小塩八幡神社
小塩八幡神社(おしおはちまんじんじゃ)は大阪府河内長野市小塩町にある神社です。旧小塩村集落の面影が残る住宅街の中に鎮座する小詞ですが、周辺には地車(だんじり)小屋や自治会館(集会所)もあることからここが重要な場所であったことが想像出来ます。
小塩八幡神社(河内長野市) |
小塩八幡神社は明治時代に900mほど北の烏帽子形山にある烏帽子形八幡神社に合祀されましたが、小塩町の現社地周辺にはいくつかの歴史を感じさせる石造物も残さています。
歴史と概要
小塩八幡神社の正確な創建年は不詳です。八幡神社ということで御祭神は八幡神である第15代応神天皇となっています。
由緒記などは見当たらなかったため詳細は不明ですが、旧小塩村の鎮守として祀られてきた神社で、烏帽子形八幡神社(元は烏帽子形城の鎮守とも)と同様に明治5年(1872年)頃に近代社格制度で村社に列格したと思われます。明治40年(1907年)10月19日に当時の南河内郡三日市村大字三日市字喜多の村社であった烏帽子形八幡神社に合祀されました。小塩八幡神社の社殿はしばらく残されていたようですが、大正6年(1917年)に700mほど北(北北東)にあり、明治時代から大破していた上田金刀比羅宮の祠として移築されました。
現在小塩町に残る小塩八幡神社は後に復社、あるいは遥拝所として建てられたものと思われます。
もともとの小塩八幡神社の位置と規模は不明ですが、河内長野市の資料などによれば現在の小塩八幡神社周辺にはかつて小塩阿弥陀寺という寺院とその墓地があったようです。また、旧小塩村集落の西側には「上の地蔵さん」、東側には「下の地蔵さん」と呼ばれる地蔵尊が現在もあります。
小塩
小塩八幡神社の鎮座地は、明治の初めまで河内国錦部郡小塩(小鹽)村と呼ばれていました。明治22年(1889年)の町村制施行により小塩村は三日市村、片添村、上田村、喜多村と合併して改めて三日市村が発足。明治29年(1896年)に所属郡が南河内郡に変更となります。その当時の小塩八幡神社は南河内郡三日市村大字小鹽字宮山に鎮座していたと記されています。その後、三日市村は昭和29年(1954年)に長野町、高向村、天見村、加賀田村、川上村と合併して河内長野市が誕生しました。
現在の小塩町は河内長野市内の三日市地域に属していますが、当地域周辺はかつて高野参詣の宿場町として栄えてきた歴史があります。小塩という地名は、古い資料では旧字や俗字を用いて「小鹽」や「小䀋」と表記されているものもみられますが、その由来は村内を流れる加賀田川西岸の字鹽の坂(塩の坂)にあった潮泉とされ、ここから湧き出る水は茶褐色で病気やけがの治癒に効果があったとも伝えられています。また、旧小塩村の村域は西側の南花台の一部も含んでいたようです。
小塩町の南部、天見川・
加賀田川を東側に見下ろす河岸段丘上には7世紀前半から8世紀中頃のものと考えられる遺構・遺物が検出された小塩遺跡があります。
小塩町には歴史あるだんじりが残されており、現在は烏帽子形八幡神社に宮入しているようです。
現地の様子
小塩八幡神社は現在の小塩町のやや北寄り、旧小塩村集落の中のちょっとした広場のようになっている区域に鎮座しています。
左に神社・右に地車小屋 |
小塩八幡神社として特に案内されていないので、訪問時は小塩町自治会館(集会所)かだんじり小屋を目標にすると良いかもしれません。
鳥居 |
小塩八幡神社は集会所やだんじり小屋のある広場の東側にあります。民家と隣接したブロック塀で囲まれた一画に鎮座しているので目立ちませんが鳥居が目印です。
古い石灯篭 |
鳥居をくぐり境内に入りますが、鳥居のすぐ後ろには烏帽子形八幡神社に合祀される前の旧社地に置かれていたと思われる古い狛犬があります。
境内は最大で東西3~4m、南北7~8mといったところですが、東側の壁に沿うように旧小塩八幡神社時代のものと思われる石灯篭なども並べられています。
百度石 |
灯篭の右側にはこちらも古い百度石が置かれています。
二つの社殿 |
鳥居をくぐって左を向くと、南向きに建てられた小詞が二つ並んでいます。このどちらかが八幡神を祀る本殿とおもわれます。もう一方の社殿に祀られた御祭神は不明です。
西側 |
小塩八幡神社に参拝し、広場の向かい、つまりだんじり小屋のある西側に移動するとこちらには東向きに鎮座する祠があります。
小詞 |
こちらも御祭神は不明です。
左手に一部欠けた灯篭 |
祠の左手には上部が欠けた石灯篭が並んでいますが、これらも古いもののようです。また、祠の後方にいくつかの石造物が見えます。
祠のそばにある石造物群 |
祠の右手(自治会館側)に回りだんじり小屋前に進むと、石造物に近付けます。
宝篋印塔 |
こちらの石造物群の中で最も高いのが宝篋印塔です。その周りには手水鉢などもありますが、ほとんど仏教関係のもののようです。
宝篋印塔の右奥にははっきりと文字が刻まれた墓石のような石もあります。
智典阿闍梨の碑 |
こちらの文字は「元文二丁巳年九月十二日」といった日付(元文2年は1737年)や「智典阿闍梨」と読めます。これらはかつてこの周辺にあった小塩阿弥陀寺に関するものかもしれません。
アクセス
国道371号の「片添町」交差点から西に入り、道なりに400mほど進んだ先の交差点(「片添町」交差点から二つ目の信号)を右折します。さらに約280m北に進むと右手に小塩八幡神社、左手にだんじり小屋や集会所、石造物などがあります。
南海高野線「三日市町」駅からは、駅の西口を通る高野街道を南に歩き、200mほど進んで右折。約80m進むと上記の「片添町」交差点に出るのでそのまま直進してください。
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