瀧谷不動明王寺
2020年12月訪問
瀧谷不動明王寺(たきだにふどうみょうおうじ)は大阪府富田林市彼方にある寺院です。真言宗智山派の寺院で山号は瀧谷山。正式な寺号は明王寺ですが、一般的には「瀧谷不動尊」と呼ばれている他、目の病気に御利益があるとされることから「目の神様」、「芽の出る不動様」とも呼ばれ親しまれています。
瀧谷不動明王寺(富田林市) |
南河内で知名度の高い寺院の一つ、というだけではなく日本三不動の一つにも数えられる瀧谷不動明王寺は、弘法大師ゆかりの道場を起源とする歴史ある寺院としても知られています。特に毎月28日の縁日には参道に露店が並び、多くの参拝者で賑わいます。
歴史と概要
現在の瀧谷不動明王寺は富田林市の南部、石川右岸(東岸)の嶽山(だけやま)北側にあり、住宅地からも近いものの、周囲は山林となっています。近鉄滝谷不動駅からの参道である府道202号森屋狭山線沿いには旅館などがあり、境内は府道を境に南北に分かれています。
寺伝によると、瀧谷不動明王寺の創建は第52代嵯峨天皇の御世である弘仁12年(821年)で、空海(弘法大師)が国家安穏、万民化益を願って開いた護摩祈願の道場(霊場)が起源とされています。弘法大師は瀧谷不動明王寺の約1.7km南にある牛頭山龍泉寺に参籠した際に、不動明王と脇侍である矜羯羅童子(こんがらどうじ)、制多迦童子(せいたかどうじ)の像を刻み、これら三体の仏像を祀るために造営された諸堂が瀧谷不動明王寺の元となったと伝えられています。これらの諸堂は現在の寺院から約1km離れた嶽山の中腹にあり、広壮優美な堂塔や伽藍が整えられていたといわれています。
なお、これら三体の仏像は、大師一刀三礼(いっとうさんらい)の霊像として敬われ、いずれも国の重要文化財に指定されています(学術的には平安時代後期、11世紀の作とされています)。ちなみに、一刀三礼とは、仏像を作る際に一彫りごとに三回礼拝するという意味から、敬虔な態度で深く敬いながら仕事をすること、といった意味があります。
西側の説明板 |
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成は嶽山に嶽山城(龍泉寺城)を築き、守護仏として瀧谷不動明王寺の不動明王を崇敬したとされます。
正平15年(1360年)に足利義詮が嶽山城とその南西にあった金胎寺城(こんたいじじょう)を攻めましたが、その兵火により諸堂が焼失しました。言い伝えでは、この時に御本尊である不動明王像と矜羯羅童子像、制多迦童子像は滝の下に移されて焼失を免れました。その後、盲目の老僧が現れて御本尊である不動明王の霊験を人々に説き、小堂を建立して礼拝していましたが、まもなく老僧は晴眼(せいがん。眼が見えること)となって姿を消したそうです。この盲目の老僧は弘法大師の化身であるともいわれています。この説話により目の病気に御利益があるとされることから今も眼病平癒を願う参詣者が絶えません。
境内の滝谷不動尊縁起 |
長禄4年(1460年)12月には、朝敵にされた畠山義就が嶽山城に籠城したことから応仁の乱の前哨戦とも言える嶽山城の戦いが始まりました。嶽山城は細川勝元や畠山政長を中心とする幕府軍の攻撃から2年以上も持ちこたえましたが、寛正4年(1463年)に陥落。当寺院は再び兵火にかかり小堂を消失しました。その後、現在の場所に移された当寺院は慶長年間(1596年~1615年)から次第に復興が進みました。
明治から昭和にかけても堂宇の増改築が行われていますが、開創1200年に当たる令和3年(2021年)5月の「開創一千二百年祝祷法要」に合わせ寺務棟、客殿棟の建て替え・新築工事がすすめられました。
一期工事の寺務棟は令和元年(2019年)12月末に完成、二期工事の客殿棟も令和2年(2020年)7月末に完成引き渡しされ、内部の仕上げや外構工事、作庭などが進められています。
寺務棟・客殿棟新築奉賛お願いの看板 |
