殿を見ると様々な絵馬が奉納されていますが、これらは腰神神社にお参りして腰痛が治った人や腰痛の平癒を願う人が奉納したものです。戦前には、南の河内長野駅付近だけでなく、少し北の千代田橋の付近にも汐ノ宮温泉が栄えていて、腰神神社への参拝と、湯治によって腰の病を治そうと近隣はもとより、遠方からも大勢の人が訪れたそうです。
南側の境内 |
拝殿(絵馬堂)の右手(南側)の境内は開けた場所になっていて、様々な神様などが祀られています。
伝説の藤の古木 |
まず、拝殿のすぐ右側には樹齢700年といわれる大きな藤の古木がありますが、今でも初夏には見事な花を咲かせるそうです。また、木の横には水墨画の巨匠である雪舟(1486)がここで詠んだとされる「道ばたにうつ蒼たるや藤の森」という句が「藤の老樹の句」として紹介されています。
力石と石碑 |
藤の木のそばの道路側には、昔、若者が力を競い合う時に使った「力石」が並べられています。
宝篋印塔と大石の神々 |
山側には宝篋印塔や八大龍王と刻まれた大石の神々などが祀られています。
国光大明神 |
朱色の鳥居と燈篭があるのが国光大明神です。
湧き水と磐座 |
国光大明神の右手にある岩の隙間からは清水が湧き出ており、「この水を飲めば持病が治る」といわれていたそうです。
トイレ |
また、腰神神社の鳥居をくぐってすぐ左手には平成29年(2017年)10月28日に竣工した「こしがみ神社こどもあんしんトイレ」という水洗トイレが完備されているので、当社の参拝と合わせて、嶽山や金胎寺山周辺を散策する時にも便利かと思われます。
●富田林市ホームページ 嬉の腰神さん →https://www.city.tondabayashi.lg.jp/site/bunkazai/2567.html
アクセス
最寄駅は、近鉄長野線「汐ノ宮」駅で、駅前の交差点から東へ進み石川に架かる千代田橋を渡ります。(駅から約450m東の)突き当りを右折し、400mほど南に進むと左手に腰神神社の看板や鳥居が見えます。駐車場は鳥居からさらに40mほど南にあります。駐車場 |
駐車場は少し山側に入った所で看板もあります。舗装はされていませんが数台駐車出来そうでした。
駐車場から境内への道 |
南海・近鉄電車の「河内長野」駅からは北東の諸越橋を渡り「プラザ阪下」前を左に入り、後は道なりに進み、金刀比羅神社から700mほど北上すると右手に腰神神社があります。河内長野駅東口からは約1.8kmです。
神社前の道路はあまり広くないので、距離と走りやすさから、車の場合は北の「汐ノ宮」駅前から行く方が良いでしょう。
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