美具久留御魂神社の神体山
2021年11月訪問
美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)は大阪府富田林市宮町にある神社で、平安時代の書物「延喜式神名帳」に河内国石川郡9座のうちの一つとして名前が記載された式内社でもあります。
御祭神は、主祭神である美具久留御魂大神(大国主命)、配祭神の天水分神、弥都波迺売命、国水分神、須勢理比売命といった出雲や水に関係した神々が社殿に祀られていますが、その背後の山そのものを神体山(神奈備山)としています。
●美具久留御魂神社について詳しくは →美具久留御魂神社(富田林市) ・大国主命を祀り水を護る神社
美具久留御魂神社裏山古墳群と一ノ宮参り(富田林市) |
そんな美具久留御魂神社の神域は南河内有数の広さを誇りますが、神体山の頂上付近には古墳群があることで知られている他、日本全国の一ノ宮(いちのみや)を参拝出来る御神木もあります。
みどりの百選
美具久留御魂神社の鎮座地は、羽曳野丘陵の東側斜面で本殿、拝殿、鳥居、参道などは東向きとなっています。一の鳥居は東高野街道と重なる国道170号(旧道)の「桜井」交差点に建ち、本殿はそこから700m少々西の丘陵上にあります。
前述のように、美具久留御魂神社の鎮座する丘陵は真名井ヶ原と呼ばれる神体山で、住宅地にもほど近い場所でありながら鬱蒼とした樹林(鎮守の杜)が広がっています。
この樹林は、大阪に残された貴重な自然を守るため「美具久留御魂神社 大阪府自然環境保全地域(特別地域)」として大阪府自然環境保全条例に基づいて指定されている他、平成元年(1989年)には「53番 美具久留御魂神社 富田林市」として「大阪みどりの百選」にも選ばれています。
また、平成4年(1992年)3月20日には富田林市の保存樹林指定第1号にも指定されており、その対象面積は約22000㎡に及んでいます。
美具久留御魂神社大阪府自然環境保全地域の看板 |
この地域は、樹齢200年ともいわれるコイジをはじめ、アラカシ、サカキ、ナナメノキ、クスノキなどの樹種がみられる、よく保存されたシイ林で、長い時間をかけて辿り着く安定した森林の姿を読み取ることが出来るそうです。
大阪みどりの百選の碑 |
このような貴重な樹林が残る神体山である真名井ヶ原の頂上付近には、「美具久留御魂神社裏山古墳群」、あるいは「宮神社裏山古墳群」と呼ばれる4基の古墳からなる古墳群が確認されており、その第1号墳は「奥神籬(おくひもろぎ?) 天神奉斎所」とされています。
社殿周辺から古墳群へは多少山道を登ることになりますが、その道は「一ノ宮参拝道」と呼ばれており、道中には日本全国の「一ノ宮」を奉拝する御神木が五畿七道(ごきしちどう)に分けて祀られています。
ここでいう一ノ宮とは、飛鳥時代から明治時代の初期まで律令制に基づいて日本各地に設置された地方行政区分「令制国(りょうせいこく)」の中で最も格式(社格)の高いとされる神社のことで、一宮、一の宮、一之宮などとも書きます。ちなみに、ここ河内国では河内郡の枚岡神社(現東大阪市出雲井町)が一ノ宮とされ、二ノ宮には高安郡の恩智神社(現八尾市恩智中町)やこの美具久留御魂神社が挙げられることがあります。
古墳と一ノ宮参り
奥神籬天神奉斎所(美具久留御魂神社裏山1号墳)へ至る一ノ宮参拝道の登り口は、主に下拝殿・上拝殿右手(北側)からと上拝殿左手(南側)からに分かれますが、今回は五畿七道のうち畿内から参拝するので右手から登ります。
美具久留御魂神社境内案内図 |
五畿七道とは、日本の律令制における広域地方行政区画で、その原型は第40代文武天皇の御代(7世紀後半)に成立したとされています。古代、難波宮、平城宮、平安宮など都のあった周辺5ヶ国(大和、山城、摂津、河内、和泉)を五畿(畿内五国)とし、それ以外の地域を東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道の七道に区分しました。七道は文字通り畿内から放射状に伸びる道のように分けられており、所属する国の国府を順に結ぶ駅路の名称でもありました。東海や北陸、山陽、山陰などといった現在の日本の地方名もこれに由来しています。
