持尾磐船神社(南河内郡河南町) ・平石の栂の宮から分祀された持尾の鎮守

磐船神社

2022年3月訪問
持尾磐船神社(もちおいわふねじんじゃ)は大阪府南河内郡河南町持尾にある神社です。磐船神社というと、古事記や日本書紀に登場し物部氏との関係が深い饒速日命(にぎはやひのみこと)の「天の磐船」伝説と共に大阪府交野市私市にある磐船神社が有名ですが、同じ大阪府には同様の言い伝えにより祀られた神社が他にもあります。それが、当社の北にある平石地区に鎮座する磐船大神社で、当社は磐船大神社と密接な関係があるようです。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
持尾磐船神社(南河内郡河南町)

持尾の磐船神社が鎮座するのは平石の磐船大神社と同様に集落からさらに上の山の中で、すぐそばには中世の山城である持尾城がありました。


歴史と概要

現在、当社の表記は「磐船神社」となっていますが、持尾地区の北隣、同じ河南町内の平石地区に「磐船大神社」があることから、当記事のタイトルは「持尾磐船神社」としています。

持尾の磐船神社の正確な創建年は不祥です。御祭神は物部氏の祖神である饒速日命。

平石の磐船大神社の由緒記によると、栂(とが)の木にちなんで「栂の宮(樛宮)」とも呼ばれる磐船大神社は「旧事記(くじき=先代旧事本紀)天孫本記に「饒速日命十種のみたからを奉じ、天磐船に乗りて河内国河上の哮峰(たけるがみね)に天降り給う」とあることから、実際に多数の巨石が斜面に露出する磐船大神社鎮座地を哮峰とし、饒速日命ほか十柱(摂社に豊受大神他五柱)を祀った、とされています。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
「河内ふるさとのみち」地図

持尾磐船神社の鎮座地周辺は明治の初め頃まで河内国石川郡持尾村と呼ばれていましたが、岩舟宮由来記によると平石村と持尾村はもともと一つの村だったものが慶長13年(1608年)に分村したようで、平石の磐船大神社から分祀されたのが持尾の磐船神社とされているようです。

大阪府内で饒速日命を祀る磐船神社としては、磐船大神社の他に前出の交野市の磐船神社、泉佐野市の泉州磐船神社(泉州航空神社)もあります。さらに、同じ河南町内の神山には同じ饒速日命を祀る式内社の鴨習太神社が鎮座しています。


石川郡持尾村は明治22年(1889年)の町村制の施行により、弘川村、上河内村、下河内村と合併して河内村(こうちむら)の大字となりましたが、この際、平石村は加納村、白木村、寺田村と合併して改めて誕生した白木村の大字となっています。明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡に変更。

大正時代の「郷土史の研究」によると、当社は「持尾神社」と表記され、磐船大神社の摂社で御祭神は饒速日命となっています。また、当時の磐船大神社の氏子地区は白木村大字平石と河内村大字持尾(現在はいずれも南河内郡河南町内)となっていることから、持尾の磐船神社は磐船大神社の境外社のような位置付けだったのかもしれません。

毎年10月に執り行われる磐船大神社の秋の祭礼では、平石地区と持尾地区から地車(だんじり)が出て宮入していましたが、持尾のだんじりは平成19年(2007年)をもって曳行休止となったようです。現在、持尾地区集落センター横にだんじり小屋らしき建物がありました。

なお、持尾が属した南河内郡河内村は昭和31年(1956年)に石川村、白木村、中村と合併して現在の南河内郡河南町が発足しています。


持尾磐船神社が鎮座しているのは集落センターから200mほど南東の小高い山の上です。本殿から直線距離で50mほど北西の周囲で最も高い位置に持尾城跡の石碑や説明板、展望台が設置されています。この山は茶臼山や城ヶ塚と呼ばれ、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いた山城とされ、平石氏(平岩氏)が拠って戦ったといわれています。


持尾磐船神社は神職不在神社です。


境内

持尾の磐船神社は持尾城跡展望台への上り口に向かい合う形で鎮座しています。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
道路から見た磐船神社

境内は道路より少し小高い場所となっているので、石灯篭の間にある石段を上って参拝します。こちらの灯籠は向かって左が「太神宮」、右が「岩船大明神」と彫られているようです。

境内は幅10m余り、奥行約20mといったところで、ほぼ西に向いた本殿から、拝殿、鳥居、石段などが一直線に配置されています。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
鳥居

石段の上には明治37年(1904年)10月と刻まれた石造りの鳥居があり、その先にも一対の灯篭が配置されています。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
狛犬と拝殿

灯篭の次には狛犬があり、その奥に拝殿が見えます。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
金属製「獅子」

持尾磐船神社の狛犬は周辺では珍しい金属製です。珍しい狛犬ということで佐備神社の記事でも触れましたが、一般的には向かって右側の口を開いた角なしの像が「阿形(あぎょう)」である獅子で、左側の口を閉じた像が「吽形(うんぎょう)」である狛犬とされ角を持つものもあります。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
金属製「狛犬」

金属製狛犬は鳥居と同じ明治37年の9月に奉納されたものです。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
割拝殿内部

拝殿は割拝殿となっており、中で参拝することが出来ます。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
「磐舟神社」の神額

拝殿内の本殿側には木製の「磐舟神社」と書かれた額が掲げられていますが、少し焦げているようにも見えます。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
宮彫り?