前述のように、瀧谷不動明王寺は「日本三不動の一」とされ、目の病気に御利益があるとされることから授与品として眼病平癒のお守り「晴眼守」がある他、「芽のでるお不動さま」ともいわれ、勉学、スポーツ、芸事、商売などにも御利益があるとされています。毎日祈祷が勤められており、本堂では厄除けや商売繁盛など様々な願いの成就を祈願する護摩祈祷を受けることができる他、法楽殿(交通安全祈願所)では自動車やバイクなどの車両と祈願者がともに祈祷を受けられます。また、古くから伝わる「どじょう流し」の信仰も有名です(後述)。
そして、瀧谷不動明王寺でよく知られているのが「お不動さんの縁日」です。本尊不動明王の縁日である毎月28日には近鉄滝谷不動駅から続く参道に多数の露店が並び、富田林駅からは臨時バスも運行されるなど、多くの参拝者で賑わうことでも知られています。
●毎月28日の縁日の様子についてはこちら →【南河内歳時記】毎月28日は瀧谷不動尊の縁日(富田林市)
また、本堂中央で本尊不動明王を安置している厨子の扉は普段閉じていますが、「お不動さんの縁日」である毎月28日には開帳され、終日本堂にて開扉大護摩供が厳修されています。また、毎月8日、18日も「八の日ご開帳」とされています。
なお、月に一度の仏具磨きの日(毎月25日(日・祝日の場合は翌26日))など、日中の祈祷が無い日もあるので、事前にホームページなどでご確認ください。
●滝谷不動尊 公式ホームページ →https://takidanifudouson.or.jp/
周辺
瀧谷不動明王寺周辺には、すぐ西側に当寺院同様に弘法大師にゆかりがあるともいわれる彼方春日神社がある他、当寺院のある旧彼方村の村域には嬉の腰神神社や金刀比羅神社といった神社や彼方丸山古墳、西野々古墳群をはじめとした群集墳もあります。また、900mほど東北東の佐備神社、2km少々北の錦織神社、1.7kmほど南にある前述の龍泉寺境内の咸古神社(咸古佐備神社も合祀)といった式内社も周辺に鎮座しています。
境内(北側)
府道202号から北側の境内には本堂や法楽殿をはじめ、観音堂、寺務所、客殿などがあります。
山門 |
府道南側の駐車場の向かいに山門があります(本堂からは南東)。
東側の車両出入口 |
山門に向かって右手には車両の出入口があります。
境内案内図 |
山門から入るとすぐに境内の案内図があります。
山門からの参道 |
山門をくぐって左を見ると、アスファルトで舗装された参道の上り坂が続いています。
東側の手水舎にある手水鉢 |
この参道中ほど左手にはまだ新しい感じの手水舎があります。
鐘楼 |
参道を上ると右手に鐘楼があります。
新築の寺務所や客殿 |
鐘楼の奥、北側にはお守り、お札、護摩木等の授与所である御膳場、祈祷、星供、柴灯大護摩等、各行事の申込・受付所である寺務所、東側には正月などの行事に使用する場所であり走り不動尊を祀る講堂がある客殿などがあります。これらの場所には、かつて古い木造の寺務所、庫裏、書院、講堂、新旧の客殿、養老庵、倉庫などがありましたが、耐火・耐震の補強が不可能だったことから令和3年5月の「開創一千二百年祝祷法要」に向けて建て替え・新築工事が行われました。
御加持水 |
寺務所と鐘楼の間では、眼病に御利益があるとされる「御加持水(おこうずい)」と呼ばれる霊泉から汲み上げられた霊水をいただけます。
本堂 |
鐘楼の西側には広場があり、その北側に南向きの本堂、法楽殿、観音堂が並んでいます。
本堂では本尊である不動明王、弘法大師などを祀っている他、奥の院には十二天、真言八祖、並びに各人のえとの守り本尊を祀っています。本堂は明治30年(1897年)に中興慈恭僧正により建立され、昭和3年(1928年)に奥殿を増築。平成11年(1999年)、70年ぶりの改修では本尊厨子を耐火構造とし、内陣の荘厳を一新したそうです。
法楽殿 |
本殿に向かって左には交通安全祈願殿である法楽殿があります。こちらは昭和39年(1964年)に建立されたもので、不動明王、厄除け日輪観大師、役行者を祀っており、5月28日・9月28日にはこのお堂の前で柴灯大護摩供が勤められます。
観音堂 |
法楽殿の左にある観音堂は慶長年間に建立された古い建物で、明治時代に現在の本堂が出来るまでは、こちらが本堂でした。現在は聖観音を祀っています。
