福知山城(福知山市) ・大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀ゆかりの城

福知山城

2019年10月訪問
福知山城(ふくちやまじょう)は京都府福知山市字内記にある城です。京都府の北西部、由良川の流れる福知山盆地中央の小高い丘の上に天守が建つ平山城で、今も街のシンボルとして親しまれています。

福知山城(福知山市)
福知山城(福知山市)

市の史跡に指定され、続日本100名城にも選ばれた福知山城は、令和2年(2020年)のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀ゆかりの城としても注目を集めています。



歴史と概要

現在のような縄張りの福知山城は、織田信長から中国攻めの命を受け、丹波の国を攻略した明智光秀によって天正7年(1579年)に築かれたとされています。

福知山城の前身は、丹波天田郡猪崎城主であった小笠原政信の嫡男頼勝が築いた土塁と空堀の簡素な城(砦)で、後に塩見氏が姓を横山に改め、城名も横山城となりました。この横山城を攻め落としたのが明智光秀です。

福知山城(福知山市)
福知山城の説明板

天正5年(1577年)頃から、織田信長は中国地方を勢力圏とする毛利輝元を攻める為、羽柴秀吉、明智光秀らを派遣します。秀吉が山陽道を進み播磨国を攻略する一方、山陰道から丹波国を攻めたのが光秀でした。丹波では赤井・波多野連合軍がこれに敵対しますが、横山城主の横山(塩見)信房は赤井・波多野連合軍に加勢したため、明智軍の攻撃を受けることになります。信房は弟の信勝と共に防戦しましたが、天正7年8月に破れて自刃しました。周辺の猪崎城や山家城(綾部市)も落とした光秀はこの地方の抵抗勢力を一掃、そして丹波国を平定しました。

●猪崎城についてはこちら →猪崎城跡(福知山市) ・福知山城の対岸にある平山城跡

丹波平定を行った光秀は、横山城を当時の城郭建築の粋を集めて改築し城下町も築きました。この時に地名や城名を「福智山」、「福智山城」と改めたとされます。なお、その由来には諸説あり、表記も幕末頃まで「福知山」と「福智山」の両方があったようです。

福知山城(福知山市)
郷土資料館の案内板

その後、本能寺の変を経ての光秀の死去から豊臣時代にかけて度々城主は変わり、関ヶ原の戦いで徳川家康からその功績を認められた有馬豊氏が6万石(当初)で福知山城に入城しました。明智光秀が原型を築き、有馬豊氏時の時代に完成したと考えられる福知山城は、丘陵最先端部の標高35m(比高約25)の高い場所に本丸を置き、その西に二ノ丸、更に西に伯耆丸、内記丸と続く四つの連郭式城郭を形成していたようで、全体としての規模は最大で東西約600m、南北300mとも。

このように、丹波篠山城とともに山陰道を押える要衝の地にある福知山城は近世城郭として生まれ変わり、福知山藩の居城として有馬家、岡部家、稲葉家、松平家、朽木(くつき)家などと藩主を代えながら幕末まで存続します。

●朽木氏ゆかりの朝暉神社についてはこちら →朝暉神社(福知山市) ・福知山城天守の側に鎮座する藩祖を祀る神社

福知山城(福知山市)
詳細を記した説明板

明治時代に入り、福知山城は明治4年(1871年)の廃藩置県によって廃城となり、明治6年(1873年)の廃城令によって解体されました。福知山城には三層四階の天守をはじめ、広大な二ノ丸御殿など多くの建物がありましたが次々に取り壊されました。一部の建物は払下げとなり、瓦は寺院や民家に使用されたりした他、城門は観瀧寺や正眼寺、法鷲寺、明覚寺の山門になったとされています。また、二の丸の台地は削り取られ、最後に残っていた二ノ丸の登城路付近にあった銅門(あかがねもん)番所は大正5年(1916年)に天守台に移築されました。

昭和61年(1986年)、市民による1口3000円の寄付を募る「瓦一枚運動」などの寄付金と国庫をはじめとした補助金により、二重櫓に入母屋の大屋根をかけ、その上に小望楼を乗せた三層四階の天守が復元されました(小天守と続櫓は前年に完成)。初期の姿を再現した天守の内部は城に関する資料や福知山地方の歴史・文化財を紹介する郷土資料館として公開されています。

平成24年(2012年)4月24日、福知山城のすぐ東側にナチュラルガーデンとともに食事、セレクトショップなど7つの店舗を集めた賑わい創出施設「ゆらのガーデン」がオープン。平成29年(2017年)には日本城郭協会が認定する「続日本100名城」の第158番に選定されました。

●ゆらのガーデンについてはこちら →【京都府の旅】ゆらのガーデン(福知山市) ・明智光秀ゆかりの福知山城のお隣!