また、拝殿内左手には社殿の飾り彫りのようなものも置かれています。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
本殿と覆屋

拝殿の奥に本殿がありますが、一間社流造の本殿の外側に覆屋が設けられているためはっきりと社殿全体を見ることは出来ません。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
扉付きの石祠

本殿に向かって左側にはしっかりとした石造りの小祠があります。

本殿で参拝した後は境外、本殿の南西にあるいくつかの祠へ。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
隣接する水道施設

一旦神社前の道路(持尾城跡入口前)に出て改めて神社の方を向くと、右手に厳重に柵を巡らせた水道施設が見えます。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
神社西側の石造物群

この水道施設の右横を奥に入ると、多数の興味深い石造物があります。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
謎の石造物

まず、もっとも手前右側には、二つの花立てのような石の間に少し人工的な角ばった面を持つ石が置かれていますが、こちらは詳細不明です。「甲申」と彫られているようにも見えます。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
「大威徳明王」

次に、左側には磐船神社とほぼ同じ西(北西?)を向く瓦葺の祠があります。こちらの中には「大威徳明王(だいいとくみょうおう)」と彫られた大き目の石が祀られています。

大威徳明王は仏教の中の密教特有の尊格である明王の一尊です。明王の中でも中心的な五代明王は、不動明王を中心として東に降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、南に軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、西に大威徳明王、北に金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)が配されることから、大威徳明王は西方の守護者とされます。周辺に不動明王なども祀られているのでしょうか。


日本では一般的に、大威徳明王は神の使いである水牛にまたがってた六面六臂六脚の姿で表現されます。その語源は「閻魔を倒す者」といった意味合いで戦勝祈願の対象とされていたとも。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
「白龍辨天」の祠

大威徳明王の祠から見てちょうど裏手にもう一つ瓦葺の祠があり、こちらは大威徳明王祠に向かって右方向を向いて祀られています。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
「白龍辨天」

こちらには「白龍辨天」と彫られた石が納められています。白龍(白竜)は文字通り白い鱗の龍神で、白蛇同様富をもたらし水の神としても崇められています(白は秋や西を象徴するとも)。一方の辨天、つまり弁財天は現在の日本では七福神の中の一尊で財福や商売繁昌の神などとされていますが、もともと水神としての一面もあります。本地垂迹では日本神話に登場する市杵嶋姫命(厳島神社の御祭神)と同一視され、全国の川や海など水辺に祀られていることが多い神といえます。また、白龍(白蛇)は弁才天の使いとしても知られ、こちらと同様に「白竜弁天」や「白龍弁財天」などの名で全国的に祀られています。

持尾の磐船神社そばの白龍辨天は依代となる石の周囲に水を溜められそうな溝が彫ってありますが、これは付近に川や池が無いためでしょうか。


アクセス

一般的に、登山コース以外で持尾磐船神社や持尾城跡を目指す場合は、持尾展望台から向かうことになると思われますので、展望台から神社までの道のりも少し詳しく記します。

まず、持尾展望台へのわかりやすいコースとしては、太子町内の国道166号沿いにある道の駅「近つ飛鳥の里・太子」から200mほど西にある交差点を南に入り、南河内グリーンロードを道なりに約4.1km進むと持尾展望台に到着します(太子カントリー倶楽部前や平石トンネルを通過)。なお、持尾展望台周辺のグリーンロードは「二輪の自動車・原動機付自転車通行止め」となっているようです。


持尾磐船神社へは車での参拝は不可能ではありませんが、グリーンロードからはほぼ坂道でカーブや道幅が狭い箇所も多いため基本的におすすめ出来ません。そこで、持尾展望台の駐車場が空いていればここから徒歩という手もあります。持尾展望台から磐船神社までは凡そ800mの道のりです。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
持尾展望台(右が持尾集落)

持尾展望台からは「河南町 持尾」の矢印に従い、持尾集落を目指して南東に向かって坂道を上ります。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
最初の分岐

約280m先の最初の分岐は左に進みます(右からでも別コースで到達可)。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
丁字路

次に190mほど先の丁字路を右折します。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
集落センター前の分岐

50mほど進み、持尾地区集落センター(郵便ポストが目印)前の分岐は左に。なお、右に進むとだんじり小屋や持尾ちびっこ広場という公園があり、最初の分岐を右に進んだコースと合流して神社(城跡)西側から上ることになります。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
地蔵尊前

集落センター前の分岐を左に入ると、100mほど先の突き当りに地蔵尊が見えて来ます(途中にも別の地蔵尊あり)。ここには道標があり、左に進むと高貴寺や磐船神社(平石の磐船大神社)方面への道となるので、今回は右の「持尾城跡」方面に進みます。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
アスファルト舗装の終端

50mほど坂を上るとまた分岐となるのでここは左へ。アスファルト舗装はこの辺りまでとなります。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
最後の分岐

さらに約30m進むと、左に「里山倶楽部」と書かれた下り坂、中央に細い道、右に「持尾城址入口」の石標がある上り坂が現れるので右へと進みます。

持尾磐船神社(南河内郡河南町)
道路左側に磐船神社

入口の石標から100mほどコンクリートで舗装された坂を上ると、左手に磐船神社、右手に持尾城跡があります。


Mochio-iwafune Shrine(Kanan Town,Osaka Prefecture)


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