【街歩き】板持十三重塔 板持厳島神社(富田林市) ・東板持にある鎌倉時代作と考えられる石塔と鎮守社

東板持地区

2017年10月訪問
大阪府富田林市の中心だった寺内町(じないまち)から石川を挟んだ南側一帯が板持地区です。板持地区は西板持町と東板持町・東板持に分かれていますが、今回は旧東板持村の集落があった東板持町周辺を歩いてみました。


板持十三重塔

板持十三重塔(いたもちじゅうさんじゅうのとう)は大阪府富田林市東板持町にある石塔です。高台の上に造られた寿美ヶ丘という住宅地にある墓地の中で、ひときわ高くそびえるのがこの十三重の石塔で「十三重層塔」などとも呼ばれています。

板持十三重塔(富田林市)
板持十三重塔(富田林市)

戦前に制定された「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」によって、昭和10年(1935年)5月20日に重要美術品(旧法)に認定されています。



歴史・概要

現地の説明板によると、このような石塔は多層塔や多重塔とも呼ばれ、個人や集団がそれぞれの願いを塔に託して建立したもので、十三重以外にも三重、五重、七重といった奇数に造られています。調べたところ、国指定重要文化財クラスの十三重石塔は広島県や熊本県、香川県などにもあるようです。


板持十三重塔(富田林市)
板持十三重塔の説明板

こちらの板持十三重塔は花崗岩で造られ、その高さは4mを越えます。塔自体の重さにより礎石は半ば地面に埋没していますが、基礎石にわずかに残る銘文には「文保(ぶんぽう)三年(1319年)巳末」という文字が読み取れ、構造の特徴からも鎌倉時代後期の作と考えられています。

板持十三重塔(富田林市)
十三重塔の基礎部分

ここは楠木正成ゆかりの千早赤阪村にも近く、文保3年(1319年)という年代も正成の活躍する時代の直前であることから、この石塔の造立に楠木氏に関係する有力者が関わっていた可能性も十分あるようです。

板持十三重塔(富田林市)
橙色のペンキの跡?

大正6年(1917年)に刊行された「郷土史の研究」には、「塔の心柱は或いは金ならんかと伝傳(いいつた)へたり」と、塔の中心の柱にまつわる黄金の言い伝えが記載され、第二次世界大戦後にこの地に進駐してきた米軍が、公民館の建築と引き替えにこの石塔をアメリカへ持ち帰ろうとした逸話なども残されています。

現在、十三重石塔には全体的に橙色のペンキ?で塗られたような跡が見て取れます。

板持十三重塔(富田林市)
富田林中心部を一望できる立地

この石塔の建つ墓地は、かつて板持城が築かれたとされる場所から続く高台の上なので、富田林市街などが良く見渡せます。

板持十三重塔(富田林市)
旧法にて重要美術品に指定

●富田林市ホームページ 板持共同墓地「十三重層塔」 →https://www.city.tondabayashi.lg.jp/site/bunkazai/2542.html

●富田林きらめきミュージアム 十三重塔 →https://www.tondabayashi-city.jp/museum/search/detail/?pkId=37

板持厳島神社

板持厳島神社(いたもちいつくしまじんじゃ)は大阪府富田林市東板持町にある神社です。寿美ヶ丘住宅地の西端付近、板持十三重塔からは直線距離で150mほど南西に鎮座しています。

板持厳島神社(富田林市)
板持厳島神社(富田林市)

歴史と概要

詳しい資料が見つからず、現地に説明板も無かったので、板持厳島神社の創建年代は不明ですが、大正時代に発刊された「大阪府全誌」などから、明治40年(1907年)10月19日に現在の南河内郡千早赤阪村水分にある建水分神社に合祀された旧河内国石川郡東板持村の産土神である厳島神社が当社と思われます。明治44年(1911年)発行の地図にはまだこの場所に神社のマークがありました。

現在の東板持はかつての石川郡東板持村でしたが、現西板持町は錦部郡板持村でした。錦部郡板持村は板茂神社を、石川郡東板持村はこちらの板持厳島神社を産土神としていましたがいずれも明治の末に建水分神社に合祀されています。現在の祭礼では、西板持は板茂神社、東板持は建水分神社(比叡の前)にだんじりが宮入するようです。

