少彦名神社(大阪市中央区) ・都会の真ん中に鎮座する薬の神様を祀る静かな神社

少彦名神社

2017年5月訪問
少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)は大阪市中央区道修町(どしょうまち)のビルの谷間にある神社です。かつて商都大阪の中心であり、現在も多くの企業がある船場の北端が金融街で有名な北浜ですが、そこから少し南に行くと「薬の町」である道修町があります。

少彦名神社(大阪市)
少彦名神社(大阪市中央区)

古くからの薬の町で薬の神様を祀る当社は現在も多くの人が参拝する神社として知られています。



主祭神

少彦名神社の主祭神はその名が示すとおり、日本の医薬の祖神である少彦名命(すくなひこなのみこと)ですが、中国医薬の神とされる神農炎帝(しんのうえんてい・神農氏などとも)も同様に祀られています。このことから当社は「道修町の神農さん」または「神農さん」と呼ばれて親しまれています。

少彦名神社(大阪市) 春琴抄の碑
入口右側にある春琴抄の碑

少彦名命は薬や医療の神というだけでなく国造りの協力神で、酒、温泉、まじないの神でもあります。一方の神農炎帝は医薬と農耕を教えたり商売の神とされています。このことから健康増進や商売繁盛のご利益があるとされ、薬品関係企業のサラリーマンから病気平癒・健康祈願、更に医薬業関連の資格試験合格を願う参詣者も多くいます。

また、伊勢講から始まった神社でもあるため、正月には伊勢神宮のお札を求める参拝者で賑わい、近年ではペットの健康祈願などに訪れる人も多いようです。

少彦名神社(大阪市)
ビルに挟まれた参道

ちなみに、同じ大阪市内で少彦名を祀る神社の一つに、天王寺区に鎮座し真田幸村最期の地とも伝わる安居神社(安井神社)があります。

歴史

道修町には豊臣時代から薬を扱う業者が集まっていましたが、江戸時代には薬種屋124軒を株仲間として唐薬種(漢方薬)や和薬種の適性検査をして全国に売り捌く特権を幕府から得ました。

社伝によると、安永9年(1780年)、薬の安全と薬業の繁栄を願うため、京都松原通の五條天神社より少名彦命の分霊を道修町にあった株仲間の会所に勧請しました。このときの会所があったのが現在の少名彦神社所在地で、以前より会所で祀られていた神農氏とともに祀ったのが少彦名神社の始まりです。

少彦名神社(大阪市)
鳥居と拝殿

文政5年(1822年)に大坂で疫病(コレラ)が流行した時、薬種仲間が疫病除薬として「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきおうえん)」という丸薬をつくり、病除祈願し無償でお守りの「張子の虎」とともに配ったところ病気が平癒したと伝えられ、現在でも神農祭で授与される、五葉笹に吊るされた「張子の虎」(神虎)が有名です。

なお、神農祭は11月22~23日に行われますが、大阪の祭りは今宮戎神社の「十日戎」で始まり、少彦名神社の「神農祭」で終わるため、神農祭は「止めまつり」あるいは「とめの祭り」とも呼ばれています。

天保8年(1837年)の大塩平八郎の乱で会所が焼失した後、天保11年(1840年)に祠堂を設けました。明治39年(1906年)には大阪府より近隣の神社に祭神を合祀するか、独立した神社として存続するかをせまられ、明治43年(1910年)に正遷宮を斎行するに至りました。


なお、昭和8年(1933年)に発表された、谷崎潤一郎の中編小説「春琴抄」に登場する、春琴(琴)は大阪道修町の薬種商鵙屋の次女となっています。


境内

前述のとおり、少彦名神社はビル街の真ん中、しかも奥まった所にあるので参道入口を見つけるには他の神社のように鳥居や森を探していてはなかなか見つけられません。傍のビルにある「神農さん」という文字や張子の虎の絵の看板や幟、注連縄が目印です(1枚目の写真)。

参道は二手に分かれているようで左はビルの1階部分、右はビルの谷間ですが、鳥居があるので右からお参りするのが順路かもしれません。ちなみに左のビルは「くすりの道修町資料館」となってます。

少彦名神社(大阪市)
社殿と社務所(左)


鳥居をくぐると正面に拝殿、左に社務所、右に御神木や手水舎があります。参道を中心に医薬品メーカーの商品サンプルや酒樽もあり、今も関連業界の人々の信仰を集めていることがわかります。また、参道入口の右側には道修町が舞台となった谷崎潤一郎の小説「春琴抄」の碑があります。

薬の町とカレーの町

「薬の町」道修町は今も健在で、日本の名だたる大手製薬会社、薬品会社のオフィスが通りの両側にあります。神社から東にすぐの道修町1交差点北東角には重要文化財の小西家住宅がありますが、ここで薬種業を営んでいた小西屋は後にアサヒビールの前身となる会社を創り、現在は「ボンド」を販売するコニシとなっています。

また、日本におけるカレーの食文化も道修町から始まったといえます。道修町の薬種問屋の主人であった2代目今村弥兵衛が漢方薬の貯蔵庫に入ったところ、ウコン(ターメリック)や唐辛子などが入った箱の中からカレーのような匂いがすることに気づき、これらの材料を使って薬の調合技術を応用してカレー粉を作ったとされ、明治38年(1905年)国産初のカレー「蜂カレー」を発売したとされます(現在のハチ食品)。

ちなみに戦後、固形ルウの「バーモントカレー」をヒットさせたハウスも、初のレトルトカレー「ボンカレー」を発売した大塚食品も大阪の企業です。

少彦名神社(大阪市)
見覚えのある薬も多数

アクセス

公共交通機関では地下鉄(現大阪メトロ)堺筋線の「北浜」駅が最寄となります。南にある6番出口から出て右に進み、2つ目の交差点「道修町1」を右折。少し進んだ右側の一つ目と二つ目のビルの間です(くすりの道修町資料館の右側)。

駐車場が無いので車で参拝する場合は近くのコインパーキングを利用することになります。大阪の南からは堺筋の「道修町1」交差点を目指します。堺筋は北行きの一方通行なので左折するとすぐに右側のビルとビルの間にあります。なお、この神社前の道も西行きの一方通行です。

少彦名神社(大阪市) 神農さま
イメージキャラクター「神農さま」のパネル

梅田など大阪の北方面から来る場合は御堂筋を南下しますが、「道修町3」交差点は左折できないので次の「平野町3」交差点を左に入ります。約500mで堺筋に出て左折すると上記の「道修町1」交差点ですが、堺筋に出る手前左側に比較的大きなコインパーキングがあります。ここに駐車した場合は徒歩で1本北の通りに出て右に進むと神社があります。

なお、周辺の駐車料金は高めです。

●少彦名神社 ホームページ →http://www.sinnosan.jp/index.html

Sukunahikona Shrine(Chuo Ward,Osaka City,Osaka Prefecture)

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