布忍神社(松原市) ・“恋みくじ”だけではない文化財の宝庫

布忍神社

2019年11月訪問
布忍神社(ぬのせじんじゃ)は、大阪府松原市北新町にある神社です。松原市の西部を流れ、大和川に合流する西除川(にしよけがわ)の左岸(西岸)に鎮座し、古来より布にまつわる伝承があり、病気平癒や厄除け、交通安全、商売繁盛の神として崇められていました。

布忍神社(松原市)
布忍神社(松原市)

近年では1月の「開運松原六社参り」といって、お正月の元旦から15日までに松原市内の五社と近隣の一社(阿保神社阿麻美許曾神社我堂八幡宮柴籬神社 ・布忍神社・屯倉神社)を参詣し開運を願う行事などでも参拝者が多い神社として知られていますが、ちょっと変わったお御籤などで、若者からも注目を集める神社ともなっています。




歴史と概要

布忍神社の正確な創建年は不明です。御祭神は中殿に速須佐男之尊(はやすさのおのみこと)、左殿に八重事代主之尊(やえことしろぬしのみこと)、右殿に建甕槌雄之尊(たてみかづちおのみこと)が祀られていますが、境内には他にも多くの摂社・末社があり様々な神様が祀られています。

社伝によると、布忍神社から2kmほど北北西の天美地域の天見丘にある阿麻美許曽神社(あまみこそじんじゃ)から速須佐男之尊を招いたとされ、その時に白布を敷いて当地に迎えたことから社名を布忍とし、村名を向井(むかい)村としたとされています。ちなみ、この「布忍」の由来には、日本書紀にもある布忍入姫命(ぬのしいりびめのみこと=日本武尊の娘)から来ているとの説もある他、対岸の大林寺にはまた別の謂れもあります。

布忍神社(松原市)
神門横の看板

向井村は、かつての河内国丹北郡に属しており、長尾街道(大津道)や、下高野街道といった街道が付近を通っていました。明治22年(1889年)に布忍郷の内にあった周辺の更池村・高木村・清水村・東代村と合併して布忍村となり、明治29年(1896年)には所属郡が中河内郡に変更されました。鎮座地である向井集落の中心は西除川の対岸である右岸(東岸)にある一方、神社北西の高木、南西の清水両集落は至近距離にあったようです。

その後、昭和30年(1955年)に布忍村は松原町・天美町・恵我村・三宅村と合併して現在の松原市が発足しました。現在も布忍神社は、布忍村の氏神として上記三神を祀っています。

布忍神社(松原市)
東側鳥居横の説明板

松原市のホームページなどによると、高木集落(現在の北新町3丁目)にある布忍寺東之坊の縁起には、「弘仁5年(814年)、第52代嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が布忍寺の伽藍を再建した際に、本堂に薬師如来、五重塔に大日如来を祀り、鎮守として牛頭天王を布忍七カ村の産土神と崇め奉る」と記されているそうです。

ちなみに、布忍寺は平安時代に建立された寺院で永興寺とも呼ばれており、布忍神社のすぐ南西にありましたが、明治6年(1873年)に廃寺となったことから、現在、布忍寺の名を継いでいるのはかつての布施寺の塔頭であった東之坊です。

布忍神社(松原市)
境内南側の説明板

貴重な文化財

昭和58年(1983年)に本殿の修復が行われましたが、この時に身舎の両側面から江戸時代の狩野派絵師(伝狩野探幽)によると見られる唐獅子絵、脇障子から随神像の下絵が見つかりました。さらに、寛文3年(1662年)5月9日に近くの清水村(現南新町)の木下氏が武運長久や無病息災を祈って奉納した奉納札が発見され、これにより本殿の細部様式などから寛文3年以前に建築されたことが推測されます。
この本殿は、桃山様式を受け継いだ江戸時代初期の一間社流造で檜皮葺となっていて、蟇股(かえるまた)に薬師如来を表す梵字(バイ)が彫刻された神仏混合の形式を留めたものとなっています。平成14年(2002年)には、本殿と奉納札が大阪府指定有形文化財に登録されました。

また、本殿正面の「布忍宮」と書かれた扁額も、黄檗宗大本山で宇治にある萬福寺の第5世、高泉性敦(こうせんしょうとん。明から招かれた高僧)禅師による江戸時代初期の筆であることが明らかになり、こちらからも仏教との関わりを見ることが出来ます。

さらに、宝永2年(1705年)に奉納された布忍八景絵馬は、当地の文化水準を示すものとして松原市指定有形文化財に指定されています。


このように、布忍神社には室町時代から江戸時代のものと考えられる文化財や美術品が数多く残されており、そこから様々な神仏習合の痕跡を見ることが出来ます。

恋みくじと「復活LOVE」

布忍神社は古来、病気平癒、毒虫退治の神と称えられてきましたが、近年では現代アーティスト「イチハラ ヒロコ」さんとコラボした「イチハラヒロコ恋みくじ」が人気となっています。この恋みくじ自体は以前からありましたが、平成29年(2017年)11月頃からGoogleのCMで紹介されたことで一躍有名となったったそうです。


また、またアイドルグループ「嵐」の曲のタイトルと同じ「復活LOVE」のお守りがあることで嵐ファンにも注目されるなど、インターネット・SNSを通じて布忍神社が知られるようになり、若い参拝者も増えたそうです。

授与所は基本的に月曜日が定休日のようです。詳しくは布忍神社のホームページ参照。

境内

現在、布忍神社に参拝する場合、交通量の多い道路や鉄道駅は神社の東側にあるので多くの参拝者は西除川を渡って東側の鳥居・参道から参られるかと思いますが、本殿、拝殿は西向きに建ち、神門もその先にあることから本来布忍神社の正面は西側と考えられます。

