鴨習太神社
2017年5月訪問
鴨習太神社(かもならいたじんじゃ)は大阪府南河内郡河南町神山(こうやま)にある神社です。神山という周辺の地名にふさわしく、静かな小高い山の中腹に鎮座しています。
北側から見た鴨習太神社への道 |
歴史と概要
鴨習太神社創建の由来や正確な創建年については不明ですが、前述のように延長5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳に「河内国石川郡 鴨習太神社」と記載され小社に列しています。
主祭神は饒速日命(にぎはやひのみこと)、天照地照彦火明命、櫛玉命となっていますが、いずれも饒速日命の別名です。また、相殿に高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が祀られています。
「郷土史の研究」によると、明治元年(1868年)から明治14年(1881年)まで当地は堺県の管轄下にありましたが、この頃に神山にあった当社が河内誌によって鴨習太神社と改称し、主祭神を饒速日命に改めました。同時期、河南町平石にある現在の磐船大神社が饒速日命降臨伝説に基づき、延喜式神名帳に記載されていながら永らく所在が不明だった鴨習太神社が当社(磐船大神社)であるとして県に届け出ましたが、管轄が大阪府になると府庁明細帳に「磐船大神社」とあるのをもって磐船大神社と公称することとなりました。
当社は明治5年(1872年)に村社に列格し、大正4年(1915年)9月には神撰幣帛料供進神社に指定されました。
当地はかつて河内国石川郡神山村と呼ばれていましたが、明治22年(1889年)の町村制の施行により、中村、馬谷村、芹生谷村、寛弘寺と合併して改めて中村が誕生。明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡に変更されました。当時の当社鎮座地は南河内郡中村大字神山字神山となっています。その後、中村は昭和31年(1956年)に石川村、白木村、河内村と合併し現在の南河内郡河南町が発足しています。
主祭神は物部氏の祖神である饒速日命ですが、これはかつてこの地が物部氏の勢力圏内であり、その「磐船信仰」の地域だったことに由来するそうです。しかし、「鴨習太神社」という社名から本来は物部氏ではなく賀茂氏に関連する神を祭神としていたという説もあります。
実際、この地から南東へ数km、金剛・葛城山系を越えた現在の奈良県御所市は賀茂氏の本拠地で、高鴨神社をはじめ、鴨都波神社や鴨山口神社といった「鴨」の付く神社があります。一方で、4kmほど北東の同じ河南町内には饒速日命や巨大な磐座を祀る平石の磐船大神社やその分祀である持尾磐船神社が鎮座しています。
境内には末社として一言主神社(御祭神:八重事代主神)、神明神社(天照大神)、御魂神社(八百萬神)、琴平神社(大物主大神)、聖天社(大聖歓喜自在天)が祀られています。
実際、この地から南東へ数km、金剛・葛城山系を越えた現在の奈良県御所市は賀茂氏の本拠地で、高鴨神社をはじめ、鴨都波神社や鴨山口神社といった「鴨」の付く神社があります。一方で、4kmほど北東の同じ河南町内には饒速日命や巨大な磐座を祀る平石の磐船大神社やその分祀である持尾磐船神社が鎮座しています。
境内には末社として一言主神社(御祭神:八重事代主神)、神明神社(天照大神)、御魂神社(八百萬神)、琴平神社(大物主大神)、聖天社(大聖歓喜自在天)が祀られています。
鴨習太神社は現在神職不在神社で千早赤阪村にある建水分神社の兼務社となっています。毎年秋の祭礼時には地元神山地区の地車(だんじり)が出ますが、建水分神社(比叡の前)にも宮入しているようです。
奈良県の御所市方面からは国道309号線の「神山南」交差点を目指します。千早赤阪村の森屋を通って来た場合は直進(「オークワ 河南店」前を左折して来た場合は右折)し、3つ目の信号(十字路)を左に曲がり約200m進むと左に神社の大きな白い看板が見えます。
なお、富田林市にある五軒家神社の牛頭天王社は明治24年(1891年)に「河南町神山から御神体を勧請」したそうですが、鴨習太神社との関係は不明です。
