国史跡 狭山池
2016年4月訪問
狭山池(さやまいけ)は大阪府大阪狭山市にある我が国最古といわれるダム式ため池です。遠くに二上山、葛城山、金剛山を望み、鉄道や幹線道路も近く静かな住宅街のそばにあるこの池は、現在市域の1割を占める水面と、その周りに美しく整備された公園や博物館などで地域住民の憩いの場として有名です。狭山池(北西より龍神社を望む) |
池の周囲の堤防の上は1周2850mのランニングコースとしても利用され、周辺に植えられたコシノヒガンという種類の桜が咲き誇る時期には特に多くの人で賑わいます。
昭和の石碑について記した説明板 |
1400年前に造られた狭山池には、地域の農業や治水に欠かせない存在というだけでなく、遊園地や競艇場もあったという歴史があります。
●大阪府立狭山池博物館について詳しくは →【南河内探訪】大阪府立狭山池博物館(大阪狭山市)
狭山池の歴史
狭山池のある大阪狭山市は昭和62年(1987年)に市制施行する以前は南河内郡狭山町でした。この名でわかるようにここは令制国時代は河内国でした。河内国には大和川や石川といった水量の豊富な川がありましたが、この付近は丘陵地帯で水量が乏しく灌漑(田畑に水を供給すること)に苦労していのでため池が多く造られました。
東岸の堤 |
その中で最大の狭山池は古事記や日本書紀にも登場し、枕草子でも触れられているようですが正確な築造年は分かっていません。平成の改修で狭山池が築造された当時の樋が見つかり、使用されている木材の年代測定の結果、推古天皇24年(616年)頃に伐採されたものであることが明らかになりました。
このような研究から飛鳥時代前期に朝廷によって天野川(西除川)と三津屋川(今熊川)の合流点付近を堰き止めて築造されたと考えられています。現在狭山池に流入するのは西除川(にしよけがわ)と三津屋川(みつやがわ)で、流出するのは西除川と東除川(ひがしよけがわ)でどちらも北の大和川に流れ込みます。ちなみに西除川の狭山池より上流部は天野川(あまのがわ)とも呼ばれるそうです。
東岸から博物館を望む (左は2016年に開催された記念イベントのラバーダック) |
完成した狭山池は宝永元年(1704年)に大和川が現在のコースに付け替えられるまで、今の大阪市域に至る80ヶ村、約55000石を灌漑しており平成の世になるまでに幾度も改修されてきました。奈良時代、天平3年(731年)に有名な行基による改修があり、天平宝字6年(762年)には朝廷による改修も行われています。鎌倉時代の建仁元年(1202年)には東大寺を再建した僧の重源が、江戸幕府成立後の慶長13年(1608年)には豊臣秀頼の命により片桐且元が改修を行いました。
昭和63年(1988年)から10年以上の工期をかけて始まった平成の大改修ではダム化により洪水調整機能を備えると同時に周辺は公園となり、平成13年(2001年)には池の北岸に大阪府立狭山池博物館が完成しました。そして平成27年(2015年)3月10日、狭山池は国の史跡に指定されました。
ダムとしての狭山池
大阪府によって行われた狭山池始まって以来最大規模の改修工事、平成の大改修では池の底を約3m掘削し、堤体を約1mかさ上げして均一型アースダムに生まれ変わりました。これにより洪水調整機能を備えた狭山池は従来の農業用ため池という役割だけでなく下流域を水害から守る治水ダムという役割も与えられました。
この先は東除川 |
西除川の出口 |
また、池の東側にある「パティスリーフラワー 狭山池店」では「狭山池ダムカレー」を、府立狭山池博物館のカフェでは「狭山池博物館カレー」を食べることが出来ます。
狭山池に浮かぶ竜神社
狭山池の北西の池の中に龍神社(りゅうじんじゃ)という神社があります。石垣で囲まれた小さな島の祠のようですが、対岸に鳥居があります。これは河内国丹南郡の狭山池には大昔から雌の大蛇(龍神)が棲んでおり、石川郡喜志(現在の富田林市)にある粟ヶ池(諸説あり)にいた雄の大蛇を迎えて一緒に棲んでもらうために建てた、という伝説があるそうです。現在までに何度か遷座・建て替えられています。
龍神社の鳥居 |
この大蛇にまつわる言い伝えは色々あり、狭山池の水を守る龍神様として今も祀られており、大阪狭山市のゆるキャラ「さやりん」のモチーフにもなっています。
池に浮かぶ祠 |
冬場の「池干し」で水位が下がると、祠の土台の前に、直径約27m、深約5mのすり鉢状の穴を見られることがあります。これは、平成8年(1996年)の工事の際に発見された「龍神淵」で、冬期に池の水が抜かれても龍神が住む場所に困らないよう淵には水が溜まるようになっています。その中央には高さ・幅それぞれ約20cmの陶製の壺が入れられ、雄の龍神を祀っているそうです。
冬場に現れた龍神淵(2019年2月撮影) |
ちなみに、龍神淵に祀られているのが如意宝大龍王、小島の祠に祀られているのが善女大龍王というそうです。
大阪府立狭山池博物館
大阪府立狭山池博物館は平成13年(2001年)に狭山池の北側に開館しました。1400年にわたり周辺住民の生活を守ってきた狭山池には農業や土木技術の進歩、また携わった人々の歴史を知る資料的価値があります。このような文化遺産としての狭山池について学ぶため、また各種講演会やイベント、生涯学習の場として利用できる大阪府中南部の拠点文化施設として当博物館は建てられました。大阪府立狭山池博物館 |
