辛國神社
2020年3月訪問(2022年3月更新)
辛國(辛国)神社(からくにじんじゃ)は大阪府藤井寺市藤井寺にある神社です。平安時代に記された「延喜式神名帳」に河内国志紀郡14座のうちの一つとしてその名が記載された、いわゆる式内社(小社)で、明治時代以降の旧社格制度では村社に列格していました。
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辛國神社(藤井寺市) |
多くの木々と真っ直ぐで長い参道を持つ辛國神社の鎮座地は近鉄線藤井寺駅の少し南で、周囲は商店街や学校、住宅街となっていて賑やかな地域でもありますが、境内は厳粛な空気を感じられます。また、北東には西国三十三ヶ所第五番札所としても知られる
紫雲山葛井寺もあります。
歴史と概要
辛國神社の正確な創建年は不詳ですが、社伝によると日本書記には「雄略十三年春三月 餌香長野邑(えがのながのむら)を物部目大連(もののべのめのおおむらじ)に賜う」とあることなどから第21代雄略天皇の御代に創建されたとされています。「餌香」は松原市東北部から藤井寺市や羽曳野市西部・北部辺りまでを含む広域地名で、今も「恵我之荘」などと名前を残しています。「長野邑」は、現在の辛國神社の鎮座地付近の地名で、かつて葛井寺の境内には長野神社(式内小社)がありました(後述)。
御祭神は饒速日命(にぎはやひのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、素盞鳴命(すさのおのみこと)で、最初の饒速日命から天児屋根命、素盞鳴命とそれぞれ数百年の間隔を空けて合祀されて行きました。また、相殿に品陀別命(ほんだわけのみこと)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀っています。
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説明板と村社辛國神社の碑 |
この地を治めることとなった物部氏が、祖先である饒速日命を祀ったことが当社の始まりと考えられ、物部氏の同族である辛國連が祭祀の中心となったことから辛國神社と称するようになったそうで、元々は恵美坂の西南神殿にあったと考えられています。ちなみに、辛國連からは、役小角(役行者)の弟子であり、後に小角を告発した呪術師の韓国広足(韓國廣足)などが輩出されています。
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由緒や御祭神の案内板 |
平安時代に編纂された歴史書「日本三代実録」には、「貞観九年二月二十六日河内国志紀郡辛國神社を官社に預る」とあり、第56代清和天皇の御世である貞観9年(867年)9月26日に官社に列せられたことがわかります。
室町時代の3代将軍足利義満の頃、河内守護の畠山基国が社領200石を寄進して現社地に神社を造営するとともに、奈良春日大社に懇請してその御祭神である天児屋根命を合祀したと伝えられています。 このことから、近世にかけて当社は丹南郡岡村の氏神であるとともに「春日社」や「春日大明神」と呼ばれるようになり、今も神社西側に「春日丘」という地名が残っています。その後、戦国時代には織田信長の河内攻めの際の兵火で神社は焼失したそうです。
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参道途中にある詳細な説明板 |
古来の名称である辛國神社に改称されたのは明治に入ってからのようです。明治5年(1872年)に近代社格制度で村社に列し、明治41年(1908年)2月10日に藤井寺村大字野中字豆塚(現藤井寺市野中)にあった村社
野中神社と、藤井寺村大字藤井寺字長野(現藤井寺市藤井寺)の葛井寺境内南西に鎮座していた河内国志紀郡の式内社で、旧丹南郡藤井寺村の村社長野神社を合祀しました。
この長野神社の素盞鳴命が現在の辛國神社の御祭神の一柱となっています。また、野中神社も御祭神は素盞鳴命(他に彦国葺命も)ですが、こちらは昭和25年(1950年)に野中宮山古墳の後円部頂上に復社しています。
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駐車場にある案内板 |
辛國神社鎮座地の周辺は、明治の初めまで河内国丹南郡岡村と呼ばれていましたが、明治22年(1889年)に、藤井寺村、野中村と合併し長野村となります。明治29年(1896年)4月には所属郡が南河内郡となりますが、同じ南河内郡内に旧錦部郡の長野村(現河内長野市長野町)があったため翌月に改称して藤井寺村となりました。この当時の当社鎮座地は南河内郡藤井寺村大字岡字春日山となっています。
その後、大正4年(1915年)に小山村と合併し改めて藤井寺村が発足。昭和3年(1928年)に町制施行して南河内郡藤井寺町となり、昭和34年(1959年)に道明寺町と合併して藤井寺道明寺町が誕生しました。翌年には町名を美陵町と改称し、昭和41年(1966年)に市制施行して美陵市となりますが即日改称し現在の藤井寺市となりました。
辛國神社には神職の方がおられるので各種御祈祷、地鎮祭などの他、神前結婚式も受け付けています。なお、辛國神社では御神籤(おみくじ)を木々に結びつけることは勧められていません(ホームページ参照)。
また、神職不在の
小山産土神社や
津堂八幡神社は当社の兼務社となっています。
●辛國神社ホームページ →
http://www.karakunijinjya.jp/sp/
祭礼
1月の歳旦祭にはじまり、6月の水無月の大祓式、多くの屋台が出る7月の夏祭り、氏子地区の地車(だんじり)やふとん太鼓が繰り出す10月の御例祭など様々な祭祀が執り行われています。
境内
辛國神社は東西約230m、南北最大約60mの細長い神域を有し、拝殿、鳥居などはほぼ東を向いています。鳥居から拝殿前までは180mほどあり、その間の石畳の参道は直線になっています。
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東側の一の鳥居前(2018年4月) |
藤井寺一番街商店街を南に進むと左手に葛井寺がありますが、さらに進むと右手に木々と玉垣、そして鳥居とその奥に続く参道が現れます。こちらは一の鳥居で、平成22年(2010年)の3月に改修されたもので両部鳥居という形になっています。
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社号標とお詣りの案内 |
道路に面しては社号票の他に説明板・案内板などが設置されています。
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二の鳥居と狛犬 |
