富田林の隠れた歴史スポット
2017年4月訪問
新堂廃寺跡(しんどうはいじあと)、オガンジ池瓦窯跡(おがんじいけかわらがまあと)、お亀石古墳(おかめいしこふん)は大阪府富田林市にある史跡です。この3ヶ所の史跡は近鉄富田林駅の北約1kmの羽曳野丘陵の東側斜面付近に固まって存在しており、現在の住所表記では新堂廃寺跡が緑ヶ丘町、オガンジ池瓦窯跡とお亀石古墳が大字中野となっています。
新堂廃寺跡・オガンジ池瓦窯跡・お亀石古墳(富田林市) |
概要
羽曳野丘陵の東部に位置するこれら3ヶ所の史跡は、寺院跡、窯跡、古墳と一見無関係のように見えますが、実はそれぞれが関連した古墳時代から飛鳥時代にかけての遺跡で、その痕跡が今も残る大変貴重な例のため、平成14年(2002年)に国の史跡に指定されたました。しかし、平成29年(2017年)現在、寺内町に比べるとなかなか整備されてるとは言い難い状況です。ちなみに、寺内町では室町時代以降の町並みがよく保存されています。
現場周辺の航空写真(現地案内板より) |
現状、富田林駅で降りる観光客と思しき人々もほとんど南の寺内町方面に向かい、北に向かう観光客は少ないようです。しかし、新堂廃寺跡・オガンジ池瓦窯跡・お亀石古墳なども富田林市のホームページや観光案内など記載されており、新堂廃寺跡には平成29年3月に新たにカラーの案内板が設置されたので、今後の更なる整備に期待したいところです。
新堂廃寺跡
新堂廃寺は飛鳥時代前半(7世紀前半)に創建されたと考えられる仏教寺院で、飛鳥寺や四天王寺(6世紀末)とほぼ同時代、南河内では最古級の寺院と考えられています。
新堂廃寺の中心だった空き地(左に案内板) |
空き地の北西角にある案内板 |
一連の発掘調査によると、創建時の伽藍配置は南から中門、塔、金堂、講堂が一直線に並び、中門から左右に伸びる回廊が塔と金堂を囲んで講堂に取り付く「四天王寺式伽藍配置」だったと考えられます。
その後、建物が追加され、南門や築地塀の整備により奈良時代には寺域が大幅に広がったようで、中心伽藍は南北約150m、東西約80mの範囲であったと推定されています。
北西から見た空き地(奥に金剛山) |
現在の新堂廃寺跡は国道170号線(外環状線)と西の丘陵地の間に広がる緑ヶ丘町の住宅街の中にあり、空き地となっています。
北東から見た空き地(奥にPLの塔、右手に池や古墳) |
この空き地の西半分は公園になっていますが東半分は立ち入り禁止です。
「中門跡」の表示 |
空き地の北西角(緑ヶ丘住宅集会所の南)に案内看板がある他、南面のフェンスに「中門跡」の表示があります。
オガンジ池瓦釜跡
オガンジ池瓦窯跡は新堂廃寺跡の北北西、直線距離にして100m少々離れた場所にありますが、間に私有地などがあるので一度外環状線に出て迂回したほうが良いかと思われます。
池の名前にもなっている「オガンジ」は新堂廃寺の創建当時の名称で百済の「烏含寺」に関係ある、という説がある一方、地元の地図では「御観寺池」となっています。この辺りはかつての河内国石川郡中野村の西部に当たり、萬歳ヶ原と呼ばれていました。
池の入口付近。奥の排水口の手前の斜面に窯があったようです。 |
瓦窯は新堂廃寺とお亀石古墳に挟まれた丘陵の南斜面にあった奈良時代の登窯(のぼりがま)で、南に開口した傾斜単室窯だったようです。発掘調査時の写真によると、現在はお亀石古墳に向かう道への入口付近(池の北東角)の池の岸にあって、普段は見えないようです。
昭和56年3月設置の案内板 |
調査では床面から大量の瓦が出土しその形から白鳳時代(奈良時代前期)から天平時代(奈良時代後期)に至る約100年間稼動したことが判明しています。
フェンスの向こうがオガンジ池。右奥に進むとお亀石古 |
