サンド山古墳
2018年12月訪問
サンド山古墳(さんどやまこふん)は大阪府藤井寺市藤ヶ丘にある古墳です。古市古墳群を構成する古墳の一つで、同古墳群最大の古墳である応神天皇陵(誉田御廟山古墳)の北西に広がる藤ヶ丘の住宅地の中にあり、隣にはポケットパークが作られるなど、身近に歴史を感じられる古墳の一つといえます。
サンド山古墳(藤井寺市) |
同じ住宅街には国の史跡に指定されている蕃所山古墳もありますが、こちらのサンド山古墳は「応神天皇恵我藻伏崗陵へ号陪塚」に治定されています。
歴史と概要
サンド山古墳は、古市古墳群で最も大きい応神天皇陵の北西端から250mほど北西にある小さな古墳です。現状は北東と南西の二つの塚からなり、藤井寺市のホームページなどによると長軸長約30m、高さ約3mで、双円墳、あるいは前方後円墳のようにも見えますがかなり改変されているとみられ、もとの大きさや形は不明です。
前出の蕃所山古墳同様に、サンド山古墳も昭和30年代の初め頃までは周囲を田んぼに囲まれた道路わきの小さな塚だったようですが、周辺に藤ヶ丘の住宅地が整備され現在に至ります。
令和元年(2019年)7月6日の第43回世界遺産委員会にて、百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録されましたが、サンド山古墳は世界遺産登録リストには入っていません。
宮内省時代の石標 |
敷地の中央付近に、宮内庁の前身である宮内省時代の「應神天皇恵我藻伏岡陵倍塚 宮内省」、「猥リニ兆域内ニ立入ル事ヲ禁ス」と彫られた石標が建っており、サンド山古墳が応神天皇恵我藻伏崗陵へ号陪塚として管理されていたことを物語っています。天皇陵の陪塚とされたことからサンド山古墳は破壊を免れましたが、一方で詳しい発掘調査などは行われておらず、埋蔵施設や副葬品など不明な点は多いままとなっています。しかしながら、少量の円筒埴輪が採集されており、それらから築造時期は5世紀後半と推定されています。
サンド山古墳の100mほど南には蕃所山古墳があり、こちらは住宅街のラウンドアバウト(環状交差点)の中心部に保存され説明板も設置されています。また、藤が丘町1丁目のサンド山古墳から南西に約200mの藤ヶ丘町2丁目には、かつて直径20mほどの円墳、サンド山2号墳(はざみ山2号墳)があったことが発掘調査でわかっています。
さらに、サンド山古墳から250mほど南の美陵(みささぎ)ポンプ場付近には直径約22mの円墳である藤の森古墳と、墳丘長約53mの前方後円墳、蕃上山古墳がありましたがこちらも外環状線や美陵ポンプ場建設時に消滅しています(藤の森古墳の石室は藤井寺市立生涯学習センターアイセル・シュラホール前に展示)。
5世紀~6世紀前半に造られたこれら応神天皇陵北西の古墳は、古市古墳群の中では小型ですが、巨大な前方後円墳の陪塚ではなく一定のまとまりをもって限られた範囲内に造られた小規模な古墳群と考えられているそうです。
古墳の現状
羽曳野市誉田と藤井寺市藤ヶ丘の境界線となっている王水川に架かる境橋(さかいばし)から80mほど西に進むと、交差点の角に少し緑が見えてきます。これが「藤ヶ丘・山道 ポケットパーク」で、その向こうにサンド山古墳があります。
中央部を南より望む |
サンド山古墳の兆域は30m四方ほどの一角に収まっており、藤ヶ丘会館がある北西側以外から見学することができます。
北東の墳丘を東から |
応神天皇陵の陪塚ということで、それほど高くはありませんがフェンスで囲われているので立ち入ることは出来ません。
南西の墳丘を東から |
二つの墳丘を合わせてもそれほど大きな古墳ではありませんが、大きな木も生えていないので現在の古墳の状態を確認しやすいです。
南西の墳丘を南から |
墳丘に上ることはできませんが非常に近い距離で古墳を見ることができるので、蕃所山古墳はもちろん、応神天皇陵や仲津姫命陵(仲津山古墳)、仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)などの大型古墳巡りの際のコースに加えるのも良いかと思われます。
アクセス
公共交通機関では、近鉄南大阪線「藤井寺」駅南口から近鉄バスに乗り「藤ヶ丘」バス停下車。すぐ南の郵便ポストやアイセルシュラホールの看板のある交差点から北東に向かい、約270m進むと左手にあります(その先の交差点を右折すると100mほど先に蕃所山古墳があります)。
国道170号(外環状線)「西古室」交差点からは西に約200mです。
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