葛上神社(吉野郡大淀町) ・子供相撲が行われるタヂカラオを祀る神社

 葛上神社

2018年5月訪問
葛上神社(くずかみじんじゃ)は奈良県吉野郡大淀町岩壺にある神社です。奈良市内や大阪方面から吉野を目指すと、吉野山の手前の街道から少し外れた山間にある集落の氏神様で、道から少し山を上った所に鎮座しています。

葛上神社(吉野郡大淀町)
葛上神社(吉野郡大淀町)

木々に囲まれ、静かで澄んだ空気の中にある葛上神社では、その岩戸隠れの伝説で知られる御祭神にちなんだ行事が今に伝えられているようです。


歴史と概要

葛上神社の正確な創建年は不祥です。「大淀町の民俗」などによると、葛上神社は岩壺集落の氏神であり、その御祭神は手力雄命(たぢからおのみこと)で、他に境内社として日尻権現社と三十八社大明神が祀られています。社名は「葛神神社」との表記もあったようです。

手力雄命は、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)などとも表記される神様で、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れて世界が暗闇に閉ざされた際の活躍で知られています。このいわゆる岩戸隠れの伝説では手力雄命は岩戸の脇に控えていて、天照大神が岩戸から顔を覗かせた瞬間に隠れていた手力雄命が戸を開いて天照大神の手を取って岩戸の外へ引き出したと伝えられています。このことから手力雄命は大力の神とされており、天孫降臨にも付き従ったとされています。

長野県長野市にある戸隠神社(とがくしじんじゃ)は全国的に知られた神社ですが、こちらの御神体である戸隠山の名称は、天照大神が籠っていた天の岩戸を天手力雄命が力まかせに投げ飛ばした際に、その一部が飛来してこの地に落下し、山になったという伝説から付けられているそうです。

なお、葛上神社から直線距離で約1km北西には葛神社が鎮座していますが、こちらの御祭神も手力雄命となっている他、岩壺に隣接する矢走(やばせ)集落には天髪王神社があり、その御祭神は長野県諏訪市の諏訪大社にも祀られ、こちらも力持ちで知られる建御名方命(たけみなかたのみこと)となっています。


「葛」といえば、奈良県では「吉野葛」のように食物・植物のクズも有名ですが、大和葛城山をはじめ大和国時代には葛上(かつじょう)郡や葛下(かつげ)郡、明治以降の北葛城(きたかつらぎ)郡、南葛城(みなみかつらぎ)郡、など「葛」の字の付く地名が多く見られます。今の御所市南西部にはかつて南葛城郡葛上(かつじょう)村が、南東部には葛上郡(後に南葛城郡)葛(くず)村があって、今も「葛(くず)」駅の名で残っています。その葛駅から直線距離で約3.5km南東にあるのがこの葛上神社です。

しかし、当社の社名である「葛上」については、棟札(後述)に記されているとおり「九頭神(くずかみ)」とも考えられているそうで、日本各地に残る九頭龍伝承に関係している可能性があります。地図で調べると、奈良県では特に東部に「九頭」と付く神社が多いようです。

ちなみに、当社の鎮座する岩壺地区はかつて大和国吉野郡岩壺村でしたが、明治22年(1889年)に周辺の多くの村と合併して大淀村となり、大正10年(1921年)に町制施行して大淀町となりました。

葛上神社は神職不在神社です。

祭礼

平成25年(2013年)3月の大淀町教育委員会による「おおよどの民俗と伝統文化」によると、岩壺地区では葛上神社の祭礼が秋に執り行われるようですが、その期間中?の体育の日には「子ども相撲」があるそうです。その舞台はもちろん、岩壺の氏神であり剛力として知られる手力雄命を祀る葛上神社です。

この子ども相撲は、「スモウトリ」と呼ばれる相撲取りの格好をした子どもが「ワッタイ、ワッタイ、ワッタイヨー」などの掛け声とともに、介添えの大人の手伝いを得て手を回す動作を繰り返すもので、実際に相撲が行われるわけではないようですが、力を象徴する神・手力雄命と相撲の奉納との関連などが注目されます。


