大伴黒主神社(富田林市) ・古墳群の縁にある六歌仙の一人を祀る神社

大伴黒主神社

2020年3月訪問
大伴黒主神社(おおとものくろぬしじんじゃ)は大阪府富田林市山中田(やまちゅうだ)にある神社です。鎮座地は富田林東部にある丘陵の北に位置する山中田集落と丘の上の新興住宅地の境目付近で、社殿などは比較的新しい印象を受けます。

大伴黒主神社(富田林市)
大伴黒主神社(富田林市)

大伴黒主神社の鎮座する山中田町の北には北大伴町、東には南大伴町があり古代豪族とのつながりを連想させます。さらに、南に広がる丘陵には多数の古墳があることがわかっており、丘陵南側の河南町エリアには寛弘寺古墳公園もあります。


歴史と概要

大伴黒主神社には由緒記などは見当たりませんでした。地元の伝承などによると、創建は江戸時代後期の文政9年(1826年)頃とされ、御祭神は社名にもなっている大伴黒主で、大伴神社や黒主神社とも呼ばれるようです。

創建の経緯については、文政9年頃に河内国石川郡山中田村で、田畑を広げるため村内にあった大伴黒主夫婦の墓といわれる「夫婦塚」を山中田の村民一同が開墾すると、黒蛇が土中から出現し山中田村に逃げ入り、その後村で大火災が発生し半数が焼失したそうです。これを大伴黒主の祟りと考えた山中田の住民はその南方の山に祠を建立し、以後村の氏神として祀ったそうです。

大伴黒主神社(富田林市)
神社のある丘陵地の住宅街

明治42年(1909年)、富田林市北部にある式内社の美具久留御魂神社に合祀されましたが、第二次大戦後の昭和32年(1957年)に山中田の有志5名の尽力により復社。平成13年(2001年)、周辺の宅地(かがり台)開発に伴い現在地に遷座しましたが、この際、一時的に隣接する河南町の壹須何(一須加)神社内の仮社にて祀られたそうです。

大伴黒主神社は神職不在神社です。



大伴黒主について

大伴黒主(生没年不詳)は平安時代の歌人・官人で、姓(かばね)は村主(すぐり)。「古今和歌集」の序文に記された六人の代表的な歌人、いわゆる六歌仙の一人です。出自は近江国滋賀郡の大友村主で、本来は「大友黒主」との表記だったようで、古代豪族の「大伴氏(後の伴氏)」とは直接の関係はないようです。滋賀県大津市南志賀には同じく大伴黒主を祀る黒主神社(大伴黒主神社)があります。

ちなみに、山中田町に隣接する北大伴町、南大伴町の氏神は降幡神社(壹須何神社に合祀)で、大伴氏の祖神である天忍日命(天忍穂耳命との説も)を祀っていることから、周辺は大伴氏が支配していていたとも考えられています。

夫婦塚は二つの古墳から成り、山中田に存在したとされるものは字夫婦塚と字宮山の2ヶ所が知られていますが、江戸時代の地誌などによると創建の由緒で語られる夫婦塚は前者のようです。いずれの地誌も字夫婦塚の夫婦塚が何故大伴黒主の墓であるかという由緒を記していないようで、大伴黒主と当地の関係は不明です。なお、どちらの夫婦塚も現存していないようです。

一方、周辺に大伴氏ゆかりの地とされる大伴村があり、当社南側に有力豪族の墓と思われる古墳群なども確認されることから、古代豪族大伴氏の伝承と平安時代の歌人として有名な大伴(大友)黒主が結びついて、2つの古墳が黒主夫妻の墓「夫婦塚」として呼ばれるようになった可能性も考えられています。