大河ドラマなどで注目

平成30年(2018年)4月、令和2年(2020年)のNHK大河ドラマが、明智光秀を主役とした「麒麟がくる」(脚本:池端俊策、主演:長谷川博己)に決定されました。

●NHK大河ドラマ「麒麟がくる」ホームページ →https://www.nhk.or.jp/kirin/

福知山城(福知山市)
明智光秀が話す自販機

また、令和元年(2019年)6月以降、「福知山限定 明智光秀が話す自動販売機」が続々と市内に設置されており、福知山城本丸広場にもあります。この自販機はイラストレーターの諏訪原寛幸さんによる福知山市オリジナル光秀イラストをラッピングしたもので、「おしゃべり」には、基本フレーズ以外に様々な時間限定フレーズや隠しフレーズもあって話題となりました。


現在の福知山城

現在の福知山城は本丸部分が城址公園(福知山城公園)として整備されており、再現されたものとは言え、盆地のどこからでも見える小高い丘の上に建つ天守が街のシンボルとなっています。

福知山城(福知山市)
ゆらのガーデンから見た福知山城

福知山城本丸への上り口は北東の府道55号沿いにありますが、駐車場などがある東側のゆらのガーデンの城門風ゲート付近から城の全景を確認してから本丸に向かうのも良いでしょう。

福知山城(福知山市)
昇龍橋

本丸のすぐ東側を南から北に流れる由良川の支流、法川に架かる昇龍橋を渡ります。

福知山城(福知山市)
昇龍橋の南側

堀の役割を果たしている法川の本丸側には高い石垣があり、駐車場側は公園になっています。

福知山城(福知山市)
昇龍橋の北側

昇龍橋を渡ると右手には城の櫓のような建物などがありますが、これは福知山市出身で現代日本画の巨匠、佐藤太清氏の作品を中心に収蔵展示する「福知山市佐藤太清記念美術館」です。

福知山城(福知山市)
佐藤太清記念美術館

隅櫓風城郭建築様式の壮麗な建物の福知山市佐藤太清記念美術館は、平成2年(1990年)に福知山市立美術館として発足し、平成17年(2005年)より名称を佐藤太清記念美術館に変更しました。

また、大河ドラマ「麒麟がくる」の放送にあわせ、佐藤太清記念美術館2階に「福知山光秀ミュージアム」が設置され、令和2年1月11日に開館します。

福知山城(福知山市)
美術館前の案内板

美術館の向かいには液晶パネルの案内板(デジタルサイネージ)が設置されています。

福知山城(福知山市)
本丸への坂道

案内板から復元天守のある本丸へは100m少々の上り坂となっていますが、これは本丸に移された朝暉神社への参道として後に作られたもので、本来の本丸への城道は西側の二ノ丸側から通じており、現在は住宅地となっています。

福知山城(福知山市)
左の建物が銅門番所

坂を上りきると本丸南側の広場に出ます。この広場の西端に、江戸時代の姿を留める銅門番所がありますが、これは元々二ノ丸の登城路付近にあった銅門の番所で、大正5年(1916年)に天守台に移築され、昭和の天守復元に合わせ再び移築されたものです。

福知山城(福知山市)
大天守

そして本丸の中央にあるのが天守です。

天守台の石垣の転用石

福知山城の天守台や本丸の石垣の多くは明治の廃城令の後も残された石垣で、野面積み、乱積み、穴太(あのう)積みなどと呼ばれる自然石をそのまま利用する方法で積まれています。こちらの石垣の特徴として、寺院や墓所にあった宝篋印塔、五輪塔などの石造物が大量に使用されていることがあげられます。これらは「転用石」とも呼ばれており、かなり急いで石材を調達したことが窺われます。