拝殿の前には小さな鳥居が建っています。拝殿奥にある本殿は唐破風の入母屋造で茅葺の凝った建物で、見事な彫刻があります。
拝殿に向かって左側には境内末社が並んでおり、拝殿に近い方から明神宮(神明神社)、御魂神社、金刀比羅宮(琴平神社)、聖天宮(聖天社)となっています。
さらに、拝殿に向かって右手、階段の途中には一言主神社(八重事代主神)の祠とその右には鎌倉時代の石塔(荒神?)があります。また、神宮寺は真言宗無本寺の阿順堂であったそうですが、これについては今回はわかりませんでした。
その他、約1.4km西に式内社の佐備神社が、2.5kmほど南東には前出の式内社建水分神社、3kmほど北には式内社の壹須何神社(一須賀神社)が鎮座しています。さらに、4km少々東には弘川寺もあります。
境内
鴨習太神社は道の駅かなんから国道309号を挟んで向かいの周囲を田畑や住宅に囲まれた小高い山の中腹にあり、さほど広くはありませんが木々に囲まれ静かで落ち着いた雰囲気の神社です。
道の駅前の交差点からは直線距離で北に300m弱ですが、参拝するためには少し遠回りして北側か東側に回る必要があります。
神社の北側からは坂道、東側からは階段(石段)を上ると拝殿前に出ますが、拝殿は南向きなので正面からお参りするには東側の階段の下から左に伸びる坂を上って右折する必要があります。
なお、北側からの道は昭和に入って造られたようで、本来の参道は旧神山村集落があり石の社号標も建っている東側からかと思われます(社号標は石段下から約80m東にあります)。
坂道を上ってい行くと拝殿前の広場に出ます。こちらに手水舎があります。
東側の階段(石段) |
道の駅前の交差点からは直線距離で北に300m弱ですが、参拝するためには少し遠回りして北側か東側に回る必要があります。
拝殿(左)と東側の階段下(右) |
神社の北側からは坂道、東側からは階段(石段)を上ると拝殿前に出ますが、拝殿は南向きなので正面からお参りするには東側の階段の下から左に伸びる坂を上って右折する必要があります。
なお、北側からの道は昭和に入って造られたようで、本来の参道は旧神山村集落があり石の社号標も建っている東側からかと思われます(社号標は石段下から約80m東にあります)。
拝殿前広場の手水舎 |
坂道を上ってい行くと拝殿前の広場に出ます。こちらに手水舎があります。
拝殿 |
拝殿の前には小さな鳥居が建っています。拝殿奥にある本殿は唐破風の入母屋造で茅葺の凝った建物で、見事な彫刻があります。
境内末社(右が拝殿) |
拝殿に向かって左側には境内末社が並んでおり、拝殿に近い方から明神宮(神明神社)、御魂神社、金刀比羅宮(琴平神社)、聖天宮(聖天社)となっています。
一言主社(左)と鎌倉期の石塔(右) |
さらに、拝殿に向かって右手、階段の途中には一言主神社(八重事代主神)の祠とその右には鎌倉時代の石塔(荒神?)があります。また、神宮寺は真言宗無本寺の阿順堂であったそうですが、これについては今回はわかりませんでした。
神社周辺
百度石 |
その他、約1.4km西に式内社の佐備神社が、2.5kmほど南東には前出の式内社建水分神社、3kmほど北には式内社の壹須何神社(一須賀神社)が鎮座しています。さらに、4km少々東には弘川寺もあります。
アクセス
公共交通機関の場合、鉄道では近鉄長野線の「川西」駅が最寄ですが徒歩で4km弱です。バスなら「富田林」駅から金剛バスに乗り「神山」バス停で下車、150mほど(北へ)戻ると小さな横断歩道があるので左折して細い道に入ってしばらく進むと下の写真の社号標があります。あとはそのまま直進すると神社東側の石段下に着きます。
車で大阪市内方面から来る場合は、国道309号の「佐備神山」交差点を左折し、しばらく道なりに600mほど進むと右に大きな「鴨習太神社」の白い看板が見えるので右折します。
東側から神社を望む。こちら側は住宅地で道が狭い。 |
左は奈良、右は大阪方面 |
奈良県の御所市方面からは国道309号線の「神山南」交差点を目指します。千早赤阪村の森屋を通って来た場合は直進(「オークワ 河南店」前を左折して来た場合は右折)し、3つ目の信号(十字路)を左に曲がり約200m進むと左に神社の大きな白い看板が見えます。
コメント
コメントを投稿