龍神社
2022年8月訪問
龍神社(りゅうじんじゃ)は大阪府大阪狭山市岩室にある神社です。その鎮座地は日本最古のダム式ため池である狭山池の中で、南河内では珍しい水面に浮かぶ神社となっており、様々な龍神(大蛇)の伝説が残されています。
龍神社(大阪狭山市) |
大阪狭山市域の1割を占める水面と、その周辺に美しく整備された公園や博物館などを含め南河内有数の景勝地として知られる狭山池ですが、当社はその守り神として大切にされています。
歴史と概要
龍神社の正確な創建年は不詳です。現在の御祭神は水波能売命(みずはのめのみこと)、天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)という水や水の分配を司る三柱の神が祀られているようです。ちなみに、天水分神、国水分神の「くまり」は「配り」の意で、これらの神は水源地や水路の分水点などで祀られることが多く、南河内では千早赤坂村の建水分神社などで祀られています。
狭山池は古事記や日本書紀をはじめ、枕草子にも登場する日本最古のダム式ため池です。その正確な築造年は分かっていませんが、平成の改修時に築造当時の樋が見つかり、使用されている木材の年代測定をしたところ推古天皇24年(616年)頃に伐採されたものであることが判明しています。このような研究から飛鳥時代前期に朝廷によって天野川(西除川)と三津屋川(今熊川)の合流点付近を堰き止めて築造されたと考えられています。
狭山池では冬場の「池干し」などで水位が下がると、龍神社の祠が建つ石垣の前に直径約27m、深さ約5mのすり鉢状の穴が見られることがあります。これは、平成8年(1996年)の工事の際に発見された「龍神淵」で、冬期に池の水が抜かれても龍神が住む場所に困らないよう淵には水が溜まる仕組になっています。その中央には高さ・幅それぞれ約20cmの陶製の壺が入れられ、雄の龍神が祀られています。
狭山池公園の案内板 |
市川秀行氏の「狭山池龍神の考察」などによると、龍神社が現在の場所に鎮座するまでに何度か遷座していたことがわかります。
「西除普請並竜神社之訳」には八大竜王の一尊である善女竜王を祀った「善女竜王社」の小祠が往古より西堤にあったと記されています。
享保年間の末に作成された「狭山池惣絵図」は、享保15年(1730年)4月に狭山藩下屋敷内に勧請された狭山堤神社なども記載された、狭山池周辺の様子を詳細に描いた絵図ですが、こちらには西堤に龍神が祭祀されている描写はありません。しかし、享和元年(1801年)に刊行された「河内国名所図会」を見ると、西堤に祠らしきものが描かれています。このことから、西堤に龍神が初めて祭祀された時期は、享保以後、享和以前のことと考えられています。
この祠は嘉永6年(1853年)に狭山池の北西にあった小池の南東に遷座し、安政5~6年にかけての西除を中心とする狭山池大改修の際に再びその場所を移しました。この時、狭山池の中に石垣を築いて社殿を建て、その前に龍神渕を掘った他、鳥居も建てられたようです。また、同時に桜など様々な木が堤に植えられました。
明治時代の近代社格制度では無格社で、他の神社に合祀されることも無かったようです。御祭神が現在の三柱となった正確な時期は不明です。
かつての龍神社では賑やかな祭礼が執り行われていたようですが、現在は毎年新暦の6月1日に龍神社を管理する狭山池土地改良区を中心とした関係者が集まって龍神祭が行われているそうです。
「大阪府史跡名勝 狭山池石碑」 |
狭山池周辺には、大昔から河内国丹南郡の狭山池には雌の大蛇(龍神)が棲んでおり、石川郡喜志(現在の富田林市)にある粟ヶ池(諸説あり)にいた雄の大蛇を迎えて一緒に棲んでもらうために建てられたのが龍神社である、という言い伝えの他、様々な龍神(大蛇)にまつわる伝説が残されています。
大阪狭山市のマスコットキャラクターとして市内各所で見られる「さやりん」ですが、このさやりんは狭山池の龍神伝説と狭山池を取り巻く桜がモチーフとなっており、「元気で明るい竜の子をイメージして、瞳の色は狭山池の水面を象徴する青、髪は大阪狭山市の木である桜の花をモチーフにした」そうです。
