允恭天皇陵(藤井寺市) ・古市古墳群北東端の天皇陵

允恭天皇陵

2017年11月訪問
允恭天皇陵(いんぎょうてんのうりょう)は大阪府藤井寺市国府にある古墳で、遺跡名としては市ノ山古墳(いちのやまこふん。市野山古墳とも)とも呼ばれ、古市古墳群を構成する古墳の一つです。宮内庁により、惠我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)として第19代允恭天皇の陵に治定されています。

※令和元年(2019年)7月6日午後に、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録が決定し、允恭天皇陵もそのリストに登録されています。

允恭天皇陵(藤井寺市)
允恭天皇陵(藤井寺市)の拝所への道

現在はすぐ西に国道170号線の旧道、南には近鉄の南大阪線が走っており、大和川と石川の合流点の1kmほど南西に位置します。





歴史と概要

允恭天皇陵の形状は前方後円墳で、墳丘長は230m、幅は前方部で160m、後円部140m、前方部の高さ23.3m、後円部の高さ22.3mで古市古墳群の中では4番目に大きな古墳となっています。その墳丘は3段に築かれ、築造時は2重の濠を巡らせていたと考えられています。

允恭天皇陵(藤井寺市)
南側にある説明板

濠からは円筒埴輪の他、様々な形象埴輪が出土していますが、内提の盛土から出土した須恵器から古墳の築造時期は5世紀中頃(古墳時代中期後葉)と推定されています。

允恭天皇陵(藤井寺市)
国道側(西)にある拝所入口

前方部を北、後円部を南に向けて造られ、くびれ部分には造出(つくりだし)が設けられています。羽曳野市役所の傍にある墓山古墳ととても近い平面形で墳丘が築かれていることから相似形に企画された可能性が高いそうです。
允恭天皇陵(藤井寺市)
古墳北側の東寄りから

現在、古墳の東西は住宅などの建物が濠に隣接する形で建っているので近づけませんが、南側は濠の堤の上を通る細い道路(旧長尾街道)からフェンス越しに古墳を見ることが出来ます。また、拝所は北側前方部の濠に面したところにあるものの、周りが住宅で近づけないようにも見えますが、陵の北西、国道170号線(旧道)に面した場所に拝所への入口があります。

允恭天皇陵(藤井寺市)
西側の濠

允恭天皇

第19代允恭天皇は5世紀の天皇で、名は雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくごのすくねのみこと)といいます(古事記では男浅津間若子宿禰王)。
仁徳天皇(第16代)の第四皇子で、母は葛城襲津彦の女・磐之媛命(いわのひめのみこと)です。履中天皇(第17代)、反正天皇(第18代)の同母弟で、中国の歴史書「宋書」・「梁書」に記される倭の五王中の倭王済に比定されています。また、第三皇子は安康天皇(第20代)、第五皇子は雄略天皇(第21代)です。

都は現在の奈良県高市郡明日香村飛鳥と考えられている遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)で、飛鳥の地に初めて宮を設けたのが允恭天皇でした。

また、2kmほど北西にある津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)は、被葬候補者を代允恭天皇として、宮内庁により「藤井寺陵墓参考地」に治定されています。

允恭天皇陵(藤井寺市)
南側から東側を望む

古墳周辺

前述のように、この辺りは現在すぐ西側に国道170号線(旧道)が南北に、南側には近鉄の南大阪線、さらにその内側に府道12号(堺大和高田線・ヤマタカ線)が東西に走っており交通の要となっていますが、明治以前の主要街道だった東高野街道も100mほど東側を南北に、長尾街道にいたっては南側の古墳の堤の上を東西に走っています。

允恭天皇陵(藤井寺市) 宮の南塚古墳
宮の南塚古墳

允恭天皇陵の周囲には阿蘇溶結凝灰岩製の家形石棺や多量の副葬品が納められた「唐櫃山(からとやま)古墳」や「長持山古墳」をはじめとした陪冢(ばいちょう)と思われる小さな古墳が多数ありました。それらの内「宮の南塚古墳」と「衣縫塚(いぬいづか)古墳」は現在も確認できますが、他の多くは消滅してしまいました(「唐櫃山古墳」は一部が個人宅の敷地内に残っているそうです)。

允恭天皇陵(藤井寺市) 衣縫塚古墳
衣縫塚古墳

允恭天皇陵から府道と近鉄線を渡り土師ノ里八幡神社前などの道で南に300mほど行くと道明寺道明寺天満宮が、「土師の里」交差点を挟んで300mほど南西には仲姫命陵(仲ツ山古墳)があります。また、東側の「宮の南塚古墳」の隣には国府八幡神社、北東には国府遺跡、北には志貴縣主神社、西に伴林氏神社などもあります。

允恭天皇陵(藤井寺市) 衣縫塚古墳
衣縫塚古墳の説明板

アクセス

近鉄南大阪線「土師ノ里」駅下車徒歩3分。改札を出て右に「土師の里」交差点があるので渡り、直進し交番の前を過ぎ、最初の角を右へ入ると少し先に古墳が見え、説明板があります。最初の角をさらに真っ直ぐ進むと右手に拝所の入口があります。

允恭天皇陵(藤井寺市)
JA南大阪道明寺支店の前にある道標

車で行く場合は駐車場がないので、古墳北側のコインパーキングが便利かと思われます。「土師ノ里」駅の上、国道170号線(旧道)の「土師の里」交差点を北に進み、「惣社南」交差点を右(東)に入り少し進むとコインパーキングがあります。

Mausoleum of Emperor Ingyo(Fujiidera City,Osaka Prefecture)

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