鳴尾(どんど)神社
2020年5月訪問
鳴尾神社(どんどじんじゃ)は大阪府河内長野市木戸にある神社です。南河内でも有数の難読地名が付く神社ですが、周辺は南海高野線や国道310号にほど近い、古い街並みと新しい住宅街が融合したような静かな地域となっています。
鳴尾神社(河内長野市) |
社殿などは比較的新しく、今も地元の人々に大切にされているようですが、地区では近年地車(だんじり)も購入しています。
歴史と概要
鳴尾神社には由緒記や説明板がなく、正確な創建年は不祥です。正式な御祭神も不明ですが、かつては牛頭天王を祀っていたようなので現在は素戔嗚尊が御祭神となっている、ともいわれているようです。現在、鳴尾地区は東南東に1kmほどの距離にある河内長野市市町の千代田神社の氏子地区となっています。
鎮座地周辺は「鳴尾」と書いて「どんど」と読みますが(一部で「どんと」とも)、かわちながの生涯学習情報誌第13号によると、「この名の由来は、むかしこの地に流れていた塩谷川の瀬音の響きが『どんどんどん』と聞こえてくるので、そう名付けられたという説が有力です。」とあります。塩谷川は鳴尾神社の300mほど南から200mほど東にかけて流れていたようですが、現在この川や川周辺の谷は埋め立てられ、宅地や道路となっており昔の面影を見ることは出来ません。なお、この塩谷川周辺には木戸町、木戸東町、市町にかけて広がる旧石器時代から近世にかけての複合遺跡、塩谷遺跡が発見されています。
鳴尾集落は、明治初年時点で河内国錦部郡(にしごりぐん)市村新田の一部でした。もともと市村は現在の河内長野市市町の千代田神社南側辺りが中心だったようですが、後に開かれた市村新田は今の南海高野線千代田駅の東側が中心地でした。そこから塩谷川を挟んで北側にあったのが鳴尾で、現在の住所では木戸2、3丁目の大部分を占めています。
鳴尾を含む市村新田周辺の歴史を振り返ると、明治22年(1889年)に町村制が施行され、市村、市村新田、向野村が合併して市新野村(いちしのむら)が発足しましたが、これは、合併後の村名がなかなか決まらず、市村、市村新田、向野村のそれぞれ一字ずつから取る形でようやく決着したという経緯がありました。しかし、大阪府からは村名が不自然だとして4度に渡って再検討を通達されていたこともあってか、大正5年(1916年)4月1日に名称を千代田村に改称しました(江戸城の別名「千代田城」にちなむ)。それに先立つ明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡に変更となっています。この当時、鳴尾は「鳴尾郷」と呼ばれていました。
鳴尾の属する千代田村は昭和15年(1940年)に長野町、天野村と合併して長野町の一地域となりますが、この際に字が「木戸」となりました。長野町は昭和29年(1954年)に高向村、三日市村、加賀田村、天見村、川上村と合併して河内長野市が誕生。字木戸も現在は木戸、木戸東町、木戸西町、千代田南町といった地区に分けられています。
鳴尾公園の石碑の説明板 |
鳴尾神社の南西に鳴尾公園がありますが、そこには石碑と説明板が建っており鳴尾について多少記載があります。それによると、江戸時代に入り、寺ヶ池や寺ヶ池水路の構築によって現在の千代田地区では新田開発が盛んに行われました。しかしここ鳴尾地区では水の便が悪く、明治時代後期まで僅かに野菜が栽培されている状態でした。これを憂いた当時の篤志家が、寺ヶ池の水を利用できるように、高さ2m、幅4mの築堤を行い、その上に水路を構築して農業用水を供給できるようにしました。この事業により、鳴尾地区は肥沃な水田に生まれ変わったそうです。ちなみに、この水路は“逆サイフォン”構造の井路によって国道310号や南海高野線の下をくぐって流れています。
この先人の偉業を称えるために石碑が建てられましたが、鳴尾公園建設のために水路が解体される際に現在地に移設されました。なお、平成12年(2000年)までは、築堤の上を水が流れていたそうです。
旧千代田村(市新野村)の神社を見ると、市村は菅原神社、向野村は伊予神社、市村新田は木戸神社を氏神としていました。市村新田の木戸神社の御祭神は足仲津彦命(仲哀天皇)、気長足姫命(神功皇后)、菅原道真公)でしたので、素戔嗚尊を祀るとされる鳴尾神社は鳴尾集落の鎮守だったのかもしれません。明治40年(1907年)10月19日、木戸神社と伊予神社は菅原神社に合祀され、菅原神社は後に千代田神社を正式名称とします。
現社地に鳴尾神社が創建されたのがいつかはわかりませんが、直近では平成29年(2017年)9月に改築されています。
鳴尾神社は神職不在神社です。
祭礼
秋の例祭は、千代田神社と同じ10月の第2土曜日・日曜日に行われ、鳴尾地区からもだんじりが出て千代田神社に宮入しますが、当社でも祭祀が執り行われるようです。
鳴尾地区のだんじりは、大阪狭山市の池之原神社が鎮座する池之原地区から購入した堺型のもので、平成25年(2013年)11月4日の昇魂式当日に搬入され、平成26年(2014年)3月30日に入魂式が行われました。このだんじりは、池之原が大正15年(1926年)に奈良県大和高田村(現大和高田市)より70円で購入し、牛数頭を連れて二日がかりで竹之内峠を曳いて帰って来たと伝えられているそうです。だんじり購入以前は御神輿を台車に載せて奉納していましたが、だんじり購入に際し処分されたようです。
●鳴尾(どんど)地車会 Facebook →https://www.facebook.com/dondozigurumakai/
境内
鳴尾神社が鎮座するのは、かつての鳴尾郷集落の中心部から少し南に当たる場所のようですが、現在は周囲を住宅に囲まれています。
西側から見た鳴尾神社 |
神社の前の道路は鳴尾地区のメインストリートともいえる道で、南西に200mほど行くと鳴尾自治会館や鳴尾公園があります。
石垣の上に鎮座する本殿 |
鳴尾神社の敷地は細長い三角形のような形をしており、その北東側に7m四方ほどの石垣の上に塀を巡らせた一角があります。そこに上る階段は南西側にあり、階段を上るとその先に本殿があります。つまり本殿は南西を向いていることになります。鳥居はありません。
石垣の上の境内 |
階段を上ると、瓦葺の白壁で囲まれた一角に延びる石畳の先に本殿が鎮座しています。背後には御神木?があり、向かって右手に賽銭箱や石碑などが見えます。
本殿 |
本殿は美しい一間社流造。
神社改築に関する碑 |
右手の賽銭箱の奥に、鳴尾神社改築寄進者に関する碑が建っていますが、それによると最も新しい改修は平成29年9月となっています。
かつて使われた石材? |
また、境内の奥の方には以前使用されていたと思われる石材の一部が置かれています。
地蔵尊 |
鳴尾神社本殿への階段の左側には地蔵尊も祀られています。
アクセス
南海高野線「千代田」駅西口のロータリーから国道310号に出てモリ工業前の交差点を右折して北に200mほど進み、信号を右折して曲がりくねった坂を下ります。南海線の高架下をくぐり、道なりに約550m進んだ先の信号のある交差点を左折。交差点から200mほど先の突き当りの左側に鳴尾神社があります。
北東から見た鳴尾神社 |
鳴尾神社に参拝者用の駐車場は無いようです。
コメント
コメントを投稿