また、大阪狭山市では狭山池築造1400年を記念して、下水道マンホールふたの表面に国の史跡に指定された狭山池と共に、五穀豊穣および安全を祈願して造られた龍神社と改修の歴史を伝える狭山池博物館をデザインした狭山池築造1400年記念マンホールふたを大阪狭山市駅から狭山池へとつながる歴史街道(中高野街道~下高野街道)に設置しています。
なお、龍神社は神職不在神社で、現在は狭山神社により管理されています。
現地の様子
龍神社は広い狭山池の北西部に鎮座していますので、今回は副池オアシス公園などからも近い狭山池北堤駐車場の下段付近から参拝しました。
徒歩で龍神社に参拝する場合、「狭山池西」交差点の少し南西にある北堤駐車場入口横にある階段で堤に上ります。
「史跡 名勝 狭山池」の碑と龍神社 |
階段を上り堤の上に出ると目の前に「史跡 名勝 狭山池」と彫られた石標がありますが、その奥の池の中に龍神社の祠が見えます。
桜の季節の龍神社とラバーダック(2016年4月) |
狭山池の北側にはこの龍神社の他に、府立狭山池博物館や桜の並木、ダム管理事務所、バタフライガーデンなどもあります。
様々なイベントも行われる狭山池北岸には多くの人が集いますが、そこに浮かぶ龍神社は、まさに狭山池の象徴ともいえます。
鳥居 |
堤に上る階段は龍神社の真西にありますが、鳥居は祠が向く北西の方角にあるので80mほど北東(博物館方面)に向かって歩きます。鳥居は狭山池北堤駐車場の上段に隣接しているので、車で訪問する場合はこちらを利用するとすぐに参拝出来ます。
鳥居の正面から池の方を眺めると、池の中に浮かぶ龍神社の社殿とその向こうに金剛山が見えます。
こちらの石造りの鳥居は平成12年(2000年)4月に建立されたもので、神額には「龍神社」とあります。
冬場に池の水が抜かれても、龍神渕には水が残る構造がよくわかります。
龍神社のお社自体は大きくありませんが、北岸を散策すると狭山池博物館に負けない存在感を感じられます。
神額 |
こちらの石造りの鳥居は平成12年(2000年)4月に建立されたもので、神額には「龍神社」とあります。
「狭山池の野鳥たち」のパネル |
堤の上からから水際の周遊路まで下ると最も龍神社に近付くことが出来ます。
神社正面の柵には「狭山池の野鳥たち」のパネルがありますが、龍神社やその周辺でも水鳥をはじめとした多くの野鳥を見ることが出来ます。
龍神渕(2019年2月) |
季節によって狭山池の水位は変わりますが、水位が低い時期に訪れると神社の正面(北西側)に大きな窪みを確認できますが、これが「龍神淵」です。
北側から見た龍神社 |
冬場に池の水が抜かれても、龍神渕には水が残る構造がよくわかります。
南南西より(右奥に博物館) |
龍神社のお社自体は大きくありませんが、北岸を散策すると狭山池博物館に負けない存在感を感じられます。
龍神社と二上山 |
龍神社は雄大な狭山池の風景の中にある小さな神社ながら存在感があり、今も伝説と共に大切にされている池の守り神であると感じられました。
アクセス
龍神社は狭山池の北西部に鎮座しています。
鉄道では南海高野線「大阪狭山市」駅下車。改札を出て右(西)方向へ200m少々進むと半田交番と半田郵便局のある交差点に出るので右折。次に東除川を渡ってすぐの市立東小学校がある交差点を左折します。200mほど進んで突き当りから狭山池の堤の上に上り、右方向に約600m歩く(狭山池博物館前を通過)と龍神社の鳥居があります。
駐車場出入口 |
車の場合は、国道310号「池之原中」交差点から東に進み、300mほど先の信号手前の右手に北堤駐車場入口があります。北堤駐車場は上段と下段に分かれており、上段駐車場の南端付近に龍神社の鳥居があります。駐車場は無料。
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