なお、明治2年(1869年)の北海道新設以降は五畿八道と呼ばれました。また、東海道は江戸時代に徳川家康が整備した五街道の一つである東海道とは少し異なります。
上拝殿への石段 |
美具久留御魂神社には社務所や手水舎に近い下拝殿と、石段を上った先の本殿前にある上拝殿がありますが、今回は下拝殿での参拝後に正面にある上拝殿への石段を上らずに下拝殿の右手に進みます。
下拝殿の右手、祖霊殿横から奥に進むと「美具久留御魂神社 神体山(神なび山)」の立て札のある石段があります。
「大阪府自然環境保全地域」の標識 |
美具久留御魂神社の神域のうち、社殿など建物の建つ区域と石段の参道の外側は、ほぼ大阪府自然環境保全地域となっています。
「いのしし注意」の看板 |
なお、真名井ヶ原の鎮守の杜では猪が出没するようで、注意喚起の看板も見られます。
右手の石段 |
下拝殿奥から右手(北西)に延びる石段を進むと、正面に赤い鳥居が見えて来ます。
支子稲荷神社の朱色の鳥居 |
こちらの赤い鳥居は境内社の一つである支子稲荷神社(きしいなりじんじゃ)のものです。ここから石段をさらに上ると左に折れて本殿前の上拝殿に至りますが、一ノ宮参拝道へは支子稲荷の参道方面に進みます。
「畿内五ヶ国一ノ宮」 |
支子稲荷の赤い鳥居が建ち並ぶ参道から外れた少し下に、最初の方拝所「畿内五ヶ国一ノ宮」の立て札と御神木があります。
- 山城 賀茂神社(茂別雷神社(上賀茂神社)・賀茂御祖神社(下鴨神社))
- 大和 大神神社(おおみわ)
- 河内 枚岡神社(ひらおか)
- 和泉 大鳥神社
- 摂津 住吉大社
以後、石段や舗装のされていない山道となり、途中に注連柱の張られた御神木と国名と神社名を記した立札がセットで現れます。
「東海道十五ヶ国一ノ宮」 |
「畿内五ヶ国」から(本殿から離れる形で)山道をほぼ道なりに登ると、「東海道十五ヶ国一ノ宮」の札があります。
- 伊賀 敢国神社(あへくに・あえくに)
- 伊勢 都波岐神社(つばき・他に椿大神社を一ノ宮とする説も)
- 志摩 伊雑宮(いざわのみや・他に伊射波神社(いざわ)も一ノ宮とされる)
- 尾張 真清田神社(ますみだ)
- 三河 砥鹿神社(とが)
- 遠江 小国神社(他に事任八幡宮(ことのまま)も一ノ宮とされる)
- 駿河 浅間大社(せんげん・富士山本宮浅間大社とも)
- 伊豆 三嶋大社
- 甲斐 浅間神社(あさま)
- 相模 寒川神社(さむかわ)
- 武蔵 氷川神社(ひかわ・他に小野神社も一ノ宮とされる)
- 安房 安房神社
- 上総 玉前神社
- 下総 香取神宮
- 常陸 鹿島神宮
「なみだれの梅」碑 |
さらに少し登ると、少し平坦になった参拝路の右に「なみだれの梅」の碑があります。
「東山道八ヶ国一ノ宮」 |
少し先には「東山道八ヶ国一ノ宮」の札。
- 近江 建部神社
- 美濃 南宮神社
- 飛騨 水無神社(みなし)
- 信濃 諏訪大社
- 上野 貫前神社(ぬきさき)
- 下野 荒山神社(ふたあらやま・二荒山神社(ふたらさん)とも)
- 陸奥 鹽竃神社(しおがま)
- 出羽 大物忌神社(おおものいみ)
「南海道六ヶ国一ノ宮」 |
続いて「南海道六ヶ国一ノ宮」。
- 紀伊 日前神社・國懸神社(ひのくま・くにかがす・他に丹生都比売神社と伊太祁曽神社も一ノ宮とされる)
- 淡路 伊弉諾神宮
- 阿波 大麻比古神社(おおあさひこ)
- 讃岐 田村神社
- 伊予 大山祇神社(おおやまづみ)
- 土佐 土佐神社
「北陸道七ヶ国一ノ宮」(2018年8月) |
さらに「北陸道七ヶ国一ノ宮」。
- 若狭 若狭彦神社(わかさひこ・上社)
- 越前 気比神社(けひ)
- 加賀 白山比咩神社(しらやまひめ)
- 能登 気多神社(けた)
- 越中 高瀬神社(他に射水神社、気多神社、雄山神社も一ノ宮とされる)
- 越後 弥彦神社(いやひこ)
- 佐渡 度津神社(わたつ)
「山陰道八ヶ国一ノ宮」と古墳の説明板 |
そして、一ノ宮参拝道の最高点付近には「山陰道八ヶ国一ノ宮」の立て札と「美具久留御魂神社裏山古墳群第1号墳」の説明板があります。
- 丹波 出雲神社
- 丹後 籠神社(この)
- 但馬 出石神社
- 因幡 宇倍神社
- 伯耆 倭文神社(しとり・しずり)
