蕃所山古墳(藤井寺市) ・住宅街の中の環状交差点に残された古墳

蕃所山古墳

2018年12月訪問
蕃所山古墳(ばんしょやまこふん)は大阪府藤井寺市藤ヶ丘にある古墳です。古市古墳群を構成する古墳の一つで、同古墳群最大の応神天皇陵(誉田御廟山古墳)のすぐ近くにあり、小さな円墳ながら国の史跡に指定されています。

蕃所山古墳(藤井寺市)
蕃所山古墳(藤井寺市)

藤井寺市南部の住宅街の中にあるラウンドアバウト(環状交差点)の中心部に存在する小山のように見えますが、南河内で言うと同じ藤井寺市内にある赤面山古墳や太子町の太平塚古墳と同様に、とても変わった場所にある古墳としても知られています。



歴史と概要

現在の蕃所山古墳は住宅地の中の円墳として周囲を道路で囲まれる形で保存されています。藤井寺市のホームページなどによると、蕃所山古墳の直径は約22m、高さ約3mとなっており、「モッコ塚」とも呼ばれています。この別名については、応神天皇陵築造時に使用したモッコなどの道具をこの塚に埋めたとの伝承からこう呼ばれるようになったといわれています。

本来はもう少し大きな古墳だったと考えられていますが、周囲の本格的な発掘調査が行なわれていないため正確な墳形や周濠の有無などは確認されていません。立会調査では隣接する道路の一部に深い掘り込みがあったことが確認されているので、これが濠の一部である可能性もあるそうです。

墳丘では埋葬施設や副葬品は見つかっていませんが、僅かに円筒埴輪の破片が採取されており、そこから築造時期は5世紀後半と考えられています。なお、蕃所山古墳は近くにある応神天皇陵の陪塚ではなく、単独で造られた小型の古墳と考えられています。

蕃所山古墳(藤井寺市)
説明板

昭和30年代の初め頃までは応神天皇陵のそばにある、周囲を田んぼに囲まれた小さな塚だったようですが、その後付近に藤ヶ丘の住宅地が整備されました。古市古墳群に限らず、古墳が次々と消滅していく時代でしたが、こちらでは蕃所山古墳の周りには道路が作られ古墳を中心とした環状の交差点(ラウンドアバウト)として残されたようです。

平成13年(2001年)1月29日に古市古墳群の貴重な小型古墳の一つとして国史跡に指定されました。百舌鳥・古市古墳群は令和元年(2019年)7月6日に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されましたが、当古墳はそのリストには入っていません。

古墳の現状

蕃所山古墳は藤井寺市と羽曳野市の境界線付近、国道170号(外環状線)から少し北西に入った静かな住宅地の中にあります。

蕃所山古墳(藤井寺市)
南から

蕃所山古墳を中心とした環状交差点には、東西南北の4方向から道路がつながっていて、この古墳を中心に街が造られたような印象をも受けます。

蕃所山古墳(藤井寺市)
東から

少し遠くからでもわかる直径22m、高3mの塚の周囲には柵がめぐらされています。

蕃所山古墳(藤井寺市)
北から

北側の柵の内側には説明板が立てられています。

蕃所山古墳(藤井寺市)
西から

西側にも小さいながら、この塚が国の史跡に登録されている蕃所山古墳であることを記した看板がありました。

蕃所山古墳(藤井寺市)
冬季の墳丘の様子

古墳内は立入禁止ですが、墳丘の様子を間近で見ることができるのでそばに行ってみると、表面には葺石などは見えず、草木が生えた状態になっています。


巨大古墳が注目される古市古墳群ですが、付近にはこの様な小さな古墳が相当数あったようで、蕃所山古墳から住宅街の中を北に100mほど行くとサンド山古墳があります。なお、応神天皇陵の拝所から当古墳へは西に徒歩で500mほどの距離となっています。

アクセス

公共交通機関では、近鉄南大阪線「藤井寺」駅南口から近鉄バスに乗り「藤ヶ丘」バス停下車。すぐ南の郵便ポストやアイセルシュラホールの看板のある交差点から北東に向かい、約280m進みサンド山古墳の先の交差点を右折すると100mほど先に蕃所山古墳があります。

国道170号(外環状線)「藤ヶ丘2」交差点から西に約80m進み右折すると30mほど先に、あるいは交差点から北に約40m進んで左折すると60mほど先に蕃所山古墳があります。車の場合、近くには駐車場がないので、前出の「藤井寺」駅か「古市」駅付近でコインパーキングを利用し、「藤井寺」駅寄りでは葛井寺辛國神社仲哀天皇陵、「古市」駅寄りでは応神天皇陵誉田八幡宮赤面山古墳などと一緒に見学・参拝すると良いかもしれません。

Banshoyama Mounded Tomb(Fujiidera City,Osaka Prefecture)


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