楠公産湯の井戸(南河内郡千早赤阪村) ・楠公誕生地に残る伝説の井戸

楠公誕生地のすぐそば

2016年3月訪問
楠公産湯の井戸(なんこううぶゆのいど)は大阪府南河内郡千早赤阪村水分にある大楠公こと楠木正成(くすのきまさしげ)関連史跡の一つです。楠公誕生地のすぐそばにあり、付近には千早赤阪村郷土資料館や道の駅ちはやあかさか、すこし歩けば奉建塔建水分神社といった楠公ゆかりのスポットが点在しています。

楠公産湯の井戸(南河内郡千早赤阪村)
楠公産湯の井戸(南河内郡千早赤阪村)

楠木正成

楠木正成は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将で、永仁(えいにん)2年(1294年)にこの地で生まれたとされています。諸説ありますが、父は楠木正遠、母は橘盛仲の娘といわれていて、弟に正季(まさすえ)、息子に正行(まさつら)、正時、正儀がいます。



元徳3年(1331年)に後醍醐天皇が笠置山で鎌倉幕府打倒の兵を挙げると、正成はこれに呼応して赤坂城(下赤坂城)で挙兵しました。少数の兵で千早城などに籠もり幕府の大軍を釘付けにするなど倒幕に貢献し、建武の新政の立役者として足利尊氏や新田義貞らとともに天皇を助けました。

楠公産湯の井戸(南河内郡千早赤阪村)
楠公誕生地入口の石碑

尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻すと、正成は新田義貞、北畠顕家らとともに軍を率い活躍しましたが、建武3年(1336年)の湊川の戦いで尊氏の軍に敗れ、弟の正季とともに自害しました。

河内長野市の観心寺には大楠公首塚がある他、神戸市の湊川の戦いの戦場跡には湊川神社が創建されました。

楠公産湯の井戸

前述のように、楠公産湯の井戸は楠公誕生地のすぐそばにあります。この楠公誕生地は千早赤阪村郷土資料館や多目的施設「くすのきホール」、道の駅ちはやあかさかと隣接しており千早赤阪村観光の拠点ともいえ、平成30年(2018年)にはバス停も新設されました。また、300mほど南にはスイセンの丘とその上の奉建塔、700mほど南東には楠木氏の氏神でもある建水分神社があります。

楠公産湯の井戸(南河内郡千早赤阪村)
道の駅側から見た入口

楠公誕生地の駐車場から北側の道路に出ると、右手(道の駅から出ると左)の田畑の入口に「楠公産湯の井戸」の看板が見えます。まだ新しい看板のそばには、「楠公産湯井まで北へ一丁(約109m)」と彫られた古い石碑もあります。

楠公産湯の井戸(南河内郡千早赤阪村)
鎧武者の人形

田んぼの畦道を少し歩くと、正面に鎧兜をつけた案山子のようなものがありますが、これは正成が千早城の戦いでわら人形を囮に使ったとする故事を思わせるもので、似たものが郷土資料館などでも見られます。

楠公産湯の井戸(南河内郡千早赤阪村)
田畑の中を井戸へ続く道

甲冑を着た人形の前で道は左に折れ、少し行くと今度は右に曲がっています。

楠公産湯の井戸(南河内郡千早赤阪村)
井戸へと下る階段

田畑の端まで来ると崖のようになっていて、下り斜面に樹木が生い茂る中、綺麗に整備された木製の階段があります。村のホームページによると、この階段通路はヒノキ製で、高めのしっかりとした柵(手すり)も付いているので歩きやすいです。

楠公産湯の井戸(南河内郡千早赤阪村)
階段を降りた先に見える屋根

階段を下ると先の方に、斜面に木製の屋根の付いた石垣のようなものが見えます。

楠公産湯の井戸(南河内郡千早赤阪村)
楠公産湯の井戸

この屋根の下に石垣で四角く囲われた楠公産湯の井戸があります。井戸自体は深くなく、薄っすらと水がた溜まっていました。

楠公産湯の井戸(南河内郡千早赤阪村)
楠公産湯の井戸の説明板

産湯の井戸には説明板があり、誕生地付近から中世の城館跡が確認されたことや、地元では楠木正成が「楠公さん」と呼ばれ親しまれていること、そしてこの井戸の水を産湯に使ったとされることなどが記されています。

楠公産湯の井戸(南河内郡千早赤阪村)
立入禁止の案内

ちなみに、楠公産湯の井戸は平成30年(2018年)9月の台風の後から?井戸付近の通路などの安全が確保出来なくなったようで、平成31年(2019年)2月現在も復旧されず立ち入り禁止となっています。

●千早赤阪村ホームページ 楠公産湯の井戸 →http://www.vill.chihayaakasaka.osaka.jp/kakuka/kanko/2_4/2/367.html

アクセス

大阪、富田林方面からは国道309号線を奈良(御所)方面へ。道の駅かなんを越え「神山南」交差点を右折します。2kmほど道なりに進むと大きく右にカーブしているので、その先を右折(道の駅などの看板あり)、約200m先を右折すると少し先の左側に道の駅ちはやあかさか、そして楠公誕生地の入口があります。

奈良県御所市方面からは水越峠を越え、国道309号線を大阪方面へ。府道27号線との分岐(府道の方が本線扱いのようですので注意)を左に入り、建水分神社の前を通って300m弱で再び分岐があるので左に。約200m先を右折すると少し先に道の駅と誕生地の入口があります。

公共交通機関では、近鉄長野「富田林」駅から金剛バスに乗車し「楠公誕生地前」バス停下車。

楠公産湯の井戸への入口は、道の駅ちはやあかさか、楠公誕生地から道路を挟んで向かい側(北)にあります。

Well for Nanko(Kusunoki Masasige)'s first bath(Chihayaakasaka Village,Osaka Prefecture)


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