佐備神社(富田林市) ・天太玉命と多くの神様を祀る式内社

佐備神社

2020年7月訪問
佐備神社(さびじんじゃ)は大阪府富田林市大字佐備にある神社です。平安時代に記された「延喜式神名帳」に河内国石川郡9座のうちの一つとしてその名が記載された、いわゆる式内社(小社)で、明治時代以降の旧社格制度では村社に列格していました。

佐備神社(富田林市)
佐備神社(富田林市)

石川右岸(東岸)の富田林市の南東部、平野部から山間へと広がる東條地区の入口にあたる佐備の産土神で、石川の支流である佐備川沿いの府道から見ると小高い山の上に鎮座しているように見えます。富田林市街からはすぐですが、佐備神社周辺には豊かな自然が残っています。


歴史と概要

社伝によると、佐備神社の創建は第55代文徳天皇の御代である天安2年(858年)正月とされています。江戸後期の享和元年(1801年)に刊行された「河内名所図会 二」にも「延喜式内社」としてその名が掲載されていることから、南河内地域の名所の一つであったと思われます。

主祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)となっています。天太玉命は布刀玉命や太玉命とも表記される神様で、忌部氏(後の斎部氏(いんべうじ))の祖神とされています。日本神話の天岩戸(あめのいわと)神話に登場し、中臣氏の祖神である天児屋命(あめのこやねのみこと)と共に天照大神を呼び戻す儀式を行いました。天孫降臨の際には、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に従って天降るよう命じられ、五伴緒(いつとものお)の一人として随伴したとされています。

佐備神社から3kmほど南にある甘南備地区には産土神で式内社の咸古佐備神社(かんこさびじんじゃ)があり、こちらでも天太玉命を主祭神として祀っていたことから(神狭日命との説も)、この地域は忌部氏(斎部氏)と深いつながりがあったのかもしれません。なお、咸古佐備神社は明治時代に佐備と甘南備の間にある龍泉の式内社、咸古神社(こんくじんじゃ、かんくじんじゃ)に合祀されました。

佐備神社には主祭神の天太玉命以外にも多くの神様が祀られています。佐備神社の本殿は千鳥破風と唐破風の付いた三間社流造ですが、文献では天太玉命と松尾大神の神名しか書かれておらず、もう1座の御祭神が不詳でした。しかし、寛文6年(1666年)の修理木札に「左松尾大明神 右春日大明神」と記されていたことが判明したため改めて御祭神に春日大神が加えられ、現在は主祭神として天太玉命、左相殿に松尾大神、右相殿に春日大神が祀られています。

本殿に向かって左側には摂社で素盞鳥命を御祭神とする天神社がありますが、こちらは元々嶽山の龍泉山城(嶽山城)にあった「大将軍祠」と呼ばれた城の鎮守で、楠木正成が勧請したものとされています。なお、天神社の社殿には水分神社(祭神:葛城三十八社神)も祀られています。さらに、末社としては、諏訪神社(信濃国一ノ宮)、橦賢木神社、籠守神社(丹後国一ノ宮)、寒川神社(相模国一ノ宮)、加茂神社(山城国一ノ宮)、菅原神社、妙見宮などが祀られています。

佐備神社(富田林市)
鳥居と御神木

佐備という地名については、鉄を意味する古語の「サビ」を語源としている説や、佐味朝臣(佐味氏)に関係するという説もあるようですが正確なことはわかっていません。佐味氏は東国六腹朝臣(あづまのくにむつはらのあそみ)と呼ばれる、毛野地域(後の上野国と下野国、現在の群馬県と栃木県付近)出身6氏族の一つで、出自は第10代崇神天皇の皇子である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)とされます。

佐備神社の鎮座地はかつて河内国石川郡佐備郷と呼ばれ、明治の初めまでは石川郡佐備村でした。明治22年(1889年)の町村制施行により、佐備村は同じ石川郡竜泉村、甘南備村と合併し東条村が発足しました。明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡に変更。当時の鎮座地住所は南河内郡東條村大字佐備字馬場となっています。その後、昭和32年(1957年)に東条村は富田林市に編入され現在に至ります。

明治5年(1872年)に旧社格制度の村社に列格し、大正元年(1912年)に神饌幣帛料供進社に指定されています。明治時代には字中佐備にあった天神講によって建てられた天満宮を合祀しましたが、この天満宮は大正時代までに再建されているようです。