布忍神社(松原市)
一の鳥居

神門から150mほど西には一の鳥居があります。ここから東に見える神門までは直線の参道ですが、両側には民家が建つ通常の生活道路を兼ねています。

布忍神社(松原市)
神門

神社の北西にある神門からは拝殿まで見えるので、一の鳥居、神門、二の鳥居、拝殿、本殿と一直線に並んでいるようです。

「開運松原六社参り」に含まれる柴籬神社や阿麻美許曽神社でも神門が見られましたが、これらは神宮寺の山門だったようです。

布忍神社(松原市)
手水鉢

境内に入ると右手に手水舎があります。

布忍神社(松原市)
二の鳥居

手水舎で清め、再び拝殿の方に向くと、正面に二の鳥居、左手に社務所、右手に百度石などが見えます。

布忍神社(松原市)
拝殿

二の鳥居をくぐると、注連柱の先に拝殿があります。

布忍神社(松原市)
授与所

恋みくじをはじめ、通常の御神籤、各種お守りは参拝後に拝殿左手にある授与所にて。

なお、拝殿内部や授与所などは「撮影禁止」のようなので遠景となります。


ここからは、多くの参拝者が辿ると思われる神社東側からの参拝コースをご紹介します。

布忍神社(松原市)
西除川に架かる宮橋

布忍駅など東側から参拝する場合は、後述の「アクセス」にも記した西除川に架かる宮橋などで川を渡る必要があります。神社入口前のこの宮橋は雰囲気のある赤い欄干が目印。

布忍神社(松原市)
東側の鳥居

宮橋を渡ると右手に鳥居が見え、参道が奥に続いているのがわかります。駐車場はこの鳥居の右側に入口があります。

布忍神社(松原市)

東側の鳥居をくぐってすぐ右手に小さな祠があり、横の石碑には「加太淡嶋」と彫られています。和歌山県和歌山市加太にあり人形供養で知られる淡嶋神社のことでしょうか。なお、石碑の裏には「福姫大神」とあります。

布忍神社(松原市)
東側からの参道

東側からの参道は右に曲がりつつ、最終的には社務所の前に出ますが、それまでに多くの境内社を見ることが出来ます。

布忍神社(松原市)

東側の鳥居をくぐり、参道を少し進むと右側が駐車場となっていますが、その奥(北側)に南向きの2つの鳥居(境内社)があります。

まず右側にあるのが「護国神社」のようで、左手に「日露戦役記念碑」も建っています。

布忍神社(松原市)

左側にあるのが「白蛇大神」です。

布忍神社(松原市)
水分神社・春日神社

参道を進み、少し右に曲がった辺りの右手に見える鳥居の奥にあるのが「水分神社」と「春日神社」です。

布忍神社(松原市)

「水分神社」と「春日神社」の2社は並んで西向きに建っています。

布忍神社(松原市)

「水分神社」と「春日神社」の左側の少し奥まったところに少し高くなった石の舞台?があり、その奥に鳥居と「遥拝」の碑がありますが、方角からして伊勢の神宮に向いているのでしょうか。

こちらには、初宮詣りの子供の健康・発展を祈念すると共に、参拝の記念として足跡の銘板を残せるようになっており、初宮詣で以外にも座右の銘や和歌、俳句等の銘板も奉納できます(平成12年(2000年)元旦より)。

布忍神社(松原市)

遥拝所のさらに左側には白姫大神を祀る「白姫神社」があります。なお、この左手が布忍神社の本殿となります。

布忍神社(松原市)

神社東側からの参道を進むと、ほとんどの境内社が右側にありますが、左側に鎮座するのがこちらの「末廣稲荷神社(末廣稲荷大明神)」です。

祭礼等

2月には節分祭、7月12、13日頃に夏祭り、9月に観月祭、10月14、15日頃に秋祭りが行われます。

布忍神社(松原市)
拝殿前にある由緒記の碑

●布忍神社 ホームページ →http://www.eonet.ne.jp/~nunose/

アクセス

布忍神社周辺は道が入り組んでいてルートが色々考えられるので、迷いにくいと思われるものをいくつか紹介します。いずれもアクセスしやすい神社裏側(東側)の鳥居へのルートです。

鉄道で行く場合、近鉄南大阪線「布忍」駅の改札を出てそのまま南に進み、踏切のある道路(長尾街道)を右折します。120mほど進むと西除川に架かる布忍橋が見えるので手前を右折。川の東側を約250m北に進むと赤い欄干が目立つ宮橋が見えるので、この橋を渡るとすぐ右手に布忍神社があります。なお、先に布忍橋を渡って右折し、遊歩道を歩いても行けます。なお、松原市内公共施設循環バス「ぐるりん号」の「向井公民館」バス停が宮橋の南、西除川東岸にあります。

布忍神社(松原市)
駐車場

車などの場合、国道309号「阿保2丁目」交差点からは西に進み、約1.6km先の近鉄線を跨ぐ跨線橋を越えた先の西除川の手前を左折、また、府道192号我堂金岡線等の「我堂東」交差点からは東に約500m進み、西除川を渡った先の信号を右折します。その後、川の東側を南に600mほど進むと赤い橋(宮橋)が見えるので、その橋を渡るとすぐに布忍神社があります。

駐車場入口は鳥居の右手にありますが、満車の場合は西除川東岸を少し北に行ったところ等にあるにコインパーキングを利用すると良いかと思われます。

Nunose Shrine(Matsubara City,Osaka Prefecture)

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