板持厳島神社(富田林市)
春は桜の名所となる境内

なお、石川郡東板持村は明治22年(1889年)に周辺の村々と合併して大伴村の一部となり、明治29年(1896年)に所属郡が南河内郡になりました。この頃の当社鎮座地は南河内郡大伴村大字板持字宮山となっています。旧社各制度では村社。さらに昭和17年(1942年)に大伴村は富田林町、新堂村、喜志村、川西村、彼方村、錦郡村と合併し富田林町の一部となり、昭和25年(1950年)に富田林町は富田林市となりました。

板持厳島神社(富田林市)
南から見た社殿(参道は左下から)

以上のことから、ここは厳島神社の旧社地に祠が建てられたものかと思われますが、合祀後に正式に復社したのかは不明です。

御祭神は厳島神社ということで市杵島姫(いちきしまひめ)神と考えられます。ちなみに、板持の厳島神社から2kmほど南西、滝谷不動尊の近くにある彼方の春日神社境内社には姜女竜王(善女竜王?)を祀る厳島神社があるようです。

また、東板持集会所前の佐備川に架かる橋には「厳島橋」という名が付けられていました。

板持厳島神社は神職不在神社です。

境内

現在は東板持町の高台の上にある寿美ヶ丘という住宅地の西の端にある神社、という印象もありますが寿美ヶ丘は第二次大戦後に開発されているので、本来は佐備川の右岸(東岸)、古くからの東板持集落の南端の高台の上に鎮座している神社、という方が正しいと思われます。

板持厳島神社(富田林市)
参道からの景色(2020年11月)

寿美ヶ丘への坂の下にある隧道から60mほど北に厳島神社への参道があります。

板持厳島神社(富田林市)
左が神社(2020年11月)

東板持の集落から参道の坂道を上ると、左手に神社への石段、右手に寿美ヶ丘に通じる歩道に分かれています。

板持厳島神社(富田林市)
灯籠と社殿(2020年11月)

神社への石段を上ると一対の石灯籠があり、その先に少し細い灯籠と本殿が見えます。

板持厳島神社(富田林市)
覆屋内の本殿(2020年11月)

覆屋の中に鎮座する本殿は一間社流造で、台は煉瓦造りとなっています。

板持厳島神社(富田林市)
「武運長久」(2020年11月)

本殿のすぐ前にある細い灯籠には「武運長久」と彫られていることから奉納された時代が感じられます。

板持厳島神社(富田林市)
大峰講の石碑?(2020年11月)

厳島神社の南側は、先ほどの寿美ヶ丘への歩道とつながる小さな公園(広場)となっており、春は桜が美しいようです。

広場の西側には倉庫のような建物がありますが、その側には厳島神社との直接の関係は不明ですが、いくつかの石造物が置かれています。中でも倒れている石碑は大峰山参詣(大峰講・大嶺講)に関するもののようで「三十三度記念」などと刻まれているようでした。

アクセス

板持十三重塔、厳島神社ともに駐車場は無いようです。公共交通機関では近鉄長野線「富田林」駅から金剛バスに乗り「板持」バス停下車。少し北に戻り信号のある交差点を右(東)に入ります(逆には郵便局あり)。道なりに進み佐備川にかかる高橋を渡り、坂を上ると寿美ヶ丘町の住宅案内図のある突き当りなので左折。すぐ左手に厳島神社があるので裏手から広場に入れます。

十三重塔へは住宅案内板の突き当りを左折、すぐに右にカーブしているのでそのまま進み、二つ目の角を左に曲がります。少し進むと右手に共同墓地が見えてくるので少し下り、右手に現れる墓地への坂を上ると右に十三重塔があります。

付近に駐車場は見当たりませんが、車で近くまで行くには国道309号の「板持南」交差点を北に入り、(押しボタン式含め)二つ目の信号が前述の「板持」バス停近くの交差点なので右折し直進すると住宅案内板のある突き当りとなります。

経路上に案内板などはほとんど見かけませんでしたので地図で確認しておいた方が良いです。

約500m北には板茂神社、1.3kmほど南西には彼方丸山古墳がある他、式内社の佐備神社が南南西約1kmに、鴨習太神社が1.4kmほど南東にあります。

Itamochi Stonetower/Itsukushima Shrine(Tondabayashi City,Osaka Prefecture)


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