【街歩き】高槻城跡公園とその周辺(高槻市) ・高山右近ゆかりの地

高槻城跡公園

2016年3月訪問
大阪府高槻市にある高槻城跡公園はその名の通りかつての高槻城(たかつきじょう)の跡地に整備された、高槻市役所や阪急高槻市駅からも数百メートルの距離にある公園です。

高槻城跡公園(高槻市)
高槻城跡公園(高槻市)
かつてのお堀を模した石垣や橋や池のある散策・休養ゾーン、芝生広場や遊具のある遊戯広場ゾーン、野球場(市民グランド)などからなるスポーツゾーン、歴史民俗資料館などがあります。




高槻城の歴史

高槻城は10世紀末に築城されたと考えられており、明治時代には廃城となりましたが、歴代城主の中でもっとも有名なのはキリシタン大名としても知られる高山右近で、その当時は領内に20ヶ所もの教会があったそうです。

明治7年(1874年)には破却が始まり、石垣などは鉄道施設の資材に利用され、跡地には帝国陸軍工兵第4連隊が駐屯。第二次大戦後は学校用地となり、現在は大阪府立槻の木高等学校となっています。

高槻城跡公園内部

現在の高槻城跡は公園として整備され、市民の憩いの場となっています。

高槻城跡公園(高槻市)
公園内の池

高槻城跡公園(高槻市)
池のほとりの梅

高槻城跡公園(高槻市)
模擬天守台

高槻城跡公園(高槻市)
鳩の群れ

高槻城跡公園(高槻市)
高槻城跡の碑

高槻城跡公園(高槻市)
高槻城跡の説明板

高槻城跡公園(高槻市)
公園名の標

高槻城跡公園(高槻市)
案内板

高槻城跡公園(高槻市)
公園北西出入口から出て槻の木高校側にある石碑

福者 ユスト高山右近

模擬天守台の近くにはキリシタン大名として知られる高山右近の像があります。

高槻城跡公園(高槻市)
高山右近像

高山右近は天文22年(1553年)に摂津の国人、高山友照(ダリオ)の嫡男として生まれました。通称は彦五郎で諱は重友。右近は私的な名で官位は従五位下・大蔵少輔にまで進んでいます。右近は永禄6年(1563年)にキリスト教の洗礼を受け、ポルトガル語で「正義の人」と言う意味の「ジュスト(ユスト)」の名を得ました。

高槻城跡公園(高槻市)
高山右近像

右近は人徳の人として知られ、蒲生氏郷や黒田孝高(官兵衛)など多くの大名が彼の影響でキリスト教に改宗しました。天下人秀吉からの信任も厚かった右近は播磨国明石郡に6万石を与えられ船上城に入りましたが、まもなくバテレン追放令が施行されキリシタン大名には苦しい時代となると右近は領地・財産を捨てて信仰を選び世間を驚かせました。

高槻城跡公園(高槻市)
高山右近像

その後、慶弔19年(1614年)に徳川家康がキリシタン追放令を出すと、加賀前田家に身を寄せていた右近はマニラに渡り、到着したわずか40日後の翌年初めに亡くなりました。享年63。

高槻城跡公園(高槻市)
高山右近像

没後400年にあたる平成27年(2015年)に日本の中央カトリック協議会は「殉教者である」として福者に認定するようローマ教皇庁に申請され翌年認められた。そして平成29年(2017年)2月7日に福列式が執り行われました。

高槻城跡公園(高槻市)
高山右近についての説明板

歴史民俗資料館

城跡公園内に南にあるこちらの資料館は江戸時代に高槻城の城下町紺屋町に建てられていた商家を移築復元したもので、市の有形文化財にも指定されています。しろあと歴史館の分館として当時の生活用具、農具、漁具などを保存・展示しています。入館料は無料です。

高槻城跡公園(高槻市)
歴史民俗資料館

高槻城跡公園(高槻市)
歴史民俗資料館

高槻城跡公園(高槻市)
歴史民俗資料館(奥の建物)

高槻市立しろあと歴史館

公園に隣接する市立第一中学校の北隣、高槻城三の丸跡の一角にはしろあと歴史館があり、様々な展示やイベントを行ってます。

高槻市立しろあと歴史館(高槻市)
高槻市立しろあと歴史館

常設展示では主に江戸時代の高槻をメインテーマに様々な資料や模型、映像を使って歴史と文化をわかりやすく5つのコーナーで無料展示しています。

高槻市立しろあと歴史館(高槻市)
様々な企画展も開催

その他、特別展、企画展などが行われるスペースもあります(こちらは有料の場合もあります)。

高槻市立しろあと歴史館(高槻市)
外の展示物

また、ホール内で戦国武将やお姫様に変身して写真撮影できるコーナーもあります。

高槻市立しろあと歴史館(高槻市)
エントランス

野見神社

公園北西には野見神社があります。宇多天皇の頃(9世紀後半)に創建されたといわれ、現在は須佐之男命、野見宿禰命を祀っています。

野見神社(高槻市)
野見神社(高槻市)

キリシタン大名だった高山右近の時代には破壊され社領も没収されましたが、後に松平紀伊守によって再建され高槻城内守護となりました。

カトリック高槻教会

公園と阪急高槻市駅を結ぶ道沿いの西側にあり、入口横に高山右近像もあります。高山臨終の地、フィリピンのマニラ近郊アンティポロにある聖母大聖堂を模して建てられた聖堂は「高山右近記念聖堂」として知られています。

カトリック高槻教会(高槻市)
カトリック高槻教会(高槻市)

カトリック高槻教会(高槻市)
高山右近像

カトリック高槻教会(高槻市)
高山右近像

カトリック高槻教会(高槻市)
南側の建物


カトリック高槻教会(高槻市)
高山右近記念聖堂


カトリック高槻教会(高槻市)
南側にある藤井竹外邸跡の碑と説明板

アクセス

JR「高槻」駅から南に進み国道171号線の「高槻市役所前」交差点などを左折し京都方面へ。約500m先の「北大手」交差点を右折し南へ約300m。または阪急「高槻市」駅から南に約200mで「北大手」交差点なのでそのまま直進。

車では国道171号の「北大手」交差点を、大阪方面からは右折、京都方面からは左折です。

徒歩、車いずれの場合も「北大手」交差点から南に進むと、右にカトリック高槻教会、次に野見神社が見え道が左に折れるのでそのまま行くと信号のすぐ向こう右側にしろあと歴史館があります。公園へは信号を右折(南方向)します。左の中学の向こうに公園入口があります。

Takatsuki Catsle Site Park and Other Spots(Takatsuki City,Osaka Prefecture)

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