福知山城(福知山市)
天守南側の展示物など

天守の南側には、より詳しい説明板などが並んでいます。

福知山城(福知山市)
豊磐井説明板としゃちほこ

説明板の隣には「福知山城復元天守閣鯱瓦」や「豊磐井(とよいわのい)」の説明板なども展示されています。

福知山城(福知山市)
鳥居と門の手前にある豊磐井

天守の東側にある豊磐井と呼ばれる大型の井戸は、城主であった朽木稙昌の父朽木稙綱の神号「豊磐稙綱彦命」にちなんだものだそうです。



豊磐井

豊磐井の深さは50mもあり、海抜43mの本丸から測ると由良川の川底より深い海面下7mにも達します。また、高所にも関わらず水深は37mもあり、現在もと水を湛えているそうです。

福知山城(福知山市)
井戸の向こうが天守入口

福知山城天守は資料館となっていて、入館料は大人330円、こども(小・中学生)110円となっていますが、望楼からの城下の眺めは抜群と好評です。

なお、今回の訪問時は工事の為、臨時休館日となっていました。

福知山城(福知山市)
朝暉神社

本丸の天守北西に鎮座しているのが朝暉神社(あさひじんじゃ)です。朝暉神社は、朽木家の福知山初代藩主の朽木稙昌が、父の稙綱を藩祖として城中に祀ったのが始まりとされます。明治の廃藩で一時は城の外に移されましたが、明治14年(1881年)に町民らの要望で天守台跡に復座。昭和の天守再建に伴い現在の場所に遷座され、今も市街地鎮守の神として祀られています。

福知山城(福知山市)
鉄砲石の説明板

朝暉神社の鳥居の左側には「鉄砲石」と呼ばれる石碑があります。これは、福知山藩第4代藩主の松平忠房が、鉄砲の名手、牧重郎左衛門の技量を後世に伝えるために建てた記念碑で、旧国道9号の工事にともないこちらに移設されたそうです。

福知山城(福知山市)
由良川に架かる音無瀬橋

盆地内の高台ということで、天守近くにある北側の狭間からは由良川に架かる美しい音無瀬橋も見えます。また、音無瀬橋の500mほど西には明智光秀公を祀る御霊神社が鎮座しています。

福知山城(福知山市)
釣鐘門(復元)

天守の東側、神社の鳥居のそばにある釣鐘門からの階段は美術館前の坂道へとつながっています。

福知山城(福知山市)
釣鐘門からの景色

釣鐘門からは、ゆらのガーデンから土師川、さらにその奥の舞鶴若狭自動車道福知山インターチェンジ方面を望むことが出来ます。

●福知山市ホームページ 福知山城天守閣 →https://www.city.fukuchiyama.lg.jp/soshiki/7/2014.html

アクセス

鉄道では、JR山陰本線・福知山線、京都丹後鉄道宮福線「福知山」駅下車。北口から「お城通り」(府道24号福知山停車場線)を東に約1kmです。バスの場合は、「福知山駅前北口」バス停から京都交通バスまたは西日本JRバスなどに乗車。「福知山城公園前」バス停下車、西に100m少々。

福知山城(福知山市)
福知山城公園観光駐車場

車の場合、舞鶴若狭自動車道福知山ICから国道9号を西に進み、土師川を越えてすぐ側道に降り、「東堀」交差点を右折。「お城通り」(府道55号舞鶴福知山線)を1kmほど進み「福知山城公園」の標識のある丁字路を左折すると、少し先の左側にゆらのガーデンと福知山城公園観光駐車場(無料)があります。

福知山城(福知山市)
付近の駐車所の案内

福知山城公園観光駐車場が満車の場合は、お城通りを西に500m少々進んだ先にある福知山市役所の来庁者用駐車場が案内されていますが、こちらは有料です。


福知山城天守から200mほど北には光秀が築いたとされる堤防「明智藪」があり、その西側には栗スイーツ店で有名な「仏蘭西焼菓子調進所 足立音衛門 京都本店」があります。

Fukuchiyama Castle(Fukuchiyama City,Kyoto Prefecture)


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