大阪狭山市のシンボル的建造物ともいえる特徴的な白い外観の建物は建築家安藤忠雄氏の設計によるもので、門から建物入口までコンクリートの建物を流れる水を間近に感じながら長い通路を楽しめます(エレベーターなど近道もあり)。
安藤忠雄氏による設計の博物館 |
滝のように流れ落ちる水 |
飛鳥時代に敷葉工法(しきはこうほう)を用いて築かれた堤は何度も改修されてきましたが、館内の常設展示ではその様子を伝える高さ約15m、幅約60mに及ぶ堤の断面の展示が圧巻です。他にも改修の歴史やアジアの土地開発などを実物や模型を使って分かりやすく展示しています。
巨大な堤の断面 |
開館時間は午前10時から午後5時(入館は午後4時30分まで)、休館日は年末年始と月曜日(月曜日が祝祭日の場合は翌日)、入場料は無料です。
平成の大改修で出土したものも多数展示されています。 |
狭山藩陣屋跡
大阪狭山市役所からすぐ前の府道198号線を北に約500m行った(南海電車の線路をくぐる手前)西側の道沿いに、小さな公園のように整備された狭山藩陣屋跡があります。江戸時代にこの地を治めた狭山藩の藩庁があった場所です。陣屋とは一般的に江戸時代、3万石以下の城を持たない大名が持った、藩庁の置かれた屋敷のことです(上級旗本の知行地の場合などの例も)。
府道198号線沿いの狭山藩陣屋跡 |
陣屋跡の説明 |
この狭山藩の藩主家は江戸時代を通じて北条家でしたが、北条家がこの河内に根を下ろすきっかけは豊臣秀吉の時代に遡ります。それ以前の北条家は相模国小田原を中心に関東に最大240万石を領した大大名でした。有名な北条早雲を祖とし、氏康や氏正を出したいわゆる後北条氏です。
狭山藩陣屋跡碑 |
天正18年(1590年)秀吉の小田原征伐によって広大な領地を失った後北条家でしたが断絶は免れ、この地で1万1000石の大名として明治を迎えることとなります。
公園のように整備されています。 |
さやま遊園と狭山競走場
江戸時代が終わり華族となった北条家より、住民に有効利用して欲しいと狭山池東畔の下屋敷跡地が寄贈されました。昭和13年(1938年)にその土地を利用して南海電鉄会社によって遊園地が開園しました。戦中・戦後は荒廃し、昭和27年(1952年)からは「狭山競走場」という競艇場として生まれ変わりましたが3年後に干ばつによるレース中止となり、昭和31年(1956年)に閉鎖され、競艇場は住之江へ移転しまた。
昭和34年(1959年)には南海観光開発会社により遊園地事業が再開され「さやま遊園」となりました。以降は南海電鉄の経営のもと夏はプール、冬は屋内型スケートリンクなどで子供たちに人気でしたが、その後の少子化やレジャーの多様化などで入場者数が減り、平成12年(2000年)に閉園しました。
池の東岸のさやか公園にある説明板 |
現在の跡地は「さやか公園」や住宅地、マンションとなっている他、「さやま遊園」の来園客や従業員等の安全祈願のために建立された狭山池水天宮が「さやか公園」近くに遷座しています。また、最寄り駅の南海高野線「さやま遊園前駅」は閉園から9ヵ月後の平成12年(2000年)12月23日に「大阪狭山市駅」に改称されました。
また、狭山池の南には狭山神社、北には狭間神社、西には池之原神社が鎮座しています。
また、狭山池の南には狭山神社、北には狭間神社、西には池之原神社が鎮座しています。
アクセス
鉄道では南海高野線「大阪狭山市」駅下車。上り下り各ホームの改札を出て、いずれの場合も右(西)方向へ進むと半田交番と半田郵便局のある交差点に出るので右折。川を渡ると左前方に東小学校がある交差点に出るのでそこを左折します(このまま直進すると狭山藩陣屋跡があります)。あとは200m弱進むと狭山池の堤への上り口があるのですぐ分かります。堤の上からは池や博物館が見渡せます。
車の場合、分かりやすく博物館にも近いのは北堤駐車場(無料)です。大阪市内や堺市中心部方面からは国道310号線を南下、「池之原中」交差点を左折して300mほど進むと右手に駐車場入口があります。
泉北方面からは府道34号線を東に進み国道310号線との「亀の甲」交差点を左折、逆に富田林方面からは右折ですがいずれの場合も跨道橋(高架)ではなく側道を。河内長野方面からは国道310号線を北へ走り「亀の甲」交差点を直進します。あとは同様に「池之原中」交差点まで進み右折し、約300mで右に駐車場入口があります。この駐車場から堤に出ると池の中に龍神社があり、左に博物館が見えます。
池の南西にも駐車場はありますが博物館は遠いです。どちらの駐車場もそれほど広くないので花見シーズンなどは混雑が予想されます。なお、駐車場利用可能時間は通常午前8時~午後7時です(イベント時は変更有)。
●大阪府 狭山池ダム →http://www.pref.osaka.lg.jp/damusabo/dam/sayama.html
●大阪府立狭山池博物館 →http://www.sayamaikehaku.osakasayama.osaka.jp/_opsm/
●大阪府 狭山藩陣屋跡 →http://www.pref.osaka.lg.jp/bunkazaihogo/maibun/sayamahannjinnya.html
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