御霊神社(福知山市) ・明智光秀公の霊を鎮める城下町の稲荷神社

御霊神社

2021年10月訪問
御霊神社(ごりょうじんじゃ)は京都府福知山市西中ノ町にある神社です。明智光秀ゆかりの街として知られる福知山の市街地の中にある神社で、その御祭神として稲荷神と共に明智光秀公も祀られている他、いくつかの珍しい御神体を祀る境内社があることでも知られています。

御霊神社(福知山市)
御霊神社(福知山市)

御霊神社の鎮座地は福知山城北西に広がる城下町の雰囲気が残る街並みの中で、周囲にはレトロな商店街もあることから神社と共に同市の観光名所にもなっています。また、神社に隣接して広場のある御霊公園があることから様々なイベントも行われているようです。


歴史と概要

社伝によると、御霊神社は江戸時代の宝永2年(1705年)、福知山城下の大榎の下に創祀されました。この榎は現在の御霊神社拝殿から約270m(御霊公園東口からは約140m)東にあったとされ、その跡地の広小路通り沿いには榎神社の小祠が祀られ「榎さん」や「御靈さんの榎」などと呼ばれているようです。

主祭神は稲や穀物を主宰し稲荷神(お稲荷さん)としても知られる宇賀御霊大神(うがのみたまのおおかみ。保食神と同一視)で五穀豊穣や商売繁昌の神として崇められていますが、後に配祭神として明智光秀公(日向守光秀公)を祀ったことから御霊神社と称されるようになりました。

これを詳しく見ると、もともと現社地の東、今は榎神社の小祠が鎮座する元紺屋町の大榎のあった霊域に宇賀御霊大神を祀る稲荷社があった一方で、現社地の400mほど北東の菱屋町には光秀を祀る常照寺がありました。江戸時代の宝永元年(1704年)、当時この地を治めた丹波国福知山藩主の朽木稙昌(くつきたねまさ)の代に光秀の霊を稲荷社に合祀することとし、翌年に御霊神社が創建されたようです。ちなみに、福知山城天守のそばには現在、朽木稙昌が父の稙綱(たねつな)を藩祖として祀った朝暉神社(あさひじんじゃ)があります。

朽木稙昌は寛文9年(1669年)に常陸国土浦藩(現茨城県土浦市)から福知山に移封されましたが、かつてこの地を「福智山」と命名して福知山城を近世の城に改修し、治水や税制面などで善政をしいた光秀の合祀を許したようです。

御霊神社(福知山市)
一の鳥居横の由緒記

元文2年(1737年)に御霊会(ごりょうえ)があって子供角力(すもう)や造り物で賑わいましたが、これは後に年とともに盛大となって三丹一(丹波・丹後・但馬国で一番)の大祭となりました。


御霊神社(福知山市)
社務所前の説明板

大正6年(1917年)に広小路を西方に拡張することとなり、御霊神社は翌大正7年(1918年)に現社地に遷座しました。鎮座300年に当たる平成17年(2005年)には記念事業として境内社である恵比須神社の大改修を実施し6月に竣工しました。

現在、境内社として事代主神社(恵比須神社)、秋葉神社、天満神社、福島稲荷神社、養蚕神社、叶神社、包丁神社(包丁刃物社)が祀られています。

全国にある御霊神社

前述のように、福知山の御霊神社は元は稲荷社でしたが、宝永2年に常照寺境内で祀られていた光秀公を勧請したものです。そこには、福知山が水害をはじめとした度重なる災害に見舞われるのは光秀の霊が浮かばれぬ故であろうと考え、その霊を慰めると共に、福知山の基礎を築いた光秀の善政に報いたいという当時の人々の思いが垣間見られます。

このような、天災や疫病の発生を怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人物の「怨霊」の仕業として畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れたいとする考えを日本では「御霊信仰」と呼びます。御霊信仰に基づいて、ある人物の御霊や怨霊を鎮めるために創建された神社は全国に見られ、社名も「御霊神社」とする神社が多数あります。近畿地方では京都市上京区の上御霊神社、中京区の下御霊神社などが知られています。一方で、大阪市中央区淡路町にある御霊神社は他の言葉からなまって「御霊」となったとされ、御霊信仰とは関係のない御霊神社とされています。