一の鳥居からは長い参道の先に小さく拝殿が見えます。南河内でもこの様な直線の長い参道の神社はいくつかあり、富田林市の錦織神社ではかつて流鏑馬が、河内長野市の
住吉神社では今も馬駈け神事が執り行われているようです。
「大阪みどりの百選」に選ばれている深い緑に囲まれた長い参道をしばし進むと、一対の狛犬と石造りの二の鳥居があります。
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二の鳥居にある長野神社の銘 |
この二の鳥居は、前述の藤井寺長野神社にあった鳥居を移設したもので、裏側に「長野神社」と彫られているのを見ることが出来ます。
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中門 |
さらに参道を歩くと右側に大きく詳細な説明板があり、その先に門が見えます。門の右側には大きな十二支の絵馬があります。
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神宮遥拝所 |
また、門の手前の左側は南側の駐車場からの入口となっていて、ここの参道と駐車場の間には東を向いた伊勢の神宮の遥拝所があります。
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門から拝殿を望む |
門をくぐると正面に拝殿が見える他、左右にも様々な建物などがあることがわかります。
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手水舎 |
門をくぐってすぐ右側には立派な屋根の手水舎があります。
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手水鉢 |
手水鉢は大きく真新しいものです。
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参道左側の建物群 |
一方、参道の左側には社務所や参集殿などの建物が並んでいます。
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一願成就まいりの案内 |
当社では「一願まいりの日」に「一願成就まいり」が執り行われます(ホームページを参照)。
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拝殿 |
長い参道の先には江戸時代の狛犬とまだ新しい灯籠があり、その奥に拝殿が建っています。
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拝殿に架かる額 |
それほど古さを感じさせない拝殿をはじめ、社殿や境内は綺麗に手入れされていて気持ちよく参拝できます。
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拝殿左の受付 |
拝殿の左手には御守りの授与所やお参りの受付があります。
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社務所前の狛犬や絵馬掛け |
拝殿に向かって左側にある社務所前には絵馬掛けがあり、車いすでも参拝できるスロープが設置されています。
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斎館と手水鉢など |
拝殿の右手には真新しい斎館が建っています。
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斎館前の梅の木 |
斎館前には奉納された酒樽が並び梅も植えられています。
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拝殿から参道を望む |
拝殿から振り返ると、歩いて来た参道の美しさを再確認できます。
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辛國池旧趾 |
拝殿から少し戻ると、左手(拝殿に向かって右側)に池があります。池の前の石碑には「辛國池旧趾」と刻まれています。
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春日天満宮の社殿 |
辛國池旧趾の左、斎館との間を入ると境内社があります。
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春日天満宮の額 |
こちらは菅原道真を祀る春日天満宮で、平成5年(1993年)に京都市上京区にある北野天満宮より勧請されたものです。
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春日稲荷社の鳥居 |
また、辛國池旧趾の右手、手水舎との間には朱の鳥居が並んでいます。
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春日稲荷社の社殿 |
こちらも境内社で、宇迦之御魂神を祀る「春日稲荷社」となっています。
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西門の鳥居(2022年2月) |
なお、辛國神社境内の北西部には西門があり、こちらの鳥居からも出入りできます。
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西門から続く裏参道(2022年2月) |
西門から続く裏参道を進むと、拝殿に向かって右手にある斎館と春日天満宮の間に出ます。
このように、辛國神社は手入れの行き届いた歴史ある神社というだけでなく、駅からも近く、周辺には
葛井寺や
仲哀天皇陵、
アイセルシュラホールといった歴史関連スポットも多いので藤井寺観光で訪れるのも良いかと思われます。
アクセス
近鉄南大阪線「藤井寺」駅南口から東(土師ノ里方面)に70mほど進み、踏み切りの前を右に曲がり藤井寺一番街という商店街のアーケードの下を約240m歩くと一の鳥居前に着きます。一の鳥居のある表参道の他にも、北側にある
ブクンダ公園側の出入口や南側の駐車場(後述)、西側の裏参道からも出入り出来ます。
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南側の駐車場出入口 |
府道31号堺羽曳野線「野中寺」交差点からは北に約1.2km進み、春日丘新町公園前の交差点を右折します。そこから道なりに300mほど進むと左に駐車場入口があります。駐車場はこの参道南側の他、参道の北側にも数台分あります。
Karakuni Shrine(Fujiidera City,Osaka Prefecture)
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