これらの瓦は新堂廃寺の白鳳・天平期のものと一致するので、同寺で使う瓦をここで焼いていたと考えられていますが、寺の創建された飛鳥時代の瓦は発掘されなかったので維持と葺き替えに使うために瓦窯は寺より後に造られたようです。
お亀石古墳
オガンジ池瓦窯跡から池の横の道を奥に進み、若干山道を登るとお亀石古墳があります。石川が形成した河岸段丘の上、標高約98mの位置にある7世紀前半頃に造られたとみられる古墳時代終末期の石棺式石室を持つ典型的な古墳です。
お亀石古墳の案内板(昭和56年3月設置) |
この古墳の特徴は、石棺の周りに飛鳥時代の瓦が擁壁(盛土や崖の崩落を防ぐ壁)状に大量に積み重ねられていたことで他に類を見ません。この瓦は古墳の南東にある新堂廃寺のものと共通していることから被葬者が同寺院と密接な関係を持っていたことが伺えます。
正面から見た古墳石室 |
石棺の石材は奈良との境にある二上山産の凝灰岩で羨道(石室の墓道)には巨大な花崗岩が使用されています。
お亀石の由来となった石棺の蓋部分 |
なお、早くから露出していた家型石棺の蓋部分には6ヶ所の縄掛突起があり、これが亀の形に似ていることからお亀石古墳の名がついたようです。
石棺の内部 |
また、お亀石古墳はかつて村人から雨乞いの神として崇敬されていたとも伝えられています。
●富田林市観光協会ホームページ お亀石古墳 →http://tondabayashi-navi.com/miru/okameishi.html
お亀石古墳と同じ羽曳野丘陵東側斜面では、約500m北にかつて三角縁神獣鏡が出土した真名井古墳がありました。さらにその300mほど北には式内社である美具久留御魂神社が鎮座していますが、その御神体山には美具久留御魂神社裏山古墳群や宮神社裏山古墳群などと呼ばれる古墳があります。一方、お亀石古墳の南側を見ると、新堂古墳群や六反池古墳といった古墳があります。
車の場合は国道170号線(外環状線)の富田林駅近くの「緑ヶ丘」交差点を目指します。羽曳野方面(北)からは右折、河内長野方面(南)からは左折し、約150m先で右前方に緑ヶ丘公園と言う小さな公園が見えたら右折します。すぐに右側に新堂廃寺跡が見え、もう少し進むと右にコインパーキングがあります。
アクセス
公共交通機関では近鉄長野線「富田林」駅で下車し、北口を出てロータリーの出口へ向かいます。「昭和町北」交差点を右折して国道170号線(外環状線)を北東方向へ。「緑ヶ丘」交差点を左折し150mほど進み右前方に緑ヶ丘公園がある交差点を右折してしばらく歩くと右側に新堂廃寺跡があります。
車の場合は国道170号線(外環状線)の富田林駅近くの「緑ヶ丘」交差点を目指します。羽曳野方面(北)からは右折、河内長野方面(南)からは左折し、約150m先で右前方に緑ヶ丘公園と言う小さな公園が見えたら右折します。すぐに右側に新堂廃寺跡が見え、もう少し進むと右にコインパーキングがあります。
新堂廃寺跡からオガンジ池瓦窯跡、お亀石古墳へは徒歩で行けます。直線距離では100mちょっとですが間に私有地などがあり、一旦外環状線に出たほうが良いので以下に経路を記します。
富田林ポンプ場の手前を左に(右が外環) |
新堂廃寺跡から東の外環状線に出て左折し、少し歩くと左手に紅白の鉄塔のある富田林ポンプ場が見えますので壁沿いに左に入ります。
突き当りを左に |
しばらく道なりに歩くと丁字路があるので左折。緩やかな右カーブの坂を上ると正面に江綿グラウンドの門、左にオガンジ池瓦窯跡があります。
鉄扉が江綿グラウンド入口(池、古墳は左へ) |
オガンジ池北岸の小道に入り瓦窯跡の看板を過ぎしばらく歩くとちょっとした広場になり、右にお亀石古墳への山道の上り口があります。
古墳への登り口 |
後は5分弱の登山で古墳に到着です。登山としては軽いですが歩きやすい靴でどうぞ。
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