手水舎(左)、弁財天(奥)、子安地蔵尊(右) |
観音堂の左手には子安地蔵尊、弁財天、そして西側の手水舎があります。こちら側の手水舎は東側のものより大きくて古いようですが、これは、かつての主要道路であった東高野街道をはじめ、近鉄線、国道170号が西側の石川沿いを通っており、参拝者の主要参道がこちら側から上ってきたためと思われます。
西側の出入口 |
石川方面から門前町の旅館街などを抜けて上って来た場合、こちらの西側入口がまず最初にあります。西側の入口に山門はありませんが、「日本三不動 瀧谷山明王寺」の寺号標が建っています。また、自動車の入れる入口もありますがこちらは祈祷を受ける車両用の入口なので、通常の参拝の場合は少し東の駐車場を利用します。
納骨堂(左)と多宝塔への道(右) |
西側の出入口から境内に入り、本殿方向ではなく左(北)に進むと多寶塔(多宝塔)へ至る石段の上り口があります。この上り口付近には納骨堂もあります。
鎮守社と栄楽大明神(手前) |
石段を上りはじめて50mほど進むと左側に明王寺の鎮守社である稲荷社があります。稲荷社には「大倉大明神 瀧尾大明神」の額が掲げられています。
鎮守社の石造りの鳥居の左側には少し小さな赤い鳥居がありますが、こちらは「栄楽大明神」で立札には「はら一切の病守護」と書かれています。
多宝塔 |
さらに30mほど上ると多宝塔があります。こちらは昭和59年(1984年)に弘法大師御遠忌記念、正確には入定(永遠の禅定に入って)1150年の記念として建立されました。内陣には金剛界大日如来と両界曼陀羅が祀られています。
左奥の金剛山と三宝荒神堂 |
この多宝塔は北側の境内の最高地ということで塔の前からは南側の景色を一望でき、金剛山や南側境内の三宝荒神堂なども見えます。
境内(南側)
府道202号から南側の境内には明王殿をはじめ、西国三十三所お砂踏み霊場、三宝荒神堂、瀧行場などがあります。
明王殿 |
参拝者用駐車場の西の端にあるのが明王殿です。こちらは御本尊現地奉安550年を記念して平成23年(2011年)に建立されました。正月時期には交通安全祈願殿となるようです。
分岐 |
明王殿の横(府道側)を少し西に進むと参道の分岐点があり、左奥の石段を上ると惣拝所、西国三十三所堂、三宝荒神堂などがあり、真っ直ぐ進むと一願不動堂や瀧行場・瀧不動堂があります。右側は府道で、府道を渡ると瀧谷不動明王寺の山門となっています。
瀧谷山西国三十三所参詣道 |
分岐を左に進み「瀧谷山西国三十三所参詣道」とある石段を上ります。なお、石段左手の明王堂の建物にエレベーターがあり、惣拝所や西国三十三所堂、第2駐車場(山上駐車場)との往来に利用できます。
惣拝所 |
石段を上って最初にあるのが惣拝所です。西国三十三所のミニ霊場巡りの惣拝所ということで建物の背後にブロンズの聖観音が祀られており、西国三十三所を一堂に拝すことができます。
西国三十三所堂(北) |
惣拝所の右手から上ると西国三十三所堂の北側となります。
「西国三十三所お砂踏み霊場」と書かれたこのお堂は、カーブを描いた三日月形の回廊のようなお堂で北側と東側に出入口があります。惣拝所と異なり西国三十三所の御本尊を一寺ごとに祀られています。
もともとは本堂裏山の参道に小堂を配して祀られていたようですが、昭和39年(1964年)に向山に移されました。その後、平成3年(1991年)の山上駐車場工事の際に荒神堂と共に取り壊され、平成17年(2005年)の酉年御開帳を記念して再建されました。
西国三十三所堂(東) |
惣拝所の左手から上ると西国三十三所堂の東側で、山上駐車場から境内への入口ともいえます。「三宝荒神堂参詣道」の碑がこちら側の少し下にあります。
三宝荒神堂参道 |
西国三十三所堂北側からさらに上へ延びる階段がありますが、こちらは三宝荒神堂への参道で、途中に鳥居があります。
三宝荒神堂 |
