余部神社遥拝所(堺市美原区) ・移転した南余部の氏神を拝する“神社”

餘部神社

2020年2月訪問
余部神社(あまべじんじゃ)遥拝所は大阪府堺市美原区南余部にある神社(遥拝所)です。阪和自動車道や府道36号泉大津美原線といった交通量の多い幹線道路から少し南の西除川の左岸に鎮座しています。

余部神社(堺市美原区)
余部神社(堺市美原区)

余部神社という社名から鎮座地である美原区南余部の鎮守であると思われますが、境内を見ると比較的新しい印象を受けます。また、社号票などに「余部神社遥拝所」とありますが、鳥居や参道、社殿など「神社」として必要なものを備えているように見えます。


歴史と概要

余部神社の正確な創建年は不祥です。現地には大きな「余部神社縁起」が掲げられており、それによると御祭神は素浅鳴命(素盞鳴命)、誉田別命(第15代応神天皇)となっています。縁起には素盞鳴命の系譜や御由緒についても記され、誉田別命にも御由緒が書かれています。誉田別命には「左、ヒメノオオカミ」、「右、オオタラシヒメノミコト」を配祀しているとあり八幡三神が祀られていることがわかります。

余部神社(堺市美原区)
余部神社縁起

ヒメノオオカミ(=比売神)とは特定の神の名前ではなく主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神であることが多く、ここでは八幡神の比売神である多岐津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、多紀理姫命(たぎりひめのみこと)の三柱、すなわち宗像三女神であると思われます。一方のオオタラシヒメノミコト(大帯比売命)は応神天皇の母である神功皇后のことを指します。

余部神社のある南余部地区は明治時代のはじめまでは河内国丹南郡南余部村でしたが、明治22年(1889年)に周辺の村と合併して丹南郡黒山村に、明治29年(1896年)には南河内郡となりました。当時の鎮座地は黒山村大字南餘部字水無と記されています。その後、南余部の属する黒山村は昭和31年(1956年)に丹南村、平尾村と合併して南河内郡美原町となりますが、平成17年(2005年)に堺市に編入され現在の堺市美原区南余部となります。

余部神社(堺市美原区)
境内の梅

明治40年(1907年)11月9日、南余部の村社であった余部神社は東南東約1.5kmの距離にある式内社菅生神社(すごうじんじゃ)に移されました。菅生神社の拝殿左手の覆屋の中に元禄年間(1688年~1704年)の建築様式を伝える当社の小さな社が安置されています。

現在の社号標にある「余部神社遥拝所」は大正6年(1917年)に創建されました。昭和13年(1938年)に竹口亀太郎氏が小祠を建立し、昭和58年(1983年)5月にも氏子一同により小祠が建立されています。そして昭和61年(1986年)に南余部実行組合により社殿や鳥居が建てられ現在に至っています。


ちなみに、少し北にある北余部の菅原神社は堺市東区の萩原神社(萩原天神)に合祀されましたが、現在は余部神社遥拝所から500m少々北に萩原神社分祀が建てられています。郷土史によると、南余部と北余部はもともと一つの「あまべ村」でしたが、いつの間にか分かれたようです。

境内

余部神社遥拝所は府道26号大阪狭山線と西除川との間にあり、西除川左岸(西岸)の遊歩道「花余部の道」から入ります。

余部神社(堺市美原区)
一の鳥居と社号標

西除川に架かる南河原橋から少し遊歩道を南下すると、右手に石造りの一の鳥居と玉垣が見えて来ます。境内は手前(入口側)が狭く奥が広い三角形の様な形で、奥行きが約40m、最も広い奥の幅が約20mといったところです。

余部神社(堺市美原区)
境内の様子

一の鳥居をくぐると玉垣があり、その次に狛犬と大きな石燈籠が一対ずつあります。比較的新しいものが多い当遥拝所の中にあって、こちらの狛犬は幾分古く感じられるので旧社地にあったものかもしれません。

余部神社(堺市美原区)
二の鳥居と社殿

一の鳥居から20m少々進むと、参道は左に折れ、こちらも石造りの二の鳥居と狛犬、そして拝殿があります。周辺にはベンチなども置かれ公園のようにもなっています。

余部神社(堺市美原区)
石畳の参道

こちらの二の鳥居と狛犬、そして社殿は比較的新しいものです。なお、木造の社殿は切妻造妻入。

余部神社(堺市美原区)
まだ新しい狛犬

社殿前の参道は石畳になっています。

余部神社(堺市美原区)
社殿内の社

社殿の中にはしっかりとした木造の社(祠)があります。二の鳥居や社殿は方角的には西南西を向いていて、参拝する方角の東北東の延長線上に菅生神社があるわけではありませんでした。

余部神社(堺市美原区)
武者絵の額

拝殿には武者絵の扁額がかけられていました。

余部神社(堺市美原区)
拝殿手前の古い燈篭

なお、一の鳥居から社殿までの間には歴史を感じさせる石燈籠が4基並んでいます。

余部神社(堺市美原区)
「常夜燈」などと刻まれた燈篭

これらの石燈籠も旧余部神社の社地から移設されたものかと思われます。


余部神社遥拝所は、遥拝所とはいうものの通常の神社と同様に境内、参道、鳥居、狛犬、燈篭などをしっかりと備えています。これは菅生神社への合祀後に南余部の人々により徐々に再建されていった結果といえ、地元の人々の余部神社への思いが感じられます。

アクセス

府道26号が府道36号と交差し、阪和自動車道の下をくぐる「北余部北」交差点から南に約600m、あるいは府道26号で狭山寄りの「北野田」交差点からは北に約900mの信号のある交差点を東に曲がります。すぐに西除川に架かる南河原橋があるので手前を右折し「花余部の道」という川沿いの遊歩道に入り、20mほど南に歩くと右手に余部神社遥拝所があります。

公共交通機関では、南海高野線「北野田」駅などから南海バスを利用し、「南余部」バス停で下車。40mほど南(スーパーコノミヤとは逆)に歩くと信号のある交差点があるので左折し南河原橋の手前を右折し20mほど進むと右手に鳥居などが見えて来ます。

なお、500mほど北の府道26号沿いには北余部の萩原神社分祀もあります。

Amabe Shrine(Mihara Ward,Sakai City,Osaka Prefecture)


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