●佐備神社ホームページ(新) →https://sabijinja.site/

●佐備神社ホームページ(旧) →http://www.naniwakagura.sakura.ne.jp

祭礼と神楽

佐備神社には様々な年中行事が執り行われますが、4月の「神楽祭」が有名なようです。ホームページによると、京阪神各地の神社には巫女神楽として様々な形式の「浪速神楽」が伝わっていますが、佐備神社では「冨永流浪速神楽」として約28座を伝承しています。これらの奉納される浪速神楽をまとめて太々神楽と称し、戦前には神社の御祭礼日に一日かけて奉奏されていたそうです。

10月の秋祭りでは上佐備、中佐備、下佐備からそれぞれ地車(だんじり)が出て、南側の坂を上って宮入するようです。

境内

佐備神社は、石川の支流である佐備川左岸(西岸)の河岸段丘上に鎮座しています。

佐備神社(富田林市)
玉垣が並ぶ東側の道路

府道201号甘南備川向線沿いの集落の西側に玉垣が並ぶ道路があります。

佐備神社(富田林市)
東側の鳥居

玉垣が並ぶ道路の北端付近に入口の鳥居や社号標があります。佐備神社の本殿や鳥居はほぼ真東を向いています。

佐備神社(富田林市)
鳥居と石段

佐備神社は丘の上にあるので、下の鳥居からは少々長い石段を上ることになります。なお、神社の北側と南側にも入口はあります。

佐備神社(富田林市)
石段改修碑と立札

鳥居の左手には保存樹林指定標識があり、佐備神社の林が富田林市によって保存樹林に指定されていることがわかります。また、保存樹林の立札の隣には「石段改修」を記した碑も立っています。

佐備神社(富田林市)
鳥居下の狛犬

鳥居をくぐると、当社の名物となっている比較的新しい狛犬があります。こちらは平成11年(1999年)にお目見えした「獅子っ子」と呼ばれる狛犬です(厳密には狛犬ではない?後述)。かなり独特な姿で、参道の入口側ではなく本殿側、石段の上を向いています。

佐備神社(富田林市)
左側の狛犬

左側の狛犬は口を開いた「阿形(あぎょう)」で、立ち上がっていて石段を上りだしそうな勢いです。

佐備神社(富田林市)
右側の狛犬

右側は口を閉じた「吽形(うんぎょう)」で、こちらは屈んで石段の上を睨みつつ今にも跳び上がりそうなイメージとなっています。

佐備神社(富田林市)
長い石段

狛犬が見上げる石段の先には建物があり、結構上の方にあるように見えます。

佐備神社(富田林市)
石段の先にある建物

石段の上の方まで来ると、割拝殿のような建物が門のように建っているのがわかります。また、石段の上の左右の石垣の上には石燈籠もあります。

佐備神社(富田林市)
上の狛犬と百度石

石段を上りきった左側には、下の鳥居の方に視線を向ける狛犬というより獅子のような石像があります。これは下の狛犬より大きいので親のようでもあり、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」や「獅子の子落とし」といった言葉を連想させます。ちなみに、「獅子の子落とし」の出典は太平記で、楠木正成が嫡男の楠木正行に言い遺した言葉にあったそうです。

なお、狛犬については、飛鳥時代頃に日本に伝わったとされ、当初は獅子だったようです。もともと左右の姿に差異はありませんでしたが、平安時代になって異なる外見を持つようになったと考えられています。一般的には、向かって右側が口を開けた「阿形」の獅子、左側が口を閉じた「吽形」で、こちらが狛犬だったようです。古くは狛犬に角がありました。時代が下ると簡略化され、外見上の差異は口の開き方のみで、どちらも狛犬と呼ばれるようになって来たようです。

佐備神社(富田林市)
割拝殿内の天井

こちらの建物は割拝殿のようで、中央の通路には百度石が置かれ、天井には歴史のありそうな絵馬が多数架けられています。

佐備神社(富田林市)
本殿前の境内

割拝殿の通路を抜けると広場になっており、その先に本殿をはじめとした社殿、そしてその手前の門や塀などが見えます。

佐備神社の本殿や参道、鳥居などは東を向いていますが、本殿に向かって左には南側の入口、右には北側の入口があります。

佐備神社(富田林市)
本殿側から見た拝殿

ここで振り返って拝殿を見ると、その全貌がよくわかります。神楽祭では本殿とこの拝殿との間に舞台が設けられるようです。

佐備神社(富田林市)
南側の階段

南側の入口は「佐備」交差点から西へ真っ直ぐ坂を上ると、途中の右側に階段があります。

佐備神社(富田林市)
手水舎

南側から境内に入ると社務所などがあり、その先に手水舎があります。

佐備神社(富田林市)
手水鉢

手水舎は東側の鳥居、石段、拝殿を通って来るより、南側から参拝した方がわかりやすい位置にあります。

佐備神社(富田林市)
南側から見た境内

佐備神社は丘の上にありますが、本殿周辺は平坦で多くの木々に囲まれています。

佐備神社(富田林市)
本殿前の拝所

改めて本殿前に進むと、西側の門と塀で隔てられた本殿側に多くの建物などがあることがわかります。ちなみに、本殿前にも一対の狛犬がありますが、こちらは文政9年(1826年)のものです。
佐備神社(富田林市)
本殿

