狭間神社(大阪狭山市) ・狭山池の北に鎮座するかつての池尻牛頭天王社

狭間神社

2020年1月訪問
狭間神社(はざまじんじゃ)は大阪府大阪狭山市池尻中にある神社です。大阪狭山市には日本最古といわれるダム式ため池の狭山池がありますが、その北側に広がる古くからの住宅地の中に狭間神社は鎮座しています。

狭間神社(大阪狭山市)
狭間神社(大阪狭山市)

明治時代まで日本各地の村々には数多くの神社がありましたが、明治の末頃には多数が近くの大きな神社に合祀されました。しかし、合祀された神社の中には第二次大戦後に元の村に戻る神社(復社)もありました。狭山にも同様に多くの神社がありましたが、ほとんどが狭山神社、三都神社菅生神社(堺市美原区)に合祀されるという経緯があり、こちらの狭間神社などは復社した神社となります。


歴史と概要

狭間神社には由緒書きや説明板が見当たらず、正確な創建年は不明です。鎮座地周辺はかつての河内国丹南郡池尻村で北条氏の河内狭山藩が治めていました。大阪狭山市史によると、かつて池尻には牛頭天王社(狭間神社)があり、絵図などからその境内は非常に広大であったと考えられています。


神仏習合の時代に牛頭天王社と呼ばれていたことから、御祭神は牛頭天王と同一視されていた素盞嗚命(須佐之男命)と考えられます。かつては稲田姫命と大山祇命も祀られていたとする資料もあるようですが現在は不明です。

明治末の政府による合祀政策により、狭間神社は明治42年(1909年)7月16日に現在大阪狭山市内の中心駅といえる金剛駅の西に鎮座する式内社狭山神社本殿に合祀されました。合祀には池尻村が難色を示し2年近く協議された後、明治42年5月22日に合意し、遷座式は10月12日、13日の両日に渡り盛大に執り行われたそうです。池尻には他に稲荷神社や八雲神社がありましたが、これらも狭山神社に合祀されています(葛西神社(かつさいじんじゃ)は廃社)。

現在の狭間神社は第二次大戦後に復社したもので、1kmほど南西には同様に三都神社から復社した池之原神社があります。なお、狭山池の南には狭山神社、東には狭山池水天宮、西には池之原神社が鎮座しています

狭山神社の境内社に狭山戎神社(祭神:事代主大神)がありますが、この戎神社はもともとこの狭間神社に勧請されたもので、明治末の合祀の祭に狭山神社の境内に遷座し今に至っているそうです。


狭間神社(大阪狭山市)
社号標

当社の少し北には狭山池の池守をつとめた田中家があり、狭山池に関する数多くの歴史的資料が残されているそうです。

ちなみに、池尻村は明治6年(1873年)に通称「狭山新宿」と呼ばれた狭山新町および半田新町を編入しますが、明治22年(1889年)には半田村・東野村と合併し狭山村が発足。明治29年(1896年)には所属郡が丹南郡から南河内郡となりました。当時の狭間神社鎮座地は狭山村大字池尻字古城となっています。昭和6年(1931年)には狭山村が三都村と合併し、改めて南河内郡狭山村が発足。昭和26年(1951年)には南河内郡狭山町に、昭和62年(1987年)には市制施行して大阪狭山市となります。

なお、狭間神社は神職不在神社です。

祭礼

大阪狭山市史によると、現在の狭間神社は狭山神社の信仰圏にとどまりながら地元の遥拝所として復興されたものだそうです。秋祭りの時期には狭山神社の祭礼の日に池尻でも地車(だんじり)がでますが、これは小さなもので大阪狭山市地車連合会に属さず、狭間神社を出立して池尻地区内のみ曳行されているようです。

境内

現在の狭間神社の鎮座地は旧池尻村西畑集落の南の端付近に当たります。境内は南北10m弱、東西に25mほどとなっています。

狭間神社(大阪狭山市)
燈籠と松の木が並ぶ境内

現在の境内へは東側から入ります。鳥居は見当たらず、参道、拝殿、本殿とも東向きとなっています。

狭間神社(大阪狭山市)
百度石

入口右側に社号票がありますが、その裏に小さな百度石がありました。

狭間神社(大阪狭山市)
境内手前右側の燈籠

境内には石燈籠が5基あります。入ってすぐと拝殿前に1対ずつ、参道途中の入口寄り右側に1基あります。

狭間神社(大阪狭山市)
参道右側にある単独の燈籠

これらの石燈籠は江戸時代の18世紀半ばから19世紀初めにかけて奉納されたもののようです。

狭間神社(大阪狭山市)
手水舎

拝殿手前左手には手水舎があります。

狭間神社(大阪狭山市)
多数の盃状穴が見られる手水鉢

こちらにある石の手水鉢は天和元年(1681年)のもので、市内で最古の手水鉢だそうです。他の古い燈籠と同じ石材なのか、色合いも似ている様にも見えます。

この手水鉢上面の周囲には盃状穴が所狭しと見られます。盃状穴とは主に西日本の神社仏閣の境内などにある石燈籠の台石や手水鉢、石段といった石造物、さらには特定の岩によく見られる穴です。盃状穴は人為的に作られた窪みですが、これはかつて安産祈願などのために開けられたものとも考えられているそうです。

狭間神社(大阪狭山市)
拝殿

入口から10m少々進むと拝殿があります。拝殿前にはまだ新しい感じの狛犬がある他、拝殿の左側に通り道があって、神社の裏手の路地から出入りできます。

狭間神社(大阪狭山市)
「狭間神社」の額

拝殿には「狭間神社」の額が掲げられています。

狭間神社(大阪狭山市)
ガラス戸の奥に見える本殿

拝殿手前側は格子窓ですが、奥側はガラス戸、ガラス窓となっており、その先に本殿が見えます。

狭間神社(大阪狭山市)
拝殿左側の像

この拝殿内には、2対の狛犬と1対の人物像が置かれています。これらの人物像は天満宮(天神さん)などで見られる矢大神・左大神の随身像のようですが詳細は不明です。なお、南河内周辺で随身像を見られる神社としては丹南天満宮菅生神社境内社の余部神社などがあります。

狭間神社(大阪狭山市)
拝殿右側の像

これらの狛犬や像は歴史のある貴重な木像のようにも見えます。狭山神社への合祀前、村内にあったいずれかの神社にあったものと思われますが詳細は不明なので、やはり説明板が欲しいところです。

狭間神社(大阪狭山市)
本殿

大阪狭山市史には復興した狭間神社は遥拝所とのことですが、拝殿の奥には流造のしっかりとした本殿があります。なお、拝殿左側(南側)の小路から本殿がよく見えます。

アクセス

国道310号「池之原中」交差点から東(北東)に約850m進んだ「狭山博物館前」交差点を左折し北に進み、約450m先(府道203号富田林狭山線を越えて約80m)の交差点を左に曲がります。そこから100mほど進み極楽寺の角を左折(南へ)するとすぐ右手に狭間神社が見えます。

最寄り駅である南海高野線「狭山」駅前からは府道26号大阪狭山線(南向き一方通行の道路)を南(狭山池方面)に進み、約450m先の十字路を左折します。そこから140mほど進み極楽寺前の交差点を右折するとすぐに当社が見えます。

なお、神社に駐車場は無く周辺も細い道や一方通行の道路が多いので徒歩での参拝がおすすめです。

Hazama Shrine(Osakasayama City,Osaka Prefecture)


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