文化財

御霊神社が所蔵する文化財として、福知山市指定の重要文化財「御霊神社槍(三口)」があります。「丹波志」によると、戦国時代、前田の桜野というところに雀部通明という鍛冶がいて野道具を作っていましたが、光秀に命じられて鎗や矢の根を作るようになったそうです。その細工は粗いものの、物をよく通すのことから通明と命名されたと伝わります。この三口の鎗は、それより時代は下りますが「丹州住通明」という銘から同じ系統を引く郷土の刀工の作品と考えられています。

また、光秀に関連する「御霊神社 紙本墨書明智光秀関係文書(三通)」も市指定の有形文化財となっています。これらは天正6年(1578年)と天正8年(1580年)の書状、そして天正9年(1581年)に記された明智光秀家中軍法1巻から構成されています。

祭礼など

例大祭は10月にありますが、多数の境内社もあることから年間を通した様々な祭祀が執り行われています。

●京都府神社庁ホームページ 御霊神社 →http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/19/057/


公園と境内

御霊神社は福知山城から800mほど北西の、かつての城下町の中にあります。福知山城の北には、広小路通りと新広小路通りが東西に伸びていますが、御霊神社は東の広小路通りと西の新広小路通りをふさぐ形で鎮座しています。このため、両広小路通りは当社周辺ではクランク状に南北に迂回しています(車は通常広い北側を走ります)。

御霊神社(福知山市)
広小路通りから見た公園正門

御霊神社の社殿や鳥居、さらに隣接する御霊公園の正門も東を向いているので、今回は西に向けて進みます。

御霊神社(福知山市)
御霊公園の広場

東側の広小路から大きな石灯籠のある出入口を通って御霊公園に入ります。

御霊神社(福知山市)
広小路の先の音無瀬橋

ここで振り返ると、東に延びる広小路通りと、その先の堤防や由良川に架かる音無瀬橋が見えます。なお、その先の丘の上には猪崎城跡があります。

御霊神社(福知山市)
公園のからくり時計

再び神社のほうを向くと、公園内右手(北側)に白くて高い時計塔があります。これはからくり時計で「ふるさと創生シンボル時計」と呼ばれているようです。

御霊神社(福知山市)
明智光秀が話す自動販売機

一方、南側には遊具やトイレ、さらに福知山城にもあった「福知山限定 明智光秀が話す自動販売機」が設置されています。

御霊神社(福知山市)
洪水の浸水位を記した看板

公園東端の出入口から公園内を90mほど西に進むと、右手に建つ立体駐車場(福知山パーキング)の手前に、昭和28年(1953年)の台風13号(テス台風)による由良川の氾濫で水没した福知山の被害を伝えるため、当時福知山の市街地に溢れた水の水位を記した看板が建てられています。

御霊神社(福知山市)
一の鳥居と社号標

水位を記した看板から左(南)の方に御霊神社の一の鳥居があります。鳥居の右手には社号標がある他、多数の石灯篭もあります。

御霊神社(福知山市)
「御大典記念」灯篭の一部?

鳥居の手前左手の玉垣内には「御大典記念」と彫られた大きな灯篭の一部(竿)?もあります。これは昭和3年(1928年)1月10日の昭和天皇の即位の礼を記念したものをどこかから移設したものでしょうか。

御霊神社(福知山市)
石段と二の鳥居

鳥居をくぐると正面に石段と二の鳥居、さらにその奥に拝殿が見えます。

御霊神社(福知山市)
手水舎

一の鳥居から少し進むと参道左手に手水舎があります。

御霊神社(福知山市)
手水鉢

手水鉢は比較的新しい感じの大きなものです。

御霊神社(福知山市)
参道右側の舞殿

参道右側には朱色の柱の舞殿があります。

御霊神社(福知山市)
石碑?

また、石段手前の右手には石碑?があります。

御霊神社(福知山市)
石段

石段の両側には地元企業などの奉納看板が並び、五穀豊穣・商売繁昌といった御神徳のある神社らしい風景となっています。

御霊神社(福知山市)
拝殿

石段を上ると、すぐ目の前に拝殿が現れます。屋根や賽銭箱などには明智家でお馴染みの桔梗紋も付いています。

御霊神社(福知山市)
社務所

拝殿に向かって左手にあるのが社務所です。この右手、拝殿の左奥に神社南西側の参道(出入口)があります。

御霊神社(福知山市)
拝殿右側に並ぶ境内社など

反対に、拝殿の右手には多くの境内社や石碑などがあります。

御霊神社(福知山市)
拝殿とその奥の本殿

また、拝殿の右側に回るとその後ろに連なる立派な本殿(幣殿も?)の屋根なども見えます。

御霊神社(福知山市)
包丁神社(包丁刃物社)

