志疑神社(藤井寺市) ・大和川の南に鎮座し素戔嗚尊を祀る式内社

志疑神社

2019年10月訪問
志疑神社は大阪府藤井寺市大井にある神社です。平安時代に記された「延喜式神名帳」に河内国志紀郡14座のうちの一つとして名前が記載されたいわゆる式内社(小社)で、旧社格制度では村社に列格していました。

志疑神社(藤井寺市)
志疑神社(藤井寺市)

新旧二つの国道170号に挟まれ、大和川から南に200mほどの距離にある昔ながらの街並みの中に鎮座する志疑神社にはかなりの歴史があるようで、境内には近郷から多数の参拝者が訪れたとされる薬師堂もあります。



歴史と概要

志疑神社の正確な創建年は不詳です。拝殿内の由緒書きには、現在の鎮座地は旧河内国志紀郡大井村内字薬師にあたり、延喜式に名のある式内社であることが記されています。御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)で、「左大臣」として菅原大神、「右大臣」として稲荷大神が合社されているそうです。



由緒書きには、天照大神の天の岩戸、出雲国簸(ひ)の川での八岐大蛇退治、奇稲田姫との結婚、天叢雲剣の天照大神への献上といった素戔嗚尊の略歴をはじめ、素戔嗚尊が「英雄の神」や「農業の神」として氷川神社や八坂神社などに祀られていることも記されています。

素戔嗚尊を祀っている神社ということで、神仏習合の時代には同一視されていた「牛頭天王」と呼ばれていたようで、広報ふじいでらの「ふじいでら歴史紀行136」によると、当社はもともと「志貴神社」と呼ばれていたものが、江戸時代には「牛頭天王」となり、明治に入って「志疑神社」と称することになったそうです。この時点で「志貴神社」に戻されなかったのは、850mほど南東の同じ藤井寺市の総社に鎮座する「志貴県主神社(しきあがたぬしじんじゃ)」と紛らわしいということが理由とのことです。

志疑神社(藤井寺市)
拝殿内の由緒書き

「志疑」という名称については、旧郡名の志紀、また志紀郡に居住した志紀氏が氏祖を祀ったことから付けられたとの説があります。志紀氏には始祖を饒速日命、または神八井耳命とする二つの系統がありますが、周辺には神八井耳命に関連する神社も複数あるので当社の祭神も元々は神八井耳命であった可能性が指摘されています。

明治5年(1872年)に旧社各の村社に列格しましたが、明治40年(1907年)に、600mほど東南東の同市北條町にある黒田神社に合祀されました。昭和21年(1946年)に復社しました。

志疑神社は神職不在神社で、現在は1.2kmほど北東の柏原市今町にある柏原黒田神社(かしわらくろだじんじゃ)が問い合わせ先となっています。

祭礼

秋の例祭は10月9日ごろで、大井地区の地車(だんじり)が出ます。

境内

志疑神社の鎮座地は、現藤井寺市内の大和川沿いでは最大規模だった旧大井村集落の中心付近となっており、周辺の道路や街並みはかつての雰囲気を残しています。大井は応永3年(1396年)に大井庄として教興寺(八尾市にある真言律宗の寺院)に安堵されていたようで、かつては四周を水路で囲った、つまり環濠化された寺内町のような集落だったと考えられています。

ちなみに、大和川と石川の合流点から大和川左岸を下流に向かうと、船橋村の大山咋神社、北條村の黒田神社、そして大井村の志疑神社があります。

志疑神社(藤井寺市)
鳥居

境内への入口は南の道路に面して建っている石造りの鳥居となります。

志疑神社(藤井寺市)
「式内 志疑神社」の額

比較的新しい鳥居には「式内 志疑神社」の額がかかっています。

志疑神社(藤井寺市)
手水舎

鳥居をくぐるとすぐに参道は右に折れますが、右手(鳥居の横)に手水舎があります。

志疑神社(藤井寺市)
拝殿

参道には、石燈籠、狛犬が並び、その先の少し高くなった場所に拝殿が建っています。拝殿の左側(北)には倉庫(参集殿?)のような建物があり、右(南)の道路側には塀があります。

志疑神社(藤井寺市)
「府」の文字が見える拝殿の瓦

この拝殿の瓦には多数の「府」の文字が見られるので「府社」の「府」かとも思いましたが、当社の社格は村社でした。志疑神社からもっとも近い府社は約600m南の同市林にある式内社伴林氏神社(ともばやしのうじのじんじゃ)となります。