境内

三叉路の南東側に葛上神社への参道である石段の上り口があり、狛犬、鳥居、石灯籠と並んでいます。こちらの一対の石灯籠は天保8年(1837年)のもののようです。手水舎は最初の狛犬の右手にあり、独特な形の手水鉢を見ることができます。

葛上神社(吉野郡大淀町)
鳥居と手水舎(2019年5月)

参道(石段)の最も下、道路との境目に小さな道標があり「左 矢走」と彫られています。矢走集落には天髪王神社という少々変わった名の神社があるようです。

葛上神社(吉野郡大淀町)
鳥居

狛犬、鳥居、燈篭はそれぞれ石造りのしっかりしたもので、鳥居の額には「葛上神社」とあります。石段には手すりも。

葛上神社(吉野郡大淀町)
割拝殿

石段を上りかけると、少し上に門のような建物が見えて来ます。

葛上神社(吉野郡大淀町)
拝殿左側

門のように見えた建物は割拝殿のようです。

葛上神社(吉野郡大淀町)
拝殿右側

割拝殿の左右は舞台のようになっていますが、何も置かれていませんでした。

葛上神社(吉野郡大淀町)
拝殿の先の石段

割拝殿を抜けるともう少し石段があり、その上に3つのお社が見えます。

葛上神社(吉野郡大淀町)
本殿と左右の摂社

拝殿の先の石段を上り切ると、その先にさらに低い石垣と短い石段があり、その上に本殿などが建っていることがわかります。社殿は、中央に主祭神を祀る本殿があり、その左右に少し小さな摂社があります。

前述の「大淀町の民俗」によると、春日造の本殿の棟札には「奉九頭神手力雄命 正遷宮 明治二己巳六月吉日 岩坪村役人 庄助 荘兵衛」とあるそうで、本殿が明治2年(1869年)に建立されたことがわかります。

葛上神社(吉野郡大淀町)
日尻権現社

本殿に向かって左に鎮座するのが「日尻社」で、御祭神は不明です。

葛上神社(吉野郡大淀町)
三十八柱神社

本殿に向かって右に鎮座するのが「三十八社」で、こちらは他の神社で見られるように様々な神様が祀られているのかもしれません。南河内では広国神社(廣國神社)佐備神社の摂社でも見られました。

こちらの棟札には「天下泰平 吉野郡岩壺村大工 若助」とあるそうです。

葛上神社(吉野郡大淀町)
靖国神社と明治天皇遥拝所の碑

本殿前の左手には「靖国神社遙拝所」と「明治天皇遥拝所」と彫られた石柱が建っています。なお、靖国神社は東京都千代田区九段北にありますが、現在明治天皇の陵は京都府京都市伏見区にある伏見桃山陵となっています。

葛上神社(吉野郡大淀町)
本殿前から見た拝殿

本殿前で振り返ると、先ほどの割拝殿が良く見え、木々の間からはその下の道まで窺うことができます。


葛上神社は、御祭神にまつわる民俗行事が今も執り行われるなど地元の人々に大切にされている神社のようです。集落の氏神として山の上(中腹)に祀られてはいますが、石段もそれほど長くないので比較的参拝しやすい神社といえます。

アクセス

国道309号「今木東」交差点を北に進み県道222号今木出口線を道なりに約2.3km進んだ三叉路の南東側に葛上神社があります。

国道169号からは「道の駅 吉野路大淀iセンター」の南にある「芦原南」交差点から南西に800mほど進んで信号を右折し県道222号に入ります。道なりに約1.6km進んだ先の三叉路の左手前に当社があります。

公共交通機関では、近鉄吉野線「下市口」駅、または「壺阪山」駅から奈良交通のバスに乗り「矢走口(やばせぐち)」バス停下車。バス停から100m少々北の信号を左折し、県道222号を約1.6km歩くと葛上神社に着きます。

Kuzukami Shrine(Oyodo Town,Nara Prefecture)

 
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