佐備神社の本殿は少々色あせているようですが、もともとはかなり鮮やかな色合いの荘厳な社殿だったことが窺えます。ホームページによると、化粧棟に「上棟文化五戌辰十」(1808年)とあるそうです。

さらに大棟木には「?造営建長八年?四月??棟上」(1256年)とあり、腐敗がひどく一部文字は消滅して判読が難しい状態ながら、修繕時にこの文字が記されている部分を切残し再び使用することで建立の年代を後世に伝えようとする意図があったと考えられています。

これらのことから、本殿は鎌倉時代から修理を重ねながらも地域の人々によって大切に残されて来たと感じられます。

佐備神社(富田林市)
天神社前の拝所

本殿に向かって左側にも拝所があり、その奥にも立派な社殿があります。

佐備神社(富田林市)
天神社・水分神社

こちらは天神社で、嶽山城(だけやまじょう)にあった「大将軍祠」と呼ばれた城の鎮守をこちらに移したものとされ、御祭神は素盞鳥命となっていまが、天神社の社殿には葛城三十八社神を御祭神とする水分神社も祀られています。

佐備神社(富田林市)
石燈籠

境内には江戸時代の燈籠がいくつか残っていますが、その中には「太玉尊」と彫られた珍しいものがあります。

佐備神社(富田林市)
石燈篭

他にも「三十八社」と刻まれた燈籠がありますが、こちらは佐備神社の摂社である水分神社(葛城三十八社神)の燈篭と思われます。「三十八社」や「三十八所」と数字を冠した名の付く神社は全国に多数あり、「多くの神々を祀った神社」ということのようです。南河内では広国神社でも見られました。

佐備神社(富田林市)
顕彰碑

本殿に向かって右側には東寅吉氏を称える「東寅吉翁頌徳碑」があります。

佐備神社(富田林市)
多数の小祠

佐備神社には本殿と天神社の社殿がありますが、その周辺にはそれ以外の神様を祀ったと思われる祠が多数見られます。

佐備神社(富田林市)
本殿右手の祠

これらの祠は全て塀の向こう側にあり詳細は不明ですが、同じ形で全て石組みの台座の上に祀られているようです。

なお、北側の入口に最も近いと思われる南向きの祠には「妙見大明神」の石標があることがわかります(妙見信仰は北極星または北斗七星を神格化した信仰)。


佐備神社の2kmほど南南西にある龍泉寺のそばには石川郡の式内社である咸古神社があり(式内社咸古佐備神社も合祀)、佐備神社から約1.5km東には、こちらも式内社である鴨習太神社が鎮座しています。その他、板茂神社板持厳島神社彼方春日神社といった神社が1km前後の距離にあります。

さらに、有名な滝谷不動尊(瀧谷不動明王寺)が900mほど南西に、住宅街の中の古墳である彼方丸山古墳が約700m北西に、「重要美術品」の十三重塔が1.1kmほど北東にあるなど、周辺は神社仏閣や史跡が豊富なエリアといえます。

アクセス

公共交通機関では、近鉄長野線「富田林」駅から金剛バスに乗り「下佐備」バス停下車。バス停が「佐備」交差点にあるのでそのまま西に進み20mほど先の十字路を右折し玉垣の下の道を約70m北に進むと左側に鳥居と石段があります。

佐備神社(富田林市)
「佐備」交差点(神社は右手)

国道309号「板持南」交差点からは府道201号を南に進み、約800m先の「佐備」交差点を右に。20mほど先の十字路をさらに右折し、玉垣の下の道を約70m北に進むと鳥居と石段があります。

鳥居の右手の坂を上った所にある下佐備会館前には神社北側からの入口もあります。また、「佐備」交差点から西に50mほど進むと右手に神社南側入口の階段があり、さらに坂を少し上ると右に車で社務所前まで入れる道がありますが、駐車場は2,3台分です。

Sabi Shrine(Tondabayashi City,Osaka Prefecture)


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

コメント