志疑神社(藤井寺市)
拝殿奥の本殿

拝殿は扉が閉められていましたが、隙間から奥を窺うと拝殿よりさらに高い石垣の上に立派な本殿が建てられていました。

志疑神社(藤井寺市)
南東側から見た本殿

本殿は2重の塀で囲われているようで、南西側の道路から屋根などを見ることが出来ます。

志疑神社(藤井寺市)
境内社の稲荷神社

拝殿に向かって左、境内の北側には南向きに朱色の鳥居が並ぶ境内社があります。

志疑神社(藤井寺市)
「正一位 天社相殿稲荷大明神」の額

それが額に「正一位 天社相殿稲荷大明神」と書かれた稲荷神社です。「天社相殿」が拝殿の由緒書きに記された「右大臣 稲荷大神」と同一であるかは不明です。

常楽寺薬師堂

志疑神社の境内の北西には南向きに建つ薬師堂があり、こちらには説明板があります。

志疑神社(藤井寺市)
常楽寺薬師堂

この薬師堂は、延宝6年(1678年)に大井村出身の玄榮入道禅下(青木玄栄)が復興したもので「香積山常楽寺奥坊(こうしゃくさんじょうらくじおくのぼう)」 と名づけられました。

常楽寺は志疑神社の神宮寺で、創建については不明ですが、周辺からは奈良時代から平安時代にかけての瓦が出土していることから、これらの時期に創建されたものと考えられています。

志疑神社(藤井寺市)
「大井のおやくっさん」の説明板

薬師堂はいつの間にか焼失し、常楽寺の縁起や宝物類は大部分が消滅してしまっていましたが、幸いにも御本尊である「薬師如来」と脇侍(本尊の両脇に仕えている仏)である「釈迦如来」、「阿弥陀如来」が残っており、薬師堂に三尊像が安置されたそうです。

産後の女性がお参りすると母乳がよく出るという言い伝えがあり、多数のお参りがあったといわれています。

志疑神社(藤井寺市)
薬師堂の鰐口や額など

跡継ぎのいなかった玄榮入道禅下に代わり、信者とその子孫の方々により毎年1月(成人の日)と8月(盆踊りの日)に法要が行われてきましたが、現在では毎月第1日曜日の午前中に薬師堂を開扉して、平安時代後期に作成されたと考えられる薬師如来坐像などを拝観できるようです。

志疑神社(藤井寺市)
仏の彫られた燈籠

当地の字が「薬師」ということは、この「大井のおやくっさん」がこの地の代表的施設であったということでしょうか。

周辺


志疑神社(藤井寺市)
志疑神社の南向かいにある弁財天

志疑神社の向かいの民家の門の隣には「弁財天」が祀られています。

志疑神社(藤井寺市) 誓願寺


また、志疑神社の北側には浄土真宗本願寺派の寺院である誓願寺があり、その立派な山門は神社の境内からも見えます。

志疑神社(藤井寺市)
西にあるお社

志疑神社の200mほど西には朱色の鳥居が並ぶ小さなお社があります(入信寺の南)。


アクセス

国道170号(外環状線)「西大井」交差点を東に入り約250m先の、信号のある交差点を左折します。幅が徐々に狭くなる道を200mほど進むと道の先が左にカーブしているので、カーブの手前を右折し、100mほど進むと左に志疑神社があります。神社に一般の参拝者用駐車場は無いようで、周辺はかなり道幅の狭いところも多いので徒歩で参拝する方が良いでしょう。

近鉄南大阪線「土師ノ里」駅から1kmほど北の大和川に架かる河南橋手前の国道170号(旧道)「河内橋南詰」交差点から西(下流)に向かい、府道174号八尾道明寺線に入ります。すぐに(20mほどで)左下に下る道が現れるのでその坂を下り、道なりに約550m進むと右手に志疑神社があります。 藤井寺市内公共施設循環バスの「大井住宅内(公園前)」バス停が「河内橋南詰」交差点の200mほど南西にあり、バス停そばにはコインパーキングもあります(府立藤井寺大井住宅駐車場の一部)。

Shigi Shrine(Fujiidera City,Osaka Prefecture)


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