南河内で大伴氏に関連する大きな神社としては、藤井寺市にある式内社伴林氏神社があります。

祭礼

10月の第3金・土・日曜日に秋祭りが行われ地車(だんじり)の曳航や宮入りなどがあります。だんじり小屋は神社の下に建つ山中田町会館のさらに下にあります。

大伴黒主神社(富田林市)
神社下にある地車庫

秋祭りの日程は合祀先であった美具久留御魂神社や近隣の板茂神社壹須何神社建水分神社と同じですが、大伴黒主神社に宮入りするのは山中田地区のみのようです。

境内

現在の大伴黒主神社は、寛弘寺古墳公園や西大寺山古墳群などのある丘陵地北端のやや西寄りに鎮座しています。かつての山中田集落の中心は佐備川の東岸の川縁だったので少し離れた場所といえます。旧社地は少し南の山中田墓地付近とも。

大伴黒主神社(富田林市)
斜面の中腹に見える鳥居

現在は丘陵上の北部にかがり台という住宅街が開かれており、山中田側の斜面には長いコンクリートの壁があり、緑色を背景とした壁画が描かれています。その壁画の北の端に山中田のだんじり小屋があり、その前から北東に向かって舗装された上り坂があります。

大伴黒主神社(富田林市)
参道入口

坂を上ると広場になっていて、前方の石垣の上に鳥居が見えます。なお、鳥居の向かいには山中田町会館があります。

大伴黒主神社(富田林市)
鳥居

参道入口の階段を上ると「黒主神社」の額が架かった石の鳥居が建っています。当社の社殿や鳥居はほぼ南西を向いています。

大伴黒主神社(富田林市)
境内の様子

鳥居をくぐると石畳の参道の先に社殿が見え、途中に2対の石燈籠と1対の狛犬が配されているのがわかります。

大伴黒主神社(富田林市)
手水鉢

手水鉢は右側の最初の燈篭手前にあります。

大伴黒主神社(富田林市)
本殿

柵で囲われた本殿の手前に拝所が設けられています。

大伴黒主神社(富田林市)
本殿右側の参道

本殿に向かって右側には奥に続く参道があり、本殿よりさらに右奥に小さなお社が見えます。こちらが牛瀧堂のようです。

大伴黒主神社(富田林市)
牛瀧堂

牛瀧堂といえば、「堂」と付くので南河内では観心寺の牛滝堂のように仏教寺院を連想しますが、こちらは昭和32年に大伴黒主神社が美具久留御魂神社から復社した際に、山中田の住人宅に祀られていた牛瀧堂が摂社として境内に祀られたそうです。牛は農耕の神として信仰されており、この牛瀧堂内には牛の形代があるそうです。

大伴黒主神社(富田林市)
牛瀧堂の狛犬

現在の境内にある石造物の中では、この牛瀧堂の前にある狛犬が最も古い印象です。

大伴黒主神社(富田林市)
境内の石造物

振り返ってみると、現社地に遷座した年月を示す、鳥居や燈篭、狛犬に彫られた「平成十三年五月吉日」という銘が見えました。

境内は幅約10m、奥行き約25mでそれほど広くありませんが、綺麗に手入れされており、今も地元の人々によって大切に守られている神社という印象でした。

アクセス

国道170号(旧道)「本町」交差点から南東に進み、石川に架かる金剛大橋を渡り府道705富田林五條線を直進します。佐備川を越え約550m進むとメインの道路はY字路になりますが、右に「山中田町会館」の案内看板があるのでその矢印通りに右折します。さらに道なりに180mほど進むと左手に町会館の看板が見えるので左折して住宅街に入り、すぐに右折、さらに左折します。少し進むと正面に壁画やだんじり小屋が見えてくるので、だんじり小屋の前を左に進み坂を上ると大伴黒主神社下の町会館前に着きます。町会館前などに少し広場がありますが駐車可能かは不明です。


大伴黒主神社(富田林市)
山中田町会館の看板

公共交通機関では近鉄長野線「富田林」駅から金剛バスで楠徳寺前の「大伴」バス停下車。40mほど南の信号を右に曲がり府道705号に入り、約130m進むと左斜め前方に入る細い道があるのでそちらに入り、前出の通り山中田町会館の案内看板通りに進みます。

Otomonokuronushi Shrine(Tondabayashi City,Osaka Prefecture)


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ


コメント