- 出雲 出雲大社
- 石見 物部神社(もののべ)
- 隠岐 由良比女神社(ゆらひめ・他に水若酢神社も一ノ宮とされる)
「美具久留御魂神社裏山古墳群」説明板(2018年8月) |
美具久留御魂神社裏山古墳群は、文字通り神社の裏山(真名井ヶ原)にある4基の古墳からなる古墳群で、最も大きな第1号墳が前方後円墳で、あとの3基は円墳です。
1号墳は前方部を南に向けた全長約58mの前方後円墳で、前方部の長さ約28m、前方部の最大幅約24m、後円部径約30mを測り、封土が一部削平されていますが後円部は2段築成だったと推定されています。測量時には葺石などの外護施設は認められず、内部構造も不明ですが、後円部斜面から円筒埴輪片と朝顔形埴輪片が採集されています。また、昭和5年(1930年)頃に銅鏡1枚が当古墳付近から出土したと伝えられています。
この奥の墳丘上に石碑 |
美具久留御魂神社裏山古墳群の中でも最大の1号墳は注連縄などが張られ今は近づけないようで、墳丘の上にある「奥神籬 天神奉齋所」と彫られた石碑も遠くから眺めるのみでした。
以下、裏山古墳群周辺の様子ですが、1号墳以外は古墳の墳丘という確証が得られませんでした。
1号墳の北 |
1号墳の北 |
1号墳 |
1号墳 |
なお、1号墳から見て2号墳は北、3号墳は北西、4号墳は南西のそれぞれ40~50m前後の距離に存在しているようです。
「山陽道六ヶ国一ノ宮」 |
「山陰道八ヶ国一ノ宮」の立て札と「美具久留御魂神社裏山古墳群第1号墳」の説明板前からは元来た道を戻らずに、逆方向に下ります。そして道なりにしばらく歩くと「山陽道六ヶ国一ノ宮」の立て札があります。
- 播磨 伊和神社
- 美作 中山神社
- 備前 吉備津彦神社(きびつひこ・備中と備後にもそれぞれ一ノ宮の吉備津彦神社あり)
- 安芸 厳島神社
- 周防 玉祖神社(たまのおや)
- 長門 住吉神社
「西海道十一ヶ国一ノ宮」 |
この辺りまで下ると美具久留御魂神社の本殿や上拝殿近くに到達しますが、本殿などから少し離れた所に「西海道十一ヶ国一ノ宮」の御神木があります。
- 筑前 筥崎神社(はこざき)
- 筑後 高良神社(こうら)
- 豊前 宇佐神宮
- 豊後 西寒多神社(ささむた・他に柞原八幡宮(ゆすはら)も一ノ宮とされる)
- 肥前 千栗八幡宮(ちりく・他に與止日女神社(よどひめ)も一ノ宮とされる)
- 肥後 阿蘇神社
- 日向 都農神社(つの)
- 大隈 鹿児島神宮
- 薩摩 枚聞神社(ひらきき・他に新田神社も一ノ宮とされる)
- 壱岐 天手長男神社(あまのたながお・興神社(こう)を一ノ宮とする説も)
- 対馬 海神神社(わだつみ・かいじん)
新しい「なみだれの梅」碑 |
本殿南側にある、木々に囲まれた広場には、まだお披露目前の石碑が置かれていましたが、これらは新しい「なみだれの梅」の石碑のようで、近々境内に設置されると思われます。
このように、美具久留御魂神社は南河内ではよく見られる古墳と関係の深い神社ということがわかります。また、南河内で西国三十三所観音霊場を一ヶ所(寺)で参拝出来る寺院は葛井寺の「西国三十三所お砂踏み」や瀧谷不動明王寺(滝谷不動尊)の「西国三十三所堂」などがありますが、全国の一ノ宮を一社の境内で参拝出来る神社は周辺では珍しいと思われます。
なお、古墳群への道でもある一ノ宮参拝道は舗装されていない実質山道なので、参拝時は歩きやすい靴がおすすめです。
アクセス
公共交通機関では、近鉄長野線「喜志駅」西口から出て200mほど西の国道170号(外環状線)の「旭ヶ丘南」交差点を左折し、500mほど先の「宮前」交差点を右に曲がると正面に美具久留御魂神社が見えます。
車の場合は、国道170号(外環状線)「宮前」交差点を目指し、羽曳野・藤井寺市方面からは右折、富田林・河内長野方面からは左折すると100mほど先に注連柱が見えます。参道の一部が駐車場になっていますが、車は注連柱の下はくぐれないので左側の道を少し進むと右手に駐車場入口があります。
一ノ宮参拝道は下拝殿の右手奥などから入ることが出来ます。
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