三宝荒神堂は文字通り三宝荒神尊をお祀りするお堂で、もとは昭和44年(1969年)の酉年御開帳法要を記念して向山の西国霊場の中に建立されました。その後、西国三十三所堂と同様に山上駐車場造成のため一度取り壊され、平成17年の酉年御開帳にあわせ現在地に再建されました。
なお、三宝荒神は、法僧の三宝を守護し不浄を厭離(おんり)する佛神で、仏法や伽藍の守護神とされる日本特有の仏教における信仰対象の一つです。
三宝荒神堂から見た北側の風景 |
南側境内で最も高い位置にある三宝荒神堂前からは北側の境内に建つ客殿や多宝塔を見ることができます。
山上駐車場 |
また、三宝荒神堂前からは東側の山上駐車場も良く見えます。
一願不動堂・瀧行場・瀧不動堂への道 |
明王殿のそばにある参道の分岐点に戻り、一願不動堂や瀧行場・瀧不動堂がある南側境内の西の方へ向かいます。こちらは下り坂となっています。
稲荷大明神(左)・倶梨伽羅龍王・不動明王(右) |
20mも進むと右手に不動明王、倶梨伽羅龍王、稲荷大明神が並んで祀られています。
一願不動堂 |
一願不動堂では水かけ不動尊が祀られており、祈願絵馬奉納所もあります。
瀧行場や瀧不動堂 |
一願不動堂からさらに石段を下って行くと瀧行場や瀧不動堂が見えて来ます。
身代わりどじょうの缶 |
石段を下りきると、瀧不動堂の手前に「身代わりどじょう」といってどじょうを川に放す場所があります。
身代わりどじょうの由来 |
身代わりどじょうの由来についてはホームページに
古来、当山のお不動さまは特に眼病平癒にご霊験あらたかと伝えられています。そこでお不動さまに目を助けてもらおうとお願いするときに、どじょうを持って詣り、瀧谷の川に放ってお願いすればこのどじょうが身代わりとなって、自分の目を助けてもらえるという信仰が伝えられてきました。仏事に「放生会」というのがあり、「功徳を積む為に魚や鳥などの生き物を自然に放つこと」を意味しています。当山のどじょうを川に放つのはこの「放生会」にならった信仰といえます。今はいつでも誰でも祈願していただけるように身代わりどじょうを用意しております。またお願い事も眼病平癒に限らず、厄除けや家族の健康など様々なお願い事でどじょうを放しておられるようです。
とあります。
缶の中の身代わりどじょう |
身代わりどじょうは白い缶に入れられているので、放生する場合は1缶(1匹)分200円を箱に入れます。
放生用のパイプ |
どじょうは川に落とすのではなく、欄干の外側に設けられた専用のパイプから放流します。
瀧行場(左奥)と瀧不動堂 |
身代わりどじょうから少し奥に進むと、石像不動尊を祀り毎月28日には当山直属の山伏によって護摩供が勤められる瀧不動堂があります。そして、さらにその奥には滝行を行う瀧行場があります。
アクセス
近鉄長野線「滝谷不動」駅からは少し南に進み、踏切を渡って100mほど東に進むと国道170号(旧道)の「錦織(高橋)」交差点となります。
徒歩の場合も車両の場合も「錦織(高橋)」交差点から府道202号森屋狭山線を東に進みます。交差点からすぐの石川に架かる高橋を渡り、道なりに約800m進むと瀧谷不動明王寺の西側入口となります(途中で左に曲がると春日神社や桜の名所でもある滝谷公園があります)ので、徒歩や車の祈祷時はこちらから参拝しますが、通常の参拝時の駐車場はさらに100mほど奥(東)にあります。
瀧谷不動明王寺の駐車場、通常の参拝は無料です。
駐車場(左)と府道(右) |
なお、毎月28日の滝谷不動尊の縁日には「錦織(高橋)」交差点から滝谷不動尊までの区間は車両通行止めとなるので注意が必要です。そこで、国道309号の「板持南」交差点から府道201号甘南備川向線を南下し、1km少々先の「中佐備」交差点を右折。府道202号線へ入りそのまま西へ約700m進むと左手に駐車場入口があります。「滝谷不動」駅周辺には28日のみ有料の私設駐車場が出現します。
また、毎月28日の縁日のみ近鉄長野線「富田林」駅から金剛バスが出ているので、「滝谷不動前」行きに乗車し、終点「滝谷不動前」バス停下車すぐです。
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