拝殿のすぐ右横にあるのが包丁神社(包丁刃物社)です。文字通り包丁や刃物の神が祀られていると思われます。

御霊神社(福知山市)
様々な神が祀られる社殿

包丁神社の右奥にある社殿には、稲荷大神(福島稲荷神社?)、秋葉大神、天満大神、事代主大神、養蚕大神が祀られているようで、一つの額に神々の名が記されています。また、これらとは別に恵比須神社の額も掲げられています。なお、1月9、10日には初えびす祭があるようです。

ガラス戸の向こう側、社殿の内部には五社造りの社がありますが、これは御霊神社が広小路に鎮座していた時代の旧本殿の建物だそうです。

また、この社殿の右奥に御神木の大榎があります。

御霊神社(福知山市)
叶石神社

さらに右側に進むと、一対の灯篭の奥に南向き、つまり拝殿側に向いて建つ小さな覆屋のような建物があります。こちらが叶石(かなえいし)です。

御霊神社(福知山市)
叶石発祥縁起

叶石は、知恵の優れた思兼神、大力無双の手力男命の二柱を鎮めて悲願成就神として祀られている霊石です。

御霊神社(福知山市)
叶石

石としては子持ち石とも呼ばれる礫岩で、霊石として当社に奉納されたそうです。

御霊神社(福知山市)
堤防神社

叶石の右側にある、叶石と同じ方角を向いて並んでいる社殿は境内社としては大きな建物ですが、こちらが堤防神社です。

御霊神社(福知山市)
堤防神社説明板

福知山堤防愛護会による説明板によると、福知山は豊な由良川の流れに多大の恩恵を受けてきた街ですが、時として大洪水の被害も受けて来ました。そんな水害から市民の生命財産を守る堤防に感謝と愛護の誠を捧げ、水の災害の無いこと願って祀られています。毎年8月15日には水害の無いことを祈願する堤防祭りが執り行われているそうです。

堤防神社は全国唯一の堤防そのものを御神体とする神といわれており、社殿は昭和59年(1984年)に建立されました。

御霊神社(福知山市)
句碑(左)

堤防神社の右手には句碑が建てられています。

御霊神社(福知山市)
忠魂碑

堤防神社の右奥には大きな忠魂碑も建てられています。

御霊神社(福知山市)
本能寺の碑(左)と筆塚の碑(右)

堤防神社前の東側(舞殿)側には本能寺の碑と筆塚があります。御霊神社の境内社である天満神社では学問の神である菅原道真公が祀られていることから、没後1100年を記念して平成14年(2002年)春に建立されました。

御霊神社(福知山市)
舞殿北側から公園方向を望む

令和2年(2020年)のNHK大河ドラマは明智光秀を主役とした「麒麟がくる」だったこともあり、世間の光秀に対する印象も大きく変わったと思われます。そんな光秀ゆかりの福知山城はすでに有名ですが、今後は御霊神社もますます注目されると感じられました。


アクセス

福知山城の北西約800m、由良川に架かる音無瀬橋から西に約500m、JR山陰本線・福知山線、京都丹後鉄道宮福線「福知山」の北北東約600mの距離にあります。

「福知山」駅北口の「駅前」交差点から「けやき通り」を北に400mほど進み右折。「新広小路通り」を東に約200m進むと正面に御霊神社・御霊公園があります。

福知山城のすぐ北西にある「内記一丁目」交差点からは北に入り、城下通りを北に約600m進み道なりに左に曲がり、さらに300mほど進むと正面に御霊公園東口があります。

御霊神社(福知山市)
御霊神社の駐車場

御陵神社の参拝者用駐車場は神社の南側にあり、車のお祓い所もこちらの駐車場隣となっています。

御霊神社(福知山市)
右奥が立体駐車場

神社の参拝者用駐車場が満車の場合は、有料ですが神社北側にあるコインパーキング「福知山パーキング」(立体駐車場)が最寄の駐車場となります。


周辺の店舗として、神社から300mほど東に食堂の金時さん、600m少々南西に栗スイーツ店の有名店「仏蘭西焼菓子調進所 足立音衛門 京都本店」などがあります。


Goryo Shrine(Fukuchiyama City,Kyoto Prefecture)


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