金比羅大神宮
2020年10月訪問
金比羅大神宮(こんぴらだいじんぐう)は大阪府羽曳野市古市にある神社です。水運や航海の神として崇敬される「こんぴらさん」を祀る当社は、南河内を南北に貫く石川のほとりに鎮座する神社で、周辺は竹内街道や東高野街道といった歴史的な街道が交わる交通の要衝となっています。
金比羅大神宮(羽曳野市) |
古市地区は羽曳野市の中心付近にあり、その名はユネスコの世界文化遺産にも登録された「百舌鳥・古市古墳群」でも知られており、周辺には巨大な前方後円墳など数多くの古墳があります。
歴史と概要
古市の金比羅大神宮の正確な創建年は不詳です。社号標には「金比羅大神宮」とありますが説明板には「金刀比羅神社」とあります。
金刀比羅宮といえば、四国讃岐の「金比羅さん(こんぴらさん)」こと金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)が有名ですが、「ことひら」と名の付く(漢字は琴平、事比羅、金比羅など)神社は、讃岐の金刀比羅宮を総本宮として全国に600社ほどあるようです。これら「ことひら」神社の主祭神は大物主神であることから、この古市の金比羅大神宮も大物主神を祀っていると思われます。
こんぴらさん(金毘羅大権現)は水運や漁業の神、航海の神として船員の安全を守ると崇められましたが、江戸時代頃になるとこのような金毘羅信仰は商人や水運業者によって日本中に広められ、その分社は全国各地に作られました。
江戸時代の村々には「講(こう)」と呼ばれる集団が組織されていることが多く、三重県伊勢市にある伊勢の神宮に参る伊勢講、京都府京都市右京区にある愛宕神社に詣でる愛宕講、奈良県南部にある大峰山に登る大峰講、そして讃岐の金刀比羅宮に参拝する金毘羅講(琴平講)が知られています。当時は旅に出るのも大変な時代でしたが、このような講ではその構成員から集めた積立金を旅費に充て、数人を代参者として聖地に順次派遣するなどしていました。
この古市は竹内街道や東高野街道が交わる交通の要衝でしたが、そこに金比羅大神宮が勧請された背景には、江戸時代の当地は陸路だけでなく石川を使った水運業が盛んだったことが挙げられます。当時、旧大和川をはじめ寝屋川、恩智川、平野川などの川では船の先端部(舳先)が剣のように尖った「剣先船」と呼ばれる船が活躍していました。剣先船は全長20m前後、幅約2m、深さ約0.5mほどの大きさで、積載量は最大3トンほどあり主に貨物の運搬に用いられていたようです。
説明板 |
金比羅大神宮の鎮座する古市は、明治時代の初めまで河内国古市郡古市村でしたが、その産土神は現在の古市駅東側にある白鳥神社なので、こちらの金比羅大神宮は村の鎮守ではなく剣先船の水運関係者が安全を祈願するために勧請したものと思われます。
竹内街道や東高野街道が通る古市地区ですが、石川に近い東町一帯には「河芳楼」と呼ばれた旅籠があり、剣先船関係者や河内木綿関係者が多く居住していたようで、宿場的要素の強い集落であったと考えられています。特に河内木綿や茶、米、旅客を積んで大坂などと行き来する剣先船関係者や商家の人々にとっては、航海安全の神として大変崇敬されていたようです。
現地説明板によると、古市の町内で祀られていた金刀比羅神社は昭和初期に現社地に移転されたそうです。剣先船が姿を消した明治以降も東町の人々は金刀比羅講を有志で結成し、毎年7月10日には祭典を実施している、とあります。また、境内の石碑には昭和39年(1964年)8月15日に大乗川改修のためこの地に移したことが記されています。
なお、古い町並みの残る古市地区の旧市街は東町、西町、南町、北町、中町、堂之内町の六町で構成されています。現在でもそれぞれの町で地車(だんじり)を所有し、産土神である白鳥神社の秋の祭礼時には同神社に宮入りします。
古市の中心部には、竹内街道と東高野街道が交わる四つ辻、「蓑の辻(みののつじ)」がありますが、その少し東に両替商「銀屋」がありました。この銀屋の建物の南側板塀には剣先船の船材を再利用した板が張られていたそうです。
境内
