萩原神社分祀(堺市美原区) ・北余部の氏神様を偲ぶ天神様

萩原神社分祀

2019年3月訪問
萩原神社分祀(はぎわらじんじゃぶんし)は大阪府堺市美原区北余部(きたあまべ)にある神社です。阪和自動車道や府道36号泉大津美原線といった交通量の多い幹線道路から少し南の住宅地の中にひっそりと鎮座しています。

萩原神社分祀(堺市美原区)
萩原神社分祀(堺市美原区)

社名を見ると、この地から少々西の堺市東区に鎮座し、南海電車の駅名にもなっていて地域でも有名な萩原神社(萩原天神)に関係があることがわかります。



歴史と概要

現地に由緒書きや説明板は無く、萩原神社分祀の正確な創建年は不明です(後述)。御祭神は、萩原神社の分祀ということで本社と同じ菅原道真です(他の御祭神の有無は不明)。ちなみに、分祀とは本社と同じ御祭神を、別に神社を設けて祀ること(またはその神社そのもの)をいいます。

萩原神社分詞の鎮座地は、江戸時代頃には河内国丹南郡北餘部(余部)村と呼ばれました。郷土史によると、北余部の字山の花には菅原道真を祀る菅原神社がありましたが、明治40年(1907年)に当時の南河内郡日置荘村(現堺市東区日置荘各町)の萩原神社に合祀されました。

明治時代末の地図を見ると北余部集落の北のはずれに鳥居のマークを確認できるので、これが合祀前の北余部菅原神社と思われます。その場所は、現在の「北余部北」交差点の東側で阪和自動車道の高架下付近と思われます。
この北余部菅原神社は萩原神社に合祀されましたが、後に氏子の希望で遥拝所が設けられました。この遥拝所は「新池の北東堤」に設けられ、区民会館建設のために移されたとあることから、かつての北余部集落の西のはずれで現在の北余部区民会館敷地の北東角付近にあったようです。この遥拝所は昭和41年(1966年)に「現在地に移されました」とあるので、この時に遷座したのが現在の萩原神社分祀と思われます。

菅原神社の名前は現在の社名にありませんが御祭神はどちらも天神様(菅公)で、学問の神様であることには変わりないということでしょうか。

なお、北余部の属する地域は明治時代に丹南郡黒山村、南河内郡黒山村、さらに昭和に入って南河内郡美原町、堺市美原区と変遷しています。




境内

萩原神社分祀は阪和自動車道の南側、府道26号大阪狭山線沿いにある北余部ちびっこ公園の奥(西)に鎮座しています。

萩原神社分祀(堺市美原区)
公園側から神社を望む

府道の西側に隣接する小さな公園の奥に石造りの鳥居や玉垣が見えています。

萩原神社分祀(堺市美原区)
鳥居と額

この鳥居の額に「萩原神社分祀」と書かれています。

萩原神社分祀(堺市美原区)
参道左側

鳥居をくぐると、左側に手水鉢?、狛犬、燈篭と並んでいます。

萩原神社分祀(堺市美原区)
参道右側

右側には少し角ばった石と狛犬、燈篭が並んでいます。

萩原神社分祀(堺市美原区)
本殿と撫牛

短い参道の奥に本殿が鎮座し、その左手前には天満宮でお馴染みの撫で牛(臥牛像)があります。鳥居や本殿はほぼ真東を向いていて、本殿に参拝すると本殿の後方、ほぼ真西約1.2km先にある萩原神社を遥拝する形になるようです。

萩原神社分祀(堺市美原区)
境内南西角の石造物

境内は幅、奥行きともに10m前後でそれほど広くありませんが、神社らしい大きな木もあり、所々に旧社地(あるいは遥拝所)にあったと思われる石造物の一部などが置かれています。

萩原神社分祀(堺市美原区)
境内北側の石造物

神職不在の小さなお社ですが、地域の人々が手入れし大切に残されている印象の神社でした。

アクセス

府道26号が府道36号と交差し、阪和自動車道の下をくぐる「北余部北」交差点から南に約150m。「北野田」交差点からは北に約1.5kmです。

公共交通機関では、南海高野線「北野田」駅などから南海バスを利用し、「北余部」バス停下車すぐです。

なお、500mほど南の西除川沿いには南余部の余部神社遥拝所もあります。

Hagiwaratenjin-Shrine bunshi(Mihara Ward,Sakai City,Osaka Prefecture)


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