金比羅大神宮の鎮座地は古市地区の南東で、安閑天皇陵の西側から北側に回って西から東に流れる大乗川が、石川の西に平行して流れる用水路?に合流する付近に鎮座しています。
北西から大乗川越しに見た大神宮 |
もう少し詳しく見ると、金比羅大神宮は大乗川の南東側(右岸)に鎮座しているので、古市地区の中心部(北あるいは西)方面から向かうと大乗川を渡って参拝することになります。神社の向こう側には用水路を挟んで石川の堤防、河川敷があります。
社号標と参道入口 |
大乗川に架かる橋を渡ると、正面は羽曳野市水道局・羽曳野市石川浄水場の門と公衆トイレがありますが、金比羅大神宮はその左側にあります。なお、当社とトイレの間の道を抜けると小さな橋があるので、用水路を渡って石川の堤防上まで渡れます(車は通行不可。自転車は押してください)。
鎮座地は水路の合流点内側の三角形のような土地なので正方形ではありませんが、玉垣で囲われた境内はおよそ8m四方といったところでしょうか。参道や社殿は西北西を向いています。
「大乗橋」の石標 |
ちなみに、神社入口の右手には一際大きな社号標のような石標がありますが、こちらには「大乗橋」と彫られているので、金比羅大神宮の北側で石川と平行に北流する大乗川に架けられていた橋の親柱かもしれません。
竹内街道(現在の国道166号)で古市方面から駒ヶ谷や近つ飛鳥を経て大和国(現奈良県)に向かうには大乗川を大乗橋で、石川を臥龍橋で渡りますが、現在の両橋は街道が川にぶつかる地点から約100m(当社から約180m)北にかけられているので、一旦北に迂回するコの字状のコースになっています。
しかし、現在の橋が架けられる前、つまり先代の橋は川の両岸の街道をほぼ最短で結んでいました。つまり、当社の80mほど北に大乗橋と臥龍橋が架けられていたことになります。
なお、江戸時代には橋が架けられておらず、渡し舟で行き来していたということが、かつての大乗橋と臥龍橋の間の堤防上の説明板に書かれています。
手水鉢 |
境内に入ると右手に手水鉢、左手には羽曳野市が設置した「航海の神金刀比羅神社」の説明板がある他、発起人や世話人の名を刻んだ石碑も左右に設置されています。
社殿 |
石畳の参道と短い石段の先には春日造風の社殿があります。訪問時、当社には鳥居や狛犬はありませんでしたが社殿前には石灯篭が一対置かれています。
周辺
古市地区内には金比羅大神宮の他に、産土神の白鳥神社や西念寺、長円寺、西琳寺といった神社仏閣がありますが、他にも地蔵尊などが点在しています。そこで、金比羅大神宮に近い古市地区南部の東高野街道沿いにある興味深い祠を二つご紹介します。
地蔵堂? |
一つ目は、金比羅大神宮から約240m西の東高野街道沿いにある二連の地蔵堂のような建物です。左側は卍が付いているので仏様(地蔵尊?)が安置されているようですが、右側は卍が無いので個人、あるいは講によって勧請された神様が祀られているのかもしれません。
伊勢講によって建てられた祠 |
そこから東高野街道を北に140mほど行くと、街道と平行に南向きに建つ細長い神社のような建物があります。敷地は幅1m少々、奥行き5~6mほどですが、木製の鳥居、参道、立ち並ぶ灯篭があり、最も奥の北側には高床式の社殿が建っています。その中には石造りと思われる本殿が置かれているようです。なお、こちらは標石から伊勢講によって建てられたものとわかります。
アクセス
近鉄南大阪線・長野線「古市」駅の東出入口南側から国道166号(竹内街道)を東に300mほど進み古市六町蓑の辻会館前の「蓑の辻」を右折します。さらに東高野街道を南に約260m進んで高屋橋を渡って左折し、川沿いに250mほど歩くと右手に金比羅大神宮があります。
国道170号(旧道)から向かう場合は「城山北」交差点から東に入り、道なりに400mほど進んで踏切を越えて右折し、約250m進むと右手に当社が見えます。
なお、金比羅大神宮に参拝者用駐車場は無いようです。また、「古市」駅から東の国道166号は西行きの一方通行区間があるため駅方面から車